コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
穴に落ちた。深い穴だ。とても自力では登れそうにない。
両親と共に旅行に来た先の、寂れた観光スポットだと言う登山道。子供やお年寄りでも登れる緩やかなコースだと言う事だった。登り始めて30分程で休憩所に着き、両親がトイレに行ったのを待っている間、スマホの電波も余り良くなく暇を持て余していた。大人しく待っていれば良かったのだが・・・。
ふと視界を横切る白い影が見えたのだ。
ウサギ?
私は、コースを少しくらい外れても大丈夫だろうと思い、そのウサギらしき姿を探して木々の生い茂る獣道を進んで行った。
春の始まりにしては暑い日で、雨上がりだからか湿度が高かった。得体の知れない小さな虫が飛び、額を流れる汗が目に染み、気分が萎えて引き返そうと思った時に、目の前に何やら拳大の羽のある虫が飛び出して来た。手で払いつつ目を閉じ顔を背けた拍子に、足を滑らせ、そして落ちた。
思わずため息が出る。
ウサギを追いかけて穴に落ちるなんて、まるで不思議の国のアリスではないか・・・。
はるか頭上に見える穴の入り口を睨みながら、とりあえず壁のように反り立つ穴の側面をよじ登ろうと試る。所々飛び出す木の根や、日が届きにくいながら頑張る雑草は、いとも容易くむしり取れてしまう。
スマホで親に連絡を取ろうと思い立った。が、気付くと背負っていたはずの荷物が無い。穴の中を見回してみても、どこにもそれらしいものはなかった。運悪く穴の上に残っているのか、何かに引っ掛かってどこかにあるのか。
再びため息をつき、ダメもとで穴の上に向かって呼びかけてみた。
「すみません、誰かいませんか?深い穴に落ちてしまったんです」
頭上からは何も聞こえてこない。ダメか、と思い、心細くなってきた時だった。
「君も落ちちゃったの?」
背後から声が掛けられた。振り返ると、同い年くらいの男の子がいた。
さっき見回した時には何も無かったし、誰も居なかったのに・・・。
「僕も少し前に落ちてしまったんだ。僕は、誰にも言わずにここに来てしまったから、中々見つけてもらえなそうなんだけど、君は?誰かと一緒に来たの?」
制服だろうか。白いワイシャツに黒のズボン。この辺りの学校ではこうなのだろうか、頭には学生帽を被っている。背が高く痩せていて、顔色は人形の様に白かった。
「お父さんとお母さんと3人で・・・。急に居なくなったから、探してくれると思う・・・」
「そう。なら大人しく待っていよう。ここ、狭いけど乾いているんだ。立ったままだと疲れるから座らない?」
狭い範囲に陽射しが当たり、その陽射しがずれたのだろう、日陰で乾いている部分があった。先に発って男の子が座る。
頷いて私は彼の隣りに座った。
「あ、」
「?」
「暫くシャワー浴びてないから、少し臭うかも」
「大丈夫だよ」
私は少し笑って両腕を膝の前に出して体育座りをした。左腕の七分袖の袖口から包帯が覗いた。彼の目が留まる。
「僕はハル。君は?」
「綾」
「腕は怪我?」
「あーうん。切ったの。自分で」
別に隠すつもりも無かった。一昨日自分でやったのだ。
「助けが来るまで暇だし、もし嫌じゃ無かったら聞いても良い?」
私は頷いた。誰かに聞いて欲しいという想いがあった。
「中学時代、ずっと勉強を頑張っててね、それなりの成績が取れて、希望の高校に入れたの。朝起きて予習して、ご飯食べて登校して、授業受けて、終わって塾行って、帰って勉強して、寝て、起きて予習して。全然辛く無かった。それが当たり前だと思って、特に頑張ることもなく。でもね、いざ合格して高校に通い始めたら、自分が何をしてるのかが分からなくなったの。高校に入ってもやっぱり朝起きて予習して、ご飯食べて登校してって同じ毎日。友達も居なかったし、欲しいとも思わなかった。気付いたら、何も良いと思えない、嫌な事もない、ただ生きてるだけだなって思って。変化が欲しかったんだと思う。それで切ってみたの」
ハルはただ聞いていた。隣に座って正面を向いて。
「痛かった。適当にやったから脈の上じやなかったみたい。でも血が沢山出て止まらなくて、自分じゃどうにもならなくなってお母さんの所に行ったんだ。で、そのまま話してみた。イジメられてる訳でも無いし、不満や不都合があるわけでも無いのになんとなく切っちゃったって。お母さん、止血しながら百面相みたいになってた。「綾は真面目だからね、少しお休みしようか」って言ってくれて、すぐ学校に連絡して暫く休みにしてくれた。自分もパート休んで、お父さんにもすぐ連絡して、有給貰って「旅行行こう!」って。で、ここに来て穴に落ちた」
一気に話して一呼吸置く。ハルを見ると、正面を見たままじっとしている。
手を見ると、私と同じく土と草の汁にまみれていた。だが爪が、私よりも酷く荒れていた。