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教室に入った瞬間、空気が変わったのがわかった。
いつものことだ。
けれど、その「いつも」は、日に日に棘を増している。
蓮司と“付き合っている”──
そう信じている者たちの目線は、憎悪に似た熱を帯びていた。
とくに女子たちは、露骨だった。
遥が席に着いた瞬間、机の脚に誰かの足がぶつかった。
意図的に。わざとらしく。
「──あ、ゴメン、気づかなかった」
そう言った女子の声は、悪びれるどころか、笑っていた。
わざとらしい謝罪、わざとらしい無関心。
近くの女子たちは、筆箱をカタンと落とし、それを拾うフリをしながら、遥の足元にわざと手を伸ばした。
肘が当たる。わざと。
髪が引っかかる。わざと。
「……ねぇ、“彼氏さん”とは昨夜もラブラブだったの?」
一人がわざと聞こえるように言った。
教室のざわめきにかき消されるような、でも、はっきり聞こえる声で。
もう一人がすかさず笑う。
「ほんと、蓮司って見る目ないよね。……あんなのがいいんだ?」
「趣味悪ぅ……。てか、マジでヤってんのかな」
「でなきゃ、あんな必死にならないでしょ? “好きすぎて馬鹿みたい”なんでしょ?」
クスクスと笑いが波打つように広がった。
遥の背後、横、前──どこからも、嘲りが漏れていた。
──好きすぎて、馬鹿みたい。
誰かが教室で言った、自分の言葉を真似して笑う。
遥の身体の奥で、何かがカリカリと削れる音がした。
(演技だよ)
(全部、演技。……信じさせるために、言っただけだ)
──でも、その「演技」が信じられて、信じられているからこそ、女子たちは遥を許さなかった。
蓮司はモテる。
顔もよくて、愛想もよくて、あっちこっちに気まぐれに優しい。
でも、誰のことも本気では見ない。
そんな蓮司が「唯一選んだ相手」が遥──
それが、女子たちの苛立ちに火をつけていた。
(どうせ、ただの遊びだ。どうせ、全部嘘だ)
遥はそう思っていた。
でも、彼女たちは信じていた。
「本気なのかもしれない」と。
──だから、許されない。
だから、苛立つ。
だから、叩く。
午前中の休み時間、机の中に紙くずが突っ込まれていた。
『サイテーのビッチ。早く別れて』
手書きの字。
明らかに女子の筆跡。
誰が書いたかなんて、もうどうでもよかった。
遥はその紙を握りしめ、無言で破った。
ゴミ箱には捨てない。
ポケットの中に、ぐしゃぐしゃに丸めて押し込んだ。
蓮司はその間、一度も声をかけてこなかった。
いつものように、誰かと軽く話しながら教室の端にいて──
ときどき、遥の方を見て、面白そうに笑っていた。
(楽しんでるんだろ)
(全部、俺の壊れ方を見るのを)
その視線だけで、遥の呼吸は浅くなる。
と同時に、教室の隅。
あの、変わらずまっすぐな目だけは、遥を見ていた。
日下部。
何も言わない。
ただ、見る。
(──見んなよ)
見てほしいと、願ったはずなのに。
いまはその目が、ただ、苦しかった。
(信じさせたい。……けど、信じられたら、壊れる)
遥は、自分で蒔いた種の中で、じわじわと呼吸できなくなっていた。