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舞い落ちる桜の花弁の下で
朝の陽は一層柔らかく
地面に淡い光の影を落としていた。
藍染のレジャーシートに腰を下ろし
温かいご飯を手にする小さな手。
レーファが
嬉しそうにおにぎりを味わっている傍らで
エルネストも静かに咀嚼を続けていた。
その時──
「⋯⋯時也」
低く押し殺した声とともに
エルネストの指が
時也の着物の袖を軽く引いた。
その手には未だご飯が残っていたが
気配はまるで別の何かに集中していた。
「どうしました、エルネストさん?」
時也が顔を向けると
エルネストは桜の霊樹をじっと見上げていた
その表情には、驚きと
それを越えた〝理解〟のようなものが
浮かんでいる。
「⋯⋯あの桜⋯⋯お前と、同じ気配がする」
彼の言葉は、どこか確信を伴っていた。
その横で、レーファも小さく頷いた。
人とは違う感覚を持つふたり──
虫と菌
微細な生命と共鳴するその魂は
目に見えぬ世界の〝同質〟を
感じ取っていたのだろう。
人ならぬ者たちの共鳴。
時也はふっと目を細め、柔らかに笑んだ。
「ふふ。
この桜は⋯⋯僕自身でもあるんです」
彼の声は、春風のように穏やかで
どこか遠い過去の記憶を抱きしめるような
響きを帯びていた。
「僕はかつて、一度命を落としました。
ですが、アリアさんの御力によって
この霊樹から〝産まれ直した〟のです。
この桜は、僕の肉体であり
魂の依代でもある。
僕はこの桜であり、桜は僕でもある──
魂で、繋がっているのです」
枝からふわりと花びらが舞い降り
時也の肩へそっと落ちた。
その姿はまるで
木そのものが彼の言葉に
応じたかのようであった。
エルネストは眉を僅かに顰めながらも
明確に拒絶の色を浮かべはしなかった。
むしろ、何かを受け入れるように──
虫たちが静かに馴染んでいく時のような
無言の了解があった。
レーファもまた
何か大切な秘密を見つけた
子供のような面持ちで時也を見つめていた。
彼らにとってそれは恐れではなかった。
〝異なる命の在り方〟というものに
戸惑いはあっても、どこか近しさを感じる。
それはきっと
自身の中に
〝人ならぬもの〟を抱えた者たちゆえの
感応だった。
だが──
その柔らかな光景を見つめていたアリアの
深紅の瞳が、そっと陰る。
花のように美しいその横顔に
わずかに翳りが走る。
彼女にとって、時也が還ってきたことは
喜びそのものである。
けれどその〝再誕〟は
彼をもはや
〝人〟ではない存在へと変えてしまった。
──彼女と同じく
終わりなき命を生きる者に。
それは祝福ではなく、呪い。
彼を蘇らせたその力は、不死鳥の血。
彼女の〝愛〟という名の罪が
彼をこの道へと連れてきてしまった。
その胸の奥にある痛みを
誰よりも知るのは、アリア自身だった。
けれど──
時也は、彼女の胸の内をすべて知っている。
彼女の声なき想いを
心の奥から静かに読み取っていた。
そして、そっと──
彼女の肩を優しく引き寄せた。
「僕は、幸せなんです」
言葉は穏やかに、確かに。
彼の声音は、春の陽光よりも温かかった。
「この身が植物でできていようと⋯⋯
それでまた
貴女の隣に戻ってこられたのなら
何一つ後悔はありません。
今度こそ、貴女を護れる。
共に戦うことができる。
その力を得られたことが
何よりの贈り物なんです」
アリアは、答えなかった。
けれどその瞳は──
うっすらと、湿りを帯びていた。
その静寂を破ったのは──
「えっ⋯⋯!
その巨大な桜は
時也様ご自身なんですの!?」
驚きに満ちた声音だった。
振り返れば
優雅に装いを整えたアビゲイルが
庭に現れていた。
肩には、あの桃色の羽毛を持つ神秘の鳥──
ルキウスが、堂々とした姿で止まっている。
「アビゲイルさん。
まだお伝えしていませんでしたね」
時也が苦笑を交えて言うと
アビゲイルは少し頬を赤らめて
恥じらいながらも、朗らかに笑った。
「お姉さま自作の紙芝居で
ある程度は
理解していたつもりでしたけれど⋯⋯
やっぱり、知らないことが
まだまだ沢山あるようですわね。
帰ったらまた
ぜひ続きをお聞かせくださいませ」
ルキウスは、その言葉に呼応するように
アリアと時也に向かって翼を広げ
威厳ある礼を取った。
「お気をつけて、行ってらっしゃいませ。
ルキウス、アビゲイルさんを頼みましたよ」
時也の言葉には
主としての信頼が籠められていた。
「しかと承りました。
お任せください、時也様」
ルキウスの声は
見た目にそぐわぬ重厚な低音で
空気に律を与えた。
「ありがとうございます、時也様。
それでは、ルキウスと行って参りますわ!」
アビゲイルはくるりとスカートの裾を摘み
小さく優雅に一礼すると
背を向けて歩き出した。
陽光に照らされながら去っていくその姿を
桜の花が静かに見送っていた。
風がまた一つ、花弁を舞わせる。
そのすべてが
誰かの命の在り方を、そっと包むように。
ティーカップを手にするアリアの傍らでは
紅茶の香りがほのかに風に溶け
レーファとエルネストは
おにぎりを頬張りながら
穏やかなひと時を過ごしていた。
そんな中、時也がふと腰を上げ
袂を払うように立ち上がった。
その表情はどこか楽しげで
手元の皿をひとつ片付けると
皆から少し距離を取って
庭の一角へと歩み出る。
「エルネストさんに
庭に小屋を建てるとお約束していましたね。
さっそく、取り掛かるといたしましょうか」
春風がそよぎ、庭の草花が小さく揺れた。
時也は足元の土を見下ろすと
手をすっと翳す。
その指先からは目に見えぬ波が大地へと流れ
静かに、けれど確かに空気が変わる。
やがて
地面がふつり、と脈打つように震えた。
次の瞬間──
ずしりとした音と共に、庭の土が盛り上がり
一本の太い幹が
天へ向かってゆっくりと生え出した。
その成長は異様な速さで
見る間に彼の背丈を越え
まるで柱のように真っ直ぐに聳え立つ。
その中心の支柱を囲うように
四方から別の木々が芽吹き始めた。
それらの幹は
まるで互いに意思を持っているかのように
螺旋を描きながら絡み
支柱に寄り添い、密着し、そして──
不意に折れ、音もなく重なり合った。
枝は自然と折れ、葉は風に舞いながら落ち
幹は変化していく。
瞬く間に木材の質感へと変化し
屋根や壁材として組み上がっていった。
音を立てて幹が組み替わるたびに
建材となるべき部分は木が自ら形を整え
〝役目〟を終えた木株は
まるで舞台を降りる俳優のように
静かに土へと沈んでいく。
植物が〝建築という概念〟を理解している。
そうとしか思えぬ精緻な連携
無駄のない動き。
屋根は自然と斜めに組み上がり
日差しを避けるように張り出しを持たせ
雨樋のような役割を担う枝まで伸びる。
扉は中央に一枚
木の皮が自然に剥がれてできたような
滑らかな仕上がりで現れた。
こうして、庭の一角には──
まるで最初からそこに在ったかのように
景観と見事に調和した 温もりに満ちた
一人用のログハウスが佇んでいた。
樹皮の名残を残す外壁には
風と太陽の気配が染み込み
植物でありながら
どこか懐かしさを感じさせる佇まい。
驚くレーファとエルネストをよそに
時也は扉に手をかけ
軋みひとつないその感触を確認してから
ゆっくりと中へと入った。
その瞬間、また地面がかすかに震えた。
屋根裏や床下に
新たな命が組み込まれているかのような気配
残された二人は
まだ扉の前で戸惑いながら
出入りの許可を待つように
視線を交わしていた。
そして間もなく──
木の扉が再び静かに開かれ
中から時也が顔を覗かせて
にこやかに手招きをした。
「とりあえず
最低限の設備ではありますが⋯⋯
中を確認していただけますか?」
彼の声に促され
恐る恐る二人は中へと足を踏み入れる。
内部は、外観以上に丁寧に作られていた。
壁も床も天井も
すべて滑らかな木の肌が
心地よい光を湛えており
自然の香りが空間全体に満ちている。
一枚板の天板を用いた机と
それに合わせて削り出された椅子。
壁際には収納棚が備え付けられ
窓辺には風をよく通すように設計された
小さな換気口。
中央には
しっかりとした
木製のベッドフレームが置かれ
その上には
薄く織られた植物性のカバーが
整えられていた。
「あとで、マットレスや、窓⋯⋯
植物で再現できないものは
買い足しておきますね。
他にもご希望があれば
どうか遠慮なく仰ってください」
時也の柔らかな声が
木の壁に反響して消えていく。
レーファは目を見開いたまま
壁にそっと手を触れた。
その感触は
温かく、生きているようだった。
「すごい⋯⋯木のお家だ⋯⋯!」
彼女の声は息を呑むように小さく
それでいて
喜びを隠しきれない響きを持っていた。
エルネストもまた
静かに天井を見上げた。
彼の口は重く
瞳は深い思考に沈んでいたが──
ぽつりと、胸の奥から零れるように呟いた。
「⋯⋯俺の、家⋯⋯」
それは
命令された場所でも
与えられた檻でもない。
初めて
〝自分のために作られた空間〟だった。
木の壁に触れる彼の掌は
少し震えていた。
けれどその震えは、寒さではない。
確かに、それは〝温もり〟だった。
朝の光の中
ログハウスの小さな窓から差し込む陽が
二人の瞳をそっと照らしていた。