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「……ん……にゅ」
ユキはまぶたを重たげに開けた。
――お願い。
どうか夢であって。
目を開けたら、見慣れた天井と、ぬくもりのある部屋でありますように――
そんな祈りとは裏腹に、視界に映ったのは夜空に浮かぶ月と星。
背中に感じるのは、硬くてひんやりとした土の感触。
現実は、何ひとつ変わっていなかった。
……そう、思ったそのとき。
「……起きたか」
「にゃっ!?」
不意に聞こえた声に、ユキはビクリと跳ねて飛び起きる。
けれど、そこにいたのは――
「……あっ! お兄さんです! です!」
見覚えのある顔。
それは、ユキをアバレーからミクラルまで送り届けてくれたあの人――
【勇者】ヒロユキだった。
「お兄さん~っ!」
嬉しさがこみあげて、ユキは子供のようにそのまま飛びついた。
裸のままであることも、今の彼女には関係なかった。
「……」
ヒロユキは何も言わずに、その小さな体を受け止める。
そして静かに、足元に落ちていたワンピースを拾い上げると、ユキの体をそっと包み込んでやった。
「えへへ、助けに来てくれたですかっ!」
ユキはぱぁっと顔を明るくしてそう問いかけた。
だが――ヒロユキは、首を静かに横に振る。
「……え……じゃあ、お兄さんも……」
「……すまない」
短く、低く、そう告げられた言葉に――ユキの表情が一瞬だけ曇る。
それでも、すぐに笑顔を作り直した。
「だ、大丈夫ですっ! 一人より二人! 二人より――」
「……大勢、か?」
「おぉー! そうですです! おかあさんが言ってたのです!」
「……アオイが? ……ふむ」
ヒロユキの目が一瞬だけ遠くを見た。
「それより! ここはどこです? ミイちゃんは?」
「……ミイちゃん?」
「ミイちゃんはお友達です! おかぁさんと同じ金色の髪してて、大人になったら……おかぁさんと同じくらいおっぱいが……」
「……? よくわからないが、今のところ、君以外には誰にも会っていない」
「そうですか……うーん。これから、どうします?」
「……調査する。この道が……俺たちを呼んでいる気がする」
「道が、呼ぶです?」
「……あぁ。君はどうする?」
ユキは少しの間、黙って考える。
そして、くしゃっと笑顔を見せて言った。
「ユキも行くですっ!」
「……わかった」
それ以上何も言わず、ヒロユキはユキの体をしっかりと抱え、歩き出した。
「ねぇねぇ、お兄さんの仲間はどこですか?」
「……わからない」
「ひとりで来たんです?」
「……ああ」
「どうして?」
「……わからない」
「好きな食べ物は?」
「……わからない」
「むぅ~っ! お兄さん、お話つまらないです!」
「……」
そうやってユキがあれこれ質問を投げかけて、ヒロユキが淡々と答える――そんな奇妙に穏やかな時間が、しばらく続いた。
と、その時。
「……あっ! なんです、あれっ!」
「……ピラミッド……?」
歩く先、闇の向こうに――巨大な三角形の影が姿を現した。
「ぴらみっど? なんです? それ」
「……元いた世界にあった建造物だ」
「?????」
「(……どういうことだ。この場所は……とにかく、行ってみるしかない)」
「お兄さん?」
ユキの声に返事をせず、ヒロユキは片方の袖を無造作に破ると、その布でユキの裸足の足を包みはじめた。
「……ここに居ろ。中は危険だ」
「いやですっ! 一人はやですっ!」
「……」
きゅっと足にしがみついて離れないユキ。子供の力とはいえ、全力で抱きつかれるとそう簡単には剥がせない。
「やーぁー! 置いてくなんてダメです!」
「……はぁ」
ヒロユキは小さくため息を吐き――そして何も言わず、歩き出した。
その背を見て、ユキも満足げにあとをついていく。にこにこと、いつもの笑顔で。
──そして、特に言葉もないままに、二人はピラミッドの前に立った。
「……あっ! 人ですよ! 人です人です!」
ユキは嬉しそうに手を振りながら駆け寄っていく。
だが、ヒロユキの足は止まらず、それでも目は鋭く、相手を警戒していた。
(……こんな場所に“人”がいるのが、まずおかしい)
(……しかも一人きり。誘導か、監視か、それとも……)
ヒロユキはわずかに身構えつつ、歩を進める。
ユキにとっては希望。だが、ヒロユキにとっては“異物”だ。
二人が距離を詰めると――そこにいたのは、二十歳前後に見える、エジプト風の民族衣装を纏った女。
砂漠の日差しに映えるような金の装飾が施され、瞳は翡翠のように澄んでいる。
女は、近づいてくる二人ににっこりと微笑み、口を開いた。
「ようこそ。ここは“あなたの罪深さ”を試す場です。もし罪が深くなければ……あなたの願いを、なんでも叶えてあげますよ」
「(……こいつ)」
ヒロユキは女の言葉よりも、その“存在そのもの”に違和感を覚えていた。理屈ではなく、何かが引っかかっている。
そんな空気を知らずに、ユキが無邪気に質問を投げかける。
「ここはどこです?」
だが、女はユキの方を一度も見ようとせず、ただ淡々と口を開いた。
「それは……願いですか?」
以降、ユキの問いかけにはすべて同じ返しが続く。
「むぅ! むぅー!」
「……どうすればいい」
ヒロユキが諦めたように尋ねると、女は彼の顔を見据え、静かに答える。
「こちらへ」
そのまま踵を返し、ピラミッドの内部へと歩いていく。
「……来い、ということか」
ヒロユキは周囲に警戒を払いながら、ユキとともにその後を追った。
内部は不気味なほど静かだった。いくつもの松明が壁に灯されており、揺れる炎が闇を照らす。明るさはあるが、どこか落ち着かない空気が満ちていた。
──そして。
「……こ、これは」
「な、なんです!? これ!」
通路の奥。たどり着いた大部屋には、天井すら届きそうなほど巨大な──金色の天秤が鎮座していた。
「こちらへ、お乗りください」
案内人の女が手で示したのは、天秤の片側──まるで最初から“そこに乗る”と決まっていたかのような所作だった。
ヒロユキの中で、強烈な警鐘が鳴る。理屈じゃない。本能が、全身を使って警告している。
(……これは乗ってはいけない)
「…………断る」
女の笑みが、僅かに揺らぐ。
「なんと?」
「断ると、言った」
「お兄さん……?」
ユキが不安げに問いかけるが、ヒロユキは目を逸らさず、静かに呟く。
「……下がっていろ」
気配を察したユキは黙って入口の方へ下がる。
「乱暴は──お止めください」
女がそう言った瞬間、表情が豹変する。
見開いた瞳。狂気を孕んだ声で、彼女はまるで壊れた人形のように言葉を繰り返し始めた。
「お止めください、お止めください、お止めください……乱暴はお止めください……乱暴は……お止めください……!」
その不気味な反復が止んだ瞬間──女の口から、ヒロユキが最も警戒すべき名前が発せられる。
「お止めください……【魔王】様が、見てますよ」
「…………ッ!!」
空気が凍りついた。
次の瞬間──その“名”を証明するように、天秤の上から、地の底を這うような低音が響く。
「……よく来たな、【勇者】よ」
見上げるとそこには──
黒い肌に黄金の衣をまとい、片目に天秤の紋章を宿した青年が、玉座のように天秤の上からこちらを見下ろしていた。
その存在感は、まさに――絶対。
「……魔王」
「いかにも。我は、魔神様より【リブラ】の地位を与えられし者。魔王【メイト】だ」
青年は天秤の上から威圧的な視線を注ぎながら、淡々と告げた。
「貴様の名は?」
「……」
「安心しろ、名を聞いてどうこうするつもりはない」
「……ヒロユキ」
「そうか。では、その小娘の名は?」
「……!?」
「わっ、な、なんですかっ!?」
メイトがユキに目を向けた瞬間、ユキの身体が宙へ浮き、ヒロユキの隣へと移動していた。
「名は?」
「ユ、ユキはユキです!」
「ふむ……では、勇者ヒロユキ。そして小娘ユキ。問おう――」
――「貴様らの魂は、罪深くはないか?」
「……知らん」
ヒロユキは拳を握る。だが動けない。
ユキを連れてきた今、彼女が人質であるという事実が、全ての行動を縛っていた。
「安心しろ。この天秤は素直だ」
メイトの声に嘘はない。
「貴様らが本当に罪深くないのであれば……お前たちの乗る皿は、“良き方向”へ傾くだろう」
「……何と天秤にかける」
「よかろう、教えてやろう」
そう言って、メイトはゆっくりと一枚の魔皮紙を取り出した。
「……?」
「これは基準だ」
「……基準?」
「この魔皮紙はな……**百人分の“人間の皮”**で作られたものだ」
「……ッ!!」
「他にもストックはある。つまり――この基準よりも貴様らの魂が“重いか”どうかを見させてもらおう」
「……貴様ッ!」
怒りを抑えきれず、ヒロユキが拳を振り上げる。
――が。
「落ち着け」
「ぐっ……!」
見えない“力”が全身を縛る。重力か、あるいは何か別の支配か。
ヒロユキはその場に膝をつき、立ち上がることも叶わない。
「お兄さん!? どうしたんですか!?」
「……くっ……動けない……!」
「話は、終わりだ」
「う、うわっ、またですかっ!?」
【重力】を操るように、ヒロユキとユキの身体が宙に浮かび――
金色の天秤の上へと、静かに置かれる。
「さぁ……お前たちは、どれほど汚れているか」
沈黙の中、天秤が――ゆっくりと、動き出した。
そして、結果は――
魔皮紙よりも遥かに重い位置で止まった。
「……これほどの“罪”とは。知らぬとは、恐ろしいものだな」
魔王【メイト】の声が、響き渡る。
「罪深き者よ、魂を改めよ――」