テラーノベル
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久保田の放った弾丸が、空気を切り裂く鋭い音と共に俺の耳元をかすめた。
背後のコンクリート壁が爆ぜ、砕けた破片が頬を叩く。
火薬の焼ける臭いが鼻腔を突き抜けたが、俺の歩みは止まらない。
極道の喧嘩は、間合いに入った時点で勝敗が決まる。
そして今の俺には、死への恐怖を凌駕する「静かな怒り」が細胞の一つ一つに宿っていた。
「ひっ、来るな……ッ! 来るなと言っているだろう!」
エリート弁護士としての冷静な仮面は、もはや見る影もなく剥がれ落ちている。
久保田はなりふり構わず、震える両手で引き金を連射した。
銃声が狭い廊下に反響し、鼓膜を震わせる。
だが、狙いの定まらない弾丸は俺の影を追うことすらできない。
俺はあえて視線を逸らさず、死線を縫うように最短距離を突っ切った。
「終わりだ、久保田」
奴の右腕を掴み、万力のような力でひねり上げる。
そのまま勢いを利用して壁に叩きつけた。
ドゴォッ、という鈍い衝撃音と共に
久保田の手にあった鉄塊が床に転がり、空虚な金属音を立てる。
「あがっ……!!くろさき…ッ…やめろ、待て! 私は、私は国を動かしている連中と繋がっているんだ! 私がいなくなれば、この街の均衡は……!」
「知るかボケ。俺の国は、拓海と一緒に死んだんだ」
喉の奥から絞り出した声は、自分でも驚くほど冷え切っていた。
俺は言葉を重ねる代わりに、拳を奴の鳩尾に深く沈めた。
肺から全ての空気を無理やり引きずり出すような衝撃。
久保田の眼球が大きく見開かれ、言葉にならない悲鳴が漏れる。
間髪入れず、俺は奴の髪を掴んで引きずり下ろし、跳ね上がるような膝蹴りを顔面に叩き込んだ。
バキリ、と硬いものが砕ける感触。
高価なブランド物の眼鏡が粉々に散り、久保田の鼻からはどす黒い鮮血が噴き出す。
「拓海が……あいつがどんなに痛かったか、少しは思い出せたか?」
俺は倒れ伏した久保田の襟元を掴み、無理やり引き起こした。
奴はもはやエリートの矜持など微塵もなく、血と泥にまみれて命乞いを始めた。
「こここ…ッ、殺さないでくれ!私はただ、親父さんに命じられて……逆らえなかったんだ! 全ては榊原の意志だ!」
「嘘をつくな。親父を唆し、裏から糸を引いて拓海をハメたのは、お前だ。その腐った頭で計算したんだろう?あいつが邪魔だと」
俺は久保田のネクタイを手に巻き付け、乱暴に窓際へと引きずっていった。
窓を開け放ち、奴の半身を夜の闇へと突き出させる。
深夜の病院、3階。高さにして10メートル強。
下には街灯に照らされたコンクリートの地面が、冷徹な死の受け皿として待ち構えている。
「ひいぃっ! 許してくれ! 助けてくれ……ッ!」
久保田の指先が、必死に俺の腕を掻きむしる。
殺すのは容易い。
この指を離すだけで、拓海の無念は一つ晴れる。
煮え繰り返るような殺意が、鉄の味となって口の中に広がった。
だが――ここでこいつを殺せば、奴らと同じ場所にまで堕ちることになる。
「……そんな生ぬるいこと誰がするか」
俺は掴んでいたネクタイを離し、久保田を部屋の床へと放り出した。
奴は生まれたての小鹿のように無様に震え、血混じりの咳を繰り返しながら、ただ平伏している。
「……志摩。こいつを連れて行け」
影に控えていた志摩が、無言で頷き手際よく久保田を拘束する。
俺はその背中を一瞥もせず、隣の病室のドアを静かに開けた。
そこには、淡い月光と点滴の音に包まれて眠る、拓海の妻の姿があった。
夫が凄惨な死を遂げたことも、その仇討ちがすぐ隣で行われたことも知らない、穏やかな寝顔。
視線を下げれば、シーツの下で彼女の腹部が優しく膨らんでいる。
そこには確かに、拓海がこの世に残した唯一の希望、新しい命の鼓動が宿っていた。
俺はポケットの中にある、血の滲んだメモリーカードを強く握りしめた。
(拓海、お前が命懸けで守りたかったものは、ここにある。俺が必ず……守り抜く)
だが、安息の時間はまだ先だ。
俺が壊さなきゃならない元凶は、この街の闇の中心
あの巨大な「榊原組」の本部ビルの中に、今もなお厳然と居座っている。
「……行くぞ、志摩。次は、親父の首だ」
病院を後にする俺たちの背後で、東の空が白み始め、朝日が昇りかけていた。
だが、その眩い光が、血に染まった俺の歩みを祝福することはない。
俺はただ、漆黒の復讐へと続く道を、再び歩き始めた。
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