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専業プウタ
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2,027
朝霧舞白(あさぎりましろ)の寮は、多くの芸能人が暮らす高級住宅街の一角にあった。大通りから一本入ると、街路樹の並ぶ静かな通りに、ガラス張りのエントランスを持つ瀟洒な高層マンションが建っている。夜になると、植え込みの間接照明が淡く足元を照らし、磨き上げられた石畳に街の灯りが滲んでいた。セキュリティも厳重で、Dream Gateの用意した一般のタレント寮とは明らかに格が違う。
舞白が自宅のドアを開けると、静かな部屋が彼女を迎えた。
舞白に与えられた部屋は、他のメンバーのものと比較して条件がよかった。美夏が暮らしている部屋よりも広く、窓も大きい。家具も最初から一通り揃っている。センターとして売り出す予定のタレントなのだから、これくらい当然なのだと、舞白は自分に言い聞かせていた。
靴を脱ぎ、バッグを置き、部屋の照明をつける。
白い光に照らされて、壁際に並んだものが浮かび上がった。
写真。CD。雑誌。アクリルスタンド。ライブグッズ。そして、月城律(つきしろりつ)の写真。
「……ただいま」
誰もいない部屋で、舞白は小さく呟いた。
もちろん返事はない。それでも、写真の中の律はいつものように微笑んでいる。
舞白はその写真を見つめた。
この人に会いたかった。それが、アイドルになった理由だった。
歌が好きだったわけではない。ダンスが好きだったわけでもない。もちろん、それらを嫌っていたわけではないけれど、ただ、テレビの中で輝いている月城律を見ているうちに、いつしか思うようになった。
──いつか、あの人に会いたい。
──できることなら、同じステージに立ちたい。
そう思ったから、舞白は頑張った。
レッスンも。歌も、ダンスも。
そしてようやく、White Noiseのセンターという場所を手に入れた。なのに──
あの日、歌番組の生放送で、White Noiseの前まで律が歩いてきたとき、舞白は胸が高鳴った。きっと、自分に挨拶してくれる。舞白は、そう思っていた。センターなのだから、それが普通だと思っていた。けれど、律は、自分の前を通り過ぎた。そして美夏の前で立ち止まった。
あの瞬間の光景が、舞白の頭の中で何度も再生される。
『やぁ、麗しの歌姫』
『あなたにお会いできるのを楽しみにしていました』
舞白は唇を噛んだ。
──どうして。どうして美夏なの? 私のほうが目立つ場所にいた。私のほうがセンターだった。それなのに、どうして、私じゃなくて美夏のところに行くの。
律は、美夏を見ていた。
それが悔しかった。
そんな自分が、もっと嫌だった。
「……違う」
舞白は首を振る。
「美夏が悪いわけじゃない」
律が誰に挨拶をするかなんて、律の自由だ。
センターに挨拶しなければならないなんて不文律はない。
それに美夏だって、何も悪いことをしていない。
そんなこと、分かっている。
なのに胸の奥に、黒いものが残っている。
心当たりがないわけではない。ちょうどデビューが決まった頃から、舞白は奇妙な夢を見るようになった。その夢に、美夏が現れる。何度も何度も繰り返し彼女は舞白の夢に現れ、不穏な影を落としていく。
最初は、ただの夢だと思った。知らない場所。知らない人。知らない会話。そして美夏。目を覚ませば、ほとんど覚えていない。けれど、感情だけが残っている。泣きたくなるほどの悲しさ。胸を締めつける焦燥。何かを失ったような喪失感。そして──誰かを守らなければならないという、奇妙な使命感。
何度目かの夢を見た翌朝、舞白はマネージャーに相談した。
「デビュー前ですからね。いろいろ緊張しているのでしょう」
……そう言われた。
事務所を訪れるカウンセラーにも、似たようなことを言われた。
環境が変わったから。センターとしての責任があるから。新しい仕事が増えたから。知らない人間関係も増えたから。だからストレスが溜まっている。
舞白も、そうなのだろうと思った。そう思うしかなかった。
だけど夢は今も続いている。
最近では、以前よりも鮮明になっていた。
眠るのが怖いと思いながら、舞白はベッドに入った。
枕元に置いたスマートフォンのボタンを押し、律の写真を表示する。
「……いつか、ちゃんと話せたらいいな」
舞白は小さく笑った。
いつかきっと叶うだろう。律とはまだ一度しか会ったことがない。たった一度、自分ではなく美夏に挨拶しただけのことで、すべが終わるわけじゃない。希望はまだ、いくらでもある。そう思った瞬間、言葉にならない悲しみが、まるで秋の夜風のように胸の奥を吹き抜けた。
◇
……夢を見た。
薄暗い、どこかの部屋で、誰かが泣いている。
その人物が誰なのか、舞白には分からない。
なのに、胸が痛い。まるで自分自身が泣いているような気がして。
視線の先に、女の子がいる。自分と同じ年頃の、十代後半の少女。長い黒髪の、見慣れた顔だった。
「……美夏?」
舞白が呼びかける。美夏が振り返る。
その顔は、舞白の知っている美夏とはどこかが違っていた。
美夏は悲しそうだった。舞白に何かを懸命に伝えようとしている。けれど、声が聞こえない。美夏が手を伸ばす。舞白も手を伸ばす。あと少しで触れられる。その瞬間──
「舞白」
誰かの声がして、舞白はそちらを振り返った。
誰が呼んだのか、分からない。
ただ、その声を聞いた瞬間、何故か胸の奥が凍った。
根拠の分からない恐怖がある。美夏の姿が遠ざかっていく。舞白は叫んだ。
「待って! 美夏!」
──そこで目が覚めた。
夢だ。また、あの夢を見た。
舞白はベッドの上で身体を起こした。
息が荒い。心臓が激しく鳴っている。部屋は暗い。カーテンの向こうの窓の外には、深夜の街の光が滲んでいる。舞白は胸元を押さえた。
まただ。また、美夏が夢に出てきた。
どうしてなのか、分からない。自分は彼女と知り合ったばかり。まだそれほど親しいわけではない。同じグループのメンバー。ただ、それだけの間柄だ。なのに、夢の中では違う。もっと昔から知っているような、もっと深いところで繋がっているような、そんな感覚がある。
「……分からない」
舞白は頭を抱えながら、再びベッドに背を投げる。
夢の中で何が起きていたのか、思い出そうとするものの、記憶は霧の向こうへと逃げていく。残っているのは、ひとつの感情だけ。美夏に対する警戒心。理由は分からない。ただ、気をつけなければいけない。そんな感覚が胸の奥から離れない。
「美夏……」
名前を呟くと、歌番組のスタジオの光景が蘇った。
律。美夏。そして、自分。律は美夏に手を差し出していた。その姿が、脳裏に焼きついて離れない。舞白は唇を尖らせた。
「……なんで、美夏だったの」
誰にも聞けない問いだった。答えの返ってこない問い。
舞白はベッドを降りると、壁に飾った律の写真の前まで歩いていく。
写真の中の律は、いつものように優しく笑っていた。舞白はその笑顔を見つめる。ずっと憧れていた。この人に会うために、アイドルになった。ようやく同じ世界まで来た。それなのに──
「……私、センターなのに」
口からこぼれ出た言葉に、舞白は自分で驚いた。
そんなことを気にするなんて。
自分はもっと、素直に喜べる人間だと思っていた。
律に会えた。同じ番組に出られた。それだけで幸せなはずだった。
なのに、胸の奥に嫉妬がある。認めたくないほど、はっきりと。
舞白は俯いた。律の姿を直視できない。
「……嫌だな。こんなの……全然私らしくない。私はもっと明るくて、前向きな女の子だったはずなのに……」
そのとき、不意にまた、夢の中の光景が蘇った。
美夏の顔。彼女に向かって伸ばされた手。そして、自分自身の声。
──美夏を信じちゃ駄目。
「……え?」
舞白は顔を上げた。
今。自分は、何を思った?
しばらくその場に立ち尽くす。けれど、いくら考えても、美夏を信じてはいけないと思った理由は分からない。彼女を疑う理由なんてない。それなのに、胸の奥には消えない違和感が残っている。
「美夏……」
舞白はもう一度、その名前を呟いた。
律の写真の隣には、お揃いの額に入ったWhite Noiseの集合写真が並んでいる。中央に立つ舞白。その隣にいる美夏。写真の中では、二人とも笑っていた。舞白は写真をじっと見つめる。
「……どうして、あなたなの?」
誰に向けた問いなのか、自分でもよく分からない。
舞白はベッドに戻ったが、眠りはなかなか訪れなかった。
自分の知らない自分の記憶が、夢の底からじっとこちらを見つめているような気がして。
コメント
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うわぁ…第11話、めっちゃ重くて切なくてやばかった😭💦 舞白の「私、センターなのに」って言葉、本人も気づかないうちに嫉妬が滲み出てて、読んでるこっちまで胸がぎゅってなったよ…。 それに夢の中の美夏、何か伝えようとしてるのに声が届かない感じが不気味で切なくて、ホラーと青春のあいだをゆらゆら揺れてる感じがたまらんかった…! 律くんの写真に「ただいま」って言うシーン、めっちゃグッときた。会いたくてアイドルになったのに、まだちゃんと話せてないもどかしさ、すごく伝わってくるよ😢 しらなみさんの描く“知らない自分”の感覚、リアルでぞわぞわする…続きめっちゃ気になる!!