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「ねぇ春凪。もしかして怒っていますか?」
 私がグダグダな気持ちのまま、どうにかこうにか作った親子丼をふたり横並びになってダイニングカウンターで食べながら。
 いつもと同じ。
 対面で座るわけじゃないから顔を見られなくていいなって思っていたんだけど……いつもならうるさいくらいにアレコレ喋る私が黙り込んでいたから宗親さんに不審がられてしまったみたい。
 職場では出来る部下になれたと思ったのに……家ではダメな偽装妻だなって溜め息が漏れそうになる。
 「おっ、怒ったりなんてしてないですよ? えっと……し、強いて言うなら……その、入籍のことを宗親さんからお聞きしてちょっと驚いたというか……」
 私のバカ。
驚いたんです、って断言すれば良かったのに、まだ続きがあるみたいな言い回し。完全に墓穴掘っちゃったじゃない。
 「驚いたというか?」
 当然、続きを促すように宗親さんに言葉尻を拾われて、私は言い訳を探して所在なく親子丼をかき回した。
 「春凪?」
 明らかに不審な動きをしていたからだろう。宗親さんに箸を持つ手をそっと握られて動きを封じられて、心臓が大きく飛び跳ねる。
 「本当に怒っては……いないんです。ただ――」
 一緒に婚姻届を提出しに行けなかったこと、相談してもらえなかったことが寂しかっただけで。
 そんな本音を伝えてしまったら、宗親さんは困ってしまうよね。
 元々私たち、利害関係で結婚しようって話してたんだもの。
タイミングの良い時に婚姻届を出されたぐらいで、こんなにショックを受けてたらダメでしょう?
 頭では分かっているのに、心が拒絶するからか、またしてもじわりと目尻に涙が滲んできて、私は懸命にまばたきをこらえた。
 宗親さんにそんな情けない顔を見られたくなくて、見るとはなしに手元に視線を落としていたら、
 「もしかして……指輪がまだなこと、拗ねてますか?」
 私の手指をギュッと握る宗親さんに、私は心の中で「え?」と思って。
 そういえば、確かに指輪がまだだけれど、言われるまでそんなこと、気にもしていなかったのだと逆に気付かされた。
 私にとって大切なのは物じゃなくて、心だったから。
 こんなところでも「形から」整えたい宗親さんと、ズレが生じているんだ、と胸が苦しくなった。
 でもダメ。
こんな気持ち、宗親さんに悟られちゃいけない。
 
 「……もぉ、やっと気付いたんですか? 本当遅いですよ?」
 気持ちを切り替えるように宗親さんの方を敢えて向くと、私は目端に滲んでいた涙をわざとらしく彼の前で拭った。
 「指輪パッカーン!は女の子の夢なんですからっ! 偽装だから指輪もないんだ!って思ったら、悲しくて泣けてきちゃったじゃないですか」
 私、ちゃんと誤魔化せたかな?
偽装妻らしく、恩着せがましくふてぶてしい態度で言葉を紡げた?
 はぁ〜っと盛大に溜め息をついて見せながら、内心オロオロしまくっているのはひた隠しにして宗親さんの様子を窺う。
 
 鋭い人だから真意を見抜かれてしまうんじゃないかと不安だったけど、宗親さんは、私の言葉をそのまま素直に受け取って下さったみたい。
 「すみません、春凪。別に忘れていたわけではないんです。ただ、1日も早く籍を入れて、現状を打開したかったというか……。その――」
 そこで私をギュッと抱き寄せると、「端的にいうと……キミを抱きたいって気持ちがそろそろ限界だったんです」ってささやくように言ってくるとか……ずるくないですか?
 私、宗親さんにお飾り程度にしか思われていない様に感じて悲しんでいる真っ最中なのに。
そんな(単に性欲のためだけかもしれないけれど)まるで私のことが必要だとでも言わんばかりの理由を上げていらっしゃるとか。
 私、ここで暮らし始めてからずっと宗親さんと一緒のベッドで寝起きしていて。
宗親さんは私に対して何もしていらっしゃらないから、まさかそんなことを思っておられるだなんて、思いつきもしなかった。
 
 何なら私ばかり彼のことを意識していて。
思いっきりベッドの隅っこに寄って、毎晩毎晩宗親さんの寝息でさえも意識して眠れない夜を過ごしているんだとばかり思っていたくらい。
 「……だけど宗親さん、今までそんな素振り、微塵も見せなかったじゃないですか」
 思わず非難がましく言ったら「見せても良かったんですか?」って耳朶を食まれてゾクリと全身が粟立つ。
 「よ、良くない、ですっ」
 耳を押さえて身体をすくませた私に、宗親さんがクスクス笑って。
 「でも今夜からは大いに見せることにしますね」
 とか。
 偽装夫婦問題で泣きそうだったこともポンと頭から飛んでしまうくらい、私はそのことに気持ちを囚われてしまう。
 「――春凪。今夜はいよいよ初夜ですね」
 宗親さんの言葉に、私は何も答えることができなかった。
 
 ***
 
 お風呂から上がると、いつもならリビングで寛いでいらっしゃるはずの宗親さんが、廊下で待ち構えていた。
 今日の宗親さんは珍しく私より先に入浴を済ませていらしたので、持ち帰りのお仕事でもおありなのかな?とか思っていたのだけれど。
 「えっ、あのっ。宗親さんっ? なっ、何事ですかっ?」
 常ならぬことに戸惑う私の手をギュッと握ると、宗親さんが当然のことのように仰るの。
 「さっき、『今夜はいよいよ初夜ですね』ってお話しましたよね? 入籍も済ませたわけですし、今後は春凪としたい気持ちを『大いに見せることにします』とも宣言したはずです」
 確かに夕飯のとき、「今夜は初夜」だの「抱きたい気持ちが限界だった」だの「そんな素振りを大いに見せていくようにする」だの言われはしましたけれどっ。
 「――さぁ、湯冷めしないうちに寝室へ行きましょう」
 腹黒スマイルとともに一気にまくし立てられて、グイッと手を引かれた私は、「そこまで切羽詰まっていらしたのですか、宗親さぁ〜ん!」と思わずにはいられなくて。
 「あ、あのっ、宗親さんっ、私まだ心の――」
 準備がっ!とか何とか続けたいのに、手を引かれて歩き出されてしまったから、言えない言葉が心の中で空回りしてしまう。
 ――ばかりか。