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彼女が両手でお腹を抱え、勝ち誇ったように微笑んだ。
意味がわからなかった。
春日野さんのお腹の中に、雄大さんの子供がいる——?
それはつまり、雄大さんと春日野さんがセックスをしたということで、そんなことは考えられなかった。
事実、春日野さん自身がついさっき、言った。
『私が泣いても雄大は抱き締めてもくれなかった』
あれは、雄大さんがケーキを買って帰ってきた日のことだろう。黛から渡された写真で、二人がホテルにいたことは明白だけれど、あの日の二人にそんな情熱があったとは思えない。
現に、雄大さんは冷え切った身体で帰ってきた。
「なにを……バカな……」
「まだ、写真でわかるほど大きくないんだけど、私は間違いなく妊娠しているし、子供の父親は雄大よ」
悲しいことに、頭の中で計算してしまった。
二人がホテルで会ったのは一か月ほど前。生理周期によっては、妊娠がわかってもおかしくはない。
馬鹿な考えだとわかっている。
雄大さんは私を裏切ったりしない。
わかっているのに、二人が抱き合う姿を想像してしまった。
そんなこと、あるはずない……。
自分の想像に吐き気がする。
頭が痛い。肩が重い。呼吸が苦しい。
「雄大によく似た男の子だといいわ」
「そんな嘘を誰が信じると——」
「みんなが信じるわ。だって、私は本当に妊娠しているんですもの。信じられないのなら、あなたの目の前で検査しても構わないわよ?」
嘘をついているのは確かなのに、とてもそうは見えない。
彼女の言うように、検査すれば事実がわかる。そんな見え透いた嘘をつく、意味がない。
けれど、雄大さんが私を裏切るとも思えない。
そうなると、考えられることはひとつ。
だけど、まさか————。
「誰の……子供ですか」
「雄大のよ」
「なら、DNA検査してください」
「私はいいけど、することはないでしょうね」
店員がパスタの大皿を二枚、テーブルに置いた。
ごゆっくりお召し上がりください、と言われたけれど、私は今すぐにでも立ち去りたかった。
春日野さんはフォークを手にした。
「検査をして雄大が父親だと証明されたら、雄大も雄大のご両親も立場がないじゃない。これから生活を共にしていくのに、負い目を感じてもらいたくないもの」
計算づくで——!
真由や澪さんが言っていた以上に、春日野玲という女は恐ろしく、そして哀れな人間だった。
愛してもいない男の子供を宿し、その子を使って愛する男を手に入れようとしている。
同じ女として、おぞましい。
子供の本当の父親なんて誰でもいいのだろう。
大切なのは、事実なのではなく状況証拠。
周囲に雄大さんの子供だと『思わせる』ことが出来ればいいのだ。
春日野玲には、槇田雄大の気持ちなんてどうでもいいことなんだ————。
私は、黛と同等の怒りや嫌悪を、目の前の女に抱いた。
「あなたがここまで馬鹿な女だとは思いませんでした」
ほんの少し前まで、ほんの少しだけ抱いていた哀れみや申し訳なさなど、微塵も残らず消えうせた。
「あなたに雄大さんは渡さない」
正面から、春日野玲を見据えて言った。
俯いたら、負けだ。
「絶対、渡さない!」
今の私は、桜のことも立波リゾートのことも、黛のことも頭になかった。
今、思うのは、雄大さんを春日野玲には渡したくないということ。
違う。
誰にも、渡したくない——!
「その台詞、そのまま返すわ」
春日野さんもまた、真っ直ぐに私の目を見て言った。
「どんなことをしても、雄大を取り戻すわ」
春日野さんの瞳に、狂気の炎が見えた。
恐らく、彼女も私の瞳に同じ炎を見ただろう。
けれど、同じ炎でも色が違う。
春日野さんの炎は、愛する人だけでなく自分や周りの人間をも焼き尽くす深紅の炎。
私の炎は、愛する人を守り包み込む橙色の炎。
そうでありたいと思った。
そうであろうと思った。
『馨ちゃんは何を諦められるの? 何が諦められないの?』
今なら迷わず答えられる。
私は雄大さんを諦められない——!
ううん。
諦めたりしない。
絶対————。