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夢を見た。
意識が落ちる間際に眺めた光景が、露骨に反映された結果か。
珍しく、あの娘(こ)の夢を見た。
いや、あの母(ひと)のことだから、こっちの顔を見ようと、わざわざ手前(てめえ)の方から出向いてきたのかも知れない。
「難しいね? 親子って」
「お前さんがそれを言うかい?」
そんな彼女が、開口一番に妙なことを曰(のたま)うものだから、思わず吹き出した。
所は、どこだろう?
故郷(くに)のどこかだとは思うのだけど、あまり馴染みのない風景だ。
桟橋のような筏(いかだ)を、いくつか繋ぎ合わせて設(しつら)えた水上の場。
辺りに陸(おか)はなく、空には赤月(あかつき)が浮いていた。
どのように眼を凝らしても、太陽の通り道が見当たらないことから、恐らくは常夜(とこよ)の方面かと思われる。
ヤコウチュウの一種だろうか、水面(みなも)は淡い光をたくわえており、これが一面にぼんやりと行き渡るさまは、まるで山間に生じる青白い靄(もや)のようで、じつに幻想的な趣(おもむき)があった。
「今日はどしたん?」
「別に? だって夢でしょ?」
「や、その言いまわしがもう夢じゃないんだわ」
緩慢な動作で隣に腰をすえたところ、彼女の爪先が水面をちゃぷちゃぷと鳴らし、ただ今の心模様を端的に表した。
何とも幼い仕草だが、こうした振る舞いを諒(りょう)とするには、お互いに歳を食い過ぎたのかも知れない。
「なぁ、宇彌(うみ)さんや?」
「なぁに? 葛ちゃんや?」
「“本家”預かりの獄卒ってのは、どんな感じ? ほら、元・雇用主の眼から見て」
我ながら、思い切った質問が口を衝いたものだと喫驚した。
地雷の在処(ありか)は、きちんと熟知しているはずなのに。
やはり、いまだ頭の中に焦熱が居残っているのかも知れない。
「あんまり良いものじゃないよ? オススメはしない」
「だろうね……?」
「福利厚生もないからね?」
「いや……、うん」
しかし、彼女は気にする素振りを見せず、簡潔に応じた。
こういう点は、丸くなったと捉えるべきなのか。
なんの後ろ楯もなく、単独で地獄を平定し、苛烈な圧政と箆棒(べらぼう)な恐怖をもって、かの地を束(たば)ねた女帝の面影は、疾(と)うにない。
蛇の道は蛇という。
彼女がオススメしないと明言するからには、その通りに計らうのが無難だろう。
元より、転職を考えるには早すぎて、遅すぎる。
「あなたの中に、鬼はいないよ?」
「ん、知ってる。 だから妙なんよ……」
親父殿が私を産んだ時、彼は紛れもなく神だった。
鬼の因子が混ざる余地など、これっぽっちも無かったはずなのに。
「……鬼(カミ)よりもっと、畏(おそ)ろしい何か」
「私ん中に?」
「それは、分からない」
なかなかにゾッとしない話である。
正体が判っていれば、まだ対処の仕様はある。
たとえ悪鬼羅刹であろうとも、きちんと祀れば神になる。
不肖の妹、かの御伽噺の化け物ですら、一心不乱に辿った破滅的な道のりが、やがて黄泉国(よもつくに)に纏(まつ)わる宝剣の有りようと習合し、大神となった。
「妾(わらわ)は味方だよ? あなたの」
「うん、知ってる」
「いざとなったら、一緒に戦ってあげます」
「いや止(や)めて? 六界すっ飛ぶから。 今度こそマジで」
真っ当に応じると、彼女はふにゃふにゃと笑い、水面を軽やかに泡立てた。
まるで子どもだ。
そう。 親からすると、子どもはいつまで経っても子ども。
大切な大切な、世界(わたし)の第一子。
「どこまで飛ぶの?」
「え?」
「野放しの熊鷹は、どこまで飛ぶんです?」
「言うね? お前さんも」
唐突に、何とも大掴みな質問が来たもので、思わず口がへの字に曲がった。
それを問うのは野暮だろう。
どこまで行けるか、自分にもさっぱりだ。
飛べるかぎり飛ぶ。
そのように応じたいところではあるが、娘を相手に格好をつけるのもみっともない。
「お前さんが、もういいよって言うまで」
「もういいよ?」
透(す)かさず、彼女はその通りに発した。
どういうつもりか。
自分たちの間に、もはや確執はないと、改めて伝えたかったのか。
しかし、誤解は解けても痼(しこり)はある。
己を地獄に落とした張本人こそ、他ならぬ世界である。
かつて、そのように盲信した彼女は、本気で私を殺そうとしたし、こちらも全力でそれに対した。
のちに、あれは我らが族(うから)の同士討ちを図(はか)った、お偉い神々サマの奸計によるものだと判明するのだが。
誤解は解けても、未だにどこか後ろめたい気持ちがあるのはたしかだ。
いや、ひょっとすると、そう感じているのは親の側(がわ)だけで。
“親子って難しいね?”
あぁ、まったくその通りだろう。
「お前さん、幸せかい? いま」
「ん?」
星々が通う雲路(くもじ)をぼんやりと計りつつ、何とはなしに問いかける。
一向に答えはない。
心配になって目を向けると、どうにも悪戯っぽい笑顔が、こちらをニコニコと見つめていた。
それが分かりゃ充分だ。
まこと、親というものは、いつまで経っても親なのである。
夢か現(うつつ)かも知れない場所で目にした、わが子の笑顔。
これを活力に、もう少しだけ飛び続けられそうな気がしたのだ。