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 王都の空気は、辺境よりも薄く感じた。


 冷たいわけではない。


 軽すぎるのだ。


 人の声も。

 笑みも。

 礼節も。


 何もかもが整っていて、だからこそ息が詰まる。


 王城へ入る石段を上がりながら、リゼットは外套の下で指先を握った。


 見覚えのある回廊。

 高い天井。

 磨かれた床。


 断罪の夜に見たものと同じはずなのに、前よりずっと輪郭がはっきりして見える。


 隣を歩くアルヴェインは、いつもどおり無駄のない足取りだった。


 それだけで、心臓の音が少し落ち着く。


 一人ではない。


 その事実を、歩くたびに確かめる。


 案内されたのは、大広間よりひと回り小さい審問の間だった。


 完全な非公開ではない。


 貴族や宮廷関係者が数人、壁際に控えている。


 中央には長い机。

 その向こうに、第二王子ユリウス。

 記録官。

 宮廷医師。

 そして、魔術管理局側の人間。


 セレナもいた。


 淡い色のドレス。

 慎ましげな表情。

 姉を気遣うような、やわらかな目。


 けれどそのすべてが、今のリゼットにはもう表面にしか見えない。


「リゼット・アーヴェル。ならびにアルヴェイン・グランゼル」


 ユリウスが形式ばった声で告げる。


「出頭に応じてくれたこと、感謝する」


 リゼットは礼だけ返した。


 言葉はまだ出さない。


 今日は、向こうがどう盤面を作るかを見る必要がある。


「本件は、先日の毒殺未遂事案について再確認を行う場だ」


 ユリウスは続ける。


「新たな証言や疑義がある以上、拙速な処理は避けねばならない」


 拙速。


 その言葉に、胸の奥がひやりとする。


 あの夜、すでに自分は切り捨てられた。


 それを今さら、“少し急ぎすぎたかもしれない”と整え直すつもりなのだろう。


「まず確認したい」


 ユリウスがリゼットを見る。


「お前は依然として、自身は毒を盛っていないと主張するのだな」


「はい」


「そして、別の仕掛けがあったと」


「毒だけでは説明できない症状でした」


 ユリウスの隣にいた年配の男が口を開く。


 宮廷医師だろう。


「“毒だけではない”というのは、具体的には?」


 ここだ。


 曖昧に言えば、印象で押し切られる。


 具体で入らなければならない。


「発症が早すぎるのに、発汗が少なすぎました」


 リゼットはまっすぐ答える。


「筋の硬直も均一で、単独毒としては不自然です。さらに、呼吸の乱れと皮膚反応の順番が合っていません」


 部屋の空気がわずかに動く。


 ユリウスは眉を寄せたが、宮廷医師は表情を変えない。


「混乱の場です。見誤りでは?」


「薬師として見誤るには、不自然さが多すぎました」


「薬師、ですか」


 その言い方に、かすかな軽さが混じる。


 家の中で少し薬を扱う程度の知識だとでも言いたげな声音。


 その瞬間、アルヴェインが口を開いた。


「その薬師に、私は発作の流れを崩された」


 一斉に視線が集まる。


「アルヴェイン卿」


 ユリウスの声が少し硬くなる。


「それは本件とは別件では」


「別件ではない」


 アルヴェインは淡々と言う。


「私の症状と、こいつが断罪された夜の違和感には共通点がある」


 “こいつ”という雑な呼び方なのに、声の芯にははっきりと庇護があった。


 リゼットは呼吸を整える。


「共通点とは」


 ユリウスが問う。


「薬理と術式が同時に働いている可能性です」


 その一言で、部屋の奥の空気が変わる。


 壁際にいた魔術管理局側の男が、わずかに視線を上げた。


 目立たない位置に座っていたのに、その反応だけが早い。


 見逃さない。


「辺境伯の症状は、呪いとして処理されていました」


 リゼットは続ける。


「ですが、発作の出方が規則的すぎる。月齢、時刻、投薬後の反応が整いすぎていて、自然発生の呪いとは考えにくいんです」


 記録官の筆が走る音がする。


「証拠はあるのか」


 ユリウスが問う。


「納品帳の写しがあります」


 アルヴェインが持参した書類束から、記録を前へ出す。


 侍従が受け取り、机上へ運ぶ。


「三年前の初夏から、辺境伯家へ入る薬と香油の経路がほぼ固定されています」


 リゼットは書類を指す。


「王都薬房ルクレティア監修。加えて、特別調整料として宮廷魔術管理局付の承認印があります」


 宮廷側の空気が、一段だけ重くなる。


 そこで、魔術管理局側の男が初めて口を開いた。


「承認印があるからといって、不正を示すものではありません」


 落ち着いた声だ。


 準備してきた答えだと分かる。


「高位貴族の継続処方には、術式補助の確認が入ることもある」


「はい」


 リゼットはうなずいた。


「承認印そのものは不正の証明になりません」


 男の目が、わずかに揺れる。


「問題は、その処方が“治療”として合理的ではないことです」


 リゼットは箱を開き、セレナの手紙と花片、比較記録を取り出した。


「これは、辺境伯家へ届いていた香油と、義妹から送られてきた手紙に残っていた香りと花片の比較記録です」


 セレナの顔から、ほんの少しだけ色が引く。


 その変化を見て、胸の奥が冷える。


 やはり無関係ではない。


「同一物ではありません」


 リゼットは続ける。


「でも基材が近い。鎮静系の香りづけに使われる花材が共通しています」


「それが何だというのだ」


 ユリウスが言う。


「香りが似ているからといって――」


「香りだけなら、ここまで言いません」


 一歩も引かずに答える。


「断罪当夜、セレナの袖から同系統の香りがしました。そして辺境伯の発作は、その系統の香油が強く使われた日に増悪している」


「推測だ」


 管理局の男が切るように言う。


「はい」


 リゼットは認める。


「今の段階では推測です」


 その場にいた何人かが、意外そうにこちらを見る。


 でも、ここで言い切ってはいけない。


 事実は、事実として積み上げる。


「でも、推測に終わらない記録があります」


 リゼットは静かに続ける。


「発作時刻、投薬後反応、納品経路の固定、処方切り替えの時期。全部を重ねると、偶然では説明できないんです」


 宮廷医師が目を細める。


「あなたは辺境伯の主治でもないのに、ずいぶん断定的ですね」


「主治ではないからこそ、既存の説明に引きずられずに見られました」


 部屋が静まる。


 あの夜の自分なら、ここで怯んでいた。


 でも今は違う。


 見たものを言え。

 証拠は私が通す。


 昨夜のアルヴェインの声が、背中に残っている。


「では、セレナにも聞こう」


 ユリウスが言う。


「お前は姉に何か薬材や香油を渡したことがあるか」


 セレナは一瞬だけ視線を伏せ、すぐに震える声を作った。


「わ、わたしは……お姉さまにひどいことをされたのに、そんな……」


 壁際の空気が動く。


 “可哀想な妹”の声として整いすぎている。


 でも、もう前ほど傷まない。


「香油は、家の侍女たちが選んでいたものです」


 セレナは続ける。


「お姉さまは昔から薬に詳しかったので、見立ててもらうこともありましたけど……」


 リゼットは静かに口を開く。


「では、ここ一年ほどで納入先が変わったことは?」


「知りません……」


「私がその件を尋ねたあと、父に口を出すなと言わせたことは?」


「そんな……!」


 セレナの声が少し裏返る。


 ほんの少し。


 でも今のは、取り繕いが遅れた音だった。


「答えてください」


 リゼットは逃さない。


「リゼット」


 ユリウスが口を挟む。


「詰問の場ではない」


 その瞬間。


「いや、答えさせろ」


 アルヴェインの低い声が落ちる。


 一言で、部屋の向きが変わる。


「再審だの予備審問だのと言うなら、都合の悪い問いも受けるべきだろう」


 ユリウスの顔が強張る。


 でも今は、以前のようには押し切れない。


 アルヴェインが公然とこちらに立っている以上、場はもう向こうのものだけではない。


 セレナは唇を震わせ、目元に涙を浮かべる。


「……覚えて、いません」


 弱い。


 その答えは弱すぎた。


 知らないと言い切るより危うい。


 関わりがあったと、自分で認めているようなものだからだ。


 リゼットはもう一枚の紙を出した。


「では、これはどうでしょう」


 断罪当夜の配席記録の写し。


 辺境で改めて取り寄せていた、宴席の簡易配置図だった。


「毒見役が倒れたとき、私はグラスに触れていません。でも、セレナは直前に被害者のそばへ寄っています」


「そ、それは心配で……」


「なら、なぜその直後に、真っ先に私の名を呼んだの」


 セレナの顔から血の気が引く。


 沈黙。


 そのとき。


 今まで黙っていた管理局側の男が口を開いた。


「話が逸れている」


 落ち着いた声だった。


「個人間の感情のもつれを、宮廷の治療体制に結びつけるのは飛躍だ」


 でも、その割り込みは早すぎる。


 守りたい中心が、そこにあるのだ。


 リゼットは男を見る。


「では、伺います」


「何を」


「なぜ辺境伯の症状は、帰還後に“継続処方”へ切り替えられたんですか」


 男の表情が、初めて少しだけ崩れた。


「戦場で受けた呪いなら、王都へ戻ってから急に処方と承認が揃うのは不自然です」


「高位貴族の体調管理としては――」


「さらに言えば」


 リゼットは遮る。


「なぜ治療の中心が“鎮静”ばかりだったんですか」


 一歩、踏み込む。


「根治ではなく、痛みを鈍らせ、表面だけ整える処方が続いていた。まるで“治らないように扱う”前提みたいに」


 部屋の空気が凍る。


 記録官の筆が止まった。


 誰も、すぐには口を開けない。


 その静けさの中で、リゼットははっきり感じていた。


 届いている。


 向こうの整えた正しさに、初めて綻びが入った。


 けれど、その瞬間だった。


 隣の気配が、ふいに変わる。


 熱が急に強くなる。


 リゼットは反射的に振り向いた。


「……っ」


 アルヴェインが短く息を呑む。


 肩が強張る。

 指先が痙攣する。

 高い襟の下から、黒い紋様が一気に浮かび上がっていた。


 早すぎる。


 今、この場で起きるはずがない。


「辺境伯!」


 どよめきが広がる。


 管理局の男が、一瞬だけ目を逸らした。


 そのほんの短い反応が、逆に答えだった。


 やられた。


 審問の場そのものに、何かが仕込まれている。


 アルヴェインは机に手をつき、苦しげに呼吸する。


 前回より速い。

 深い。

 しかも急激すぎる。


 強制的に引き上げられている。


 リゼットは駆け寄った。


「来るな……!」


 周囲がざわめく。

 何人かが後ずさる。


 “呪われた辺境伯”の印象を強めるには十分な光景だった。


 この場で暴走させる。

 怖れさせる。

 証言を崩す。


 全部が、あまりにも分かりやすい。


 リゼットは迷わなかった。


 逃げれば、向こうの思うとおりになる。


 ここで引いたら、また終わる。


「離れません!」


 王城の間に、自分の声が響く。


 一瞬、すべての視線がこちらへ集まる。


 でも、もう怖くなかった。


 リゼットはアルヴェインの襟元に手をかけ、一気に開いた。


 黒い紋様が、喉から鎖骨へ、さらに深く広がっている。


 熱い。


 でも、その芯に冷たい起点がある。


 あれだ。


「前より下です……!」


 アルヴェインは苦痛の中で、かろうじて目を開ける。


「離れろ……お前を」


「嫌です」


 即答だった。


「私はあなたを見捨てません」


 その言葉に、自分でも驚くほど迷いがなかった。


 契約だからじゃない。

 義務だからでもない。


 もう、それだけじゃない。


 リゼットは薬袋から緊急用の小瓶を取り出し、指先で起点へ直接塗り込む。


 周囲が何か叫んでいる。


 止めろ、とか。

 危険だ、とか。


 でも耳には入らない。


 今はこの人の呼吸だけを見る。


 脈。

 皮膚の熱。

 広がる線。

 冷たい芯。


 ここだ。


 ここを逃したらだめだ。


 アルヴェインの手が、反射的にリゼットの腕を掴む。


 強い。

 痛いくらいに。


 でもそれは拒絶ではない。


 苦痛の中で、唯一掴めるものに縋る力だった。


「見てください、辺境伯」


「……何を」


「私を」


 彼の焦点が揺れる。


「大丈夫です」


 リゼットは言う。


「あなたはここで壊されません」


 自分でも、どこからそんな言葉が出たのか分からなかった。


 でも本気だった。


 ここでこの人を、

 向こうの都合のいい“呪われた怪物”に戻させるわけにはいかない。


 薬液が反応し、黒い線の一部がぴたりと止まる。


 リゼットは息を詰める。


 まだだ。


 まだ浅い。


 アルヴェインの呼吸は荒いまま。


 でも、先端の広がりが鈍った。


「もう少し……!」


 そのとき、管理局の男が低く言った。


「危険だ。引き離せ」


 兵が一歩動く。


 だがアルヴェインが顔を上げ、発作の最中とは思えない鋭さで言った。


「触るな」


 空気が止まる。


 その一言だけで、誰も動けなくなった。


 リゼットはその隙に、起点の少し外側へ二滴目を落とす。


 前回の仮処置より強い。


 でも、ここで抑えなければ全部が崩れる。


 数秒。


 永遠みたいに長い数秒。


 やがて、アルヴェインの肩の震えがほんのわずかに弱まる。


 喉元の紋様も、これ以上は伸びない。


「……止まった」


 小さく呟いた瞬間。


 部屋のざわめきが別の色に変わる。


 恐怖ではない。


 驚愕だ。


 “呪い”が、ただの暴走ではなく、処置に反応している。


 その事実が、目の前で起きている。


 ユリウスが立ち上がる。


「これは……」


 リゼットは振り返らずに言った。


「見ましたよね、殿下」


 声が、自分でも驚くほど静かだった。


「これが、ただの呪いではない証拠です」


 誰も反論できない。


 薬理反応が起きた。

 処置で広がりが止まった。

 それを、ここにいる全員が見た。


 管理局の男の顔色が変わる。


 リゼットはようやく彼を見た。


「どうやって今、誘発したんですか」


「何を言っている」


「予定より早すぎる。自然発作じゃない」


 強く言い切る。


「この部屋に、何を置いたんですか」


 沈黙。


 でも、その沈黙自体が、もう答えに近い。


 アルヴェインの手は、まだリゼットの腕を掴んだままだった。


 熱い。


 でも、さっきよりは確かに“今”へ戻ってきている。


 彼は浅く息をしながら、低く言った。


「……リゼット」


 名前を呼ばれ、振り向く。


 灰色の瞳が、苦痛の奥からこちらを見ていた。


「離れるな」


 胸が強く鳴る。


 この人が、今この場でそう言う。


 もう何ひとつ、ごまかせなかった。


「はい」


 ただ一言、それだけ返す。


 その短いやり取りが、周囲にどんな意味で見えたかは分からない。


 でも今はどうでもよかった。


 ここで守る。

 ここで終わらせない。


 それだけが、自分の中でまっすぐだった。


 王城の高い窓から差す光が、床へ白く落ちている。


 断罪された夜と同じ場所。


 でも、もう違う。


 あの夜は一人で切られた。


 今日は違う。


 今日は、自分の言葉で崩し、

 自分の手で守り返している。


 そのことが、何より強かった。

断罪された薬師令嬢は、冷酷辺境伯の“死ねない呪い”を解いてしまった

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