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唯由が採血場になっている小ホールを出ようとしたとき、午前中に採血できなかった人たちがゾロゾロとやってきた。
採血が済んでから昼食のようで、開始前から早くも列ができている。
去ろうとする唯由の背後で早月が呟くのが聞こえてきた。
「ふふふ。
来たわ、来たわ。
自ら進んで腕を差し出してくる者どもが」
早月は見るからに新米っぽい看護師に向かい言った。
「しぎちゃん、さあ、頑張って練習しなさいっ」
「はいっ」
いやそれ、彼らにとっては、本番……。
小ホールは二階なので、エレベーターには乗らずに階段で下りた。
少し先を歩く蓮太郎が、お前は上に戻るんじゃないのかという顔で振り向いたが、唯由は、
いやいや、自動販売機にジュース買いに行くんですよ、という顔をする。
いや、それで通じていたかはわからないのだが、蓮太郎は自分のあとをついてくる唯由に不思議そうな顔をしながらも、問い詰めてはこなかった。
ただ、
「どうした。
元気がないな」
と訊いてくる。
いえ、で済まそうかな、と思ったが。
この下僕、なんだかんだで、王様にちゃんと仕えているので、たまには愚痴ってもいいかなと思い、言ってみた。
「さっき、ちょっと思ったんですよね。
王様ゲームのとき、雪村さんが違う番号言ってたら、今、雪村さんといるの、違う人だったんだろうなって」
だが、蓮太郎は前を向いたまま言ってくる。
「莫迦め」
お前以外の誰が、愛人になれとかいう提案を受けるんだ、とか言うんだろうな、と思っていた。
だが、蓮太郎は、
「お前だから言ったんだ」
と言う。
「……は?」
「お前、席替えのとき、持ってたろ、三番の札。
だから、三番、お前のイメージだったんだ」
当たったな、すごいだろう、と子どものように無邪気に言い、はははは、と蓮太郎は笑う。
どうしよう……。
唯由がついて来ていないのに気づき、蓮太郎が振り返った。
「どうした?
何処か行くんじゃないのか?」
は、はいっ、と慌てて階段を下りながら、ちょっと泣きそうになっていた。
どうしよう。
私……
この人のこと、好きかもしれません。
こんな人好きになったら、絶対苦労するのにな~。
……いろんな意味で。
そう思いながらも、蓮太郎といっしょに研究棟の自動販売機の前まで行った。
別に、なにか買いたかったわけでもないのだが……。
酒を呑みすぎて暖炉の前のソファで寝てしまった虹子は人の気配に目を覚ました。
もう深夜らしく、屋敷の中は静まりかえっている。
だが、隣の部屋からキイ……パタン。
キイ……パタン、となにかを開けたり閉めたりする音がときどき聞こえて来ていた。
泥棒がなにかを物色しているのだろうか。
そっと起きると、メイドたちがかけてくれていた毛布が床に滑り落ちる。
毛布とは言え、静かな中なので、よく響いた。
しまった、音が……と思ったが、隣の部屋からは気にせず、開け閉めする音がする。
内線で三条たちを呼ぼうか。
だが、受話器を持ち上げるときの音が毛布以上に響きそうだし、話し声で警戒されそうだ。
スマホからメッセージで月子に連絡して、月子から使用人たちに連絡をとってもらうか、とも思ったが。
スマホが近くにない。
もうっ、と思った気の短い虹子は、そっと扉を開け、隣の部屋を覗くことにした。
いざとなったら、悲鳴を上げればいい。
屈強な使用人たちと、なんだかわからない迫力のある三条がすぐにやってくることだろう。
学生時代、声楽をやっていたので、声量には自信があった。
あの頃の私は夢みがちな乙女だったな、と思い出す。
まさか、自分が略奪女と呼ばれることになるなんて。
恋愛小説やドラマのヒロインのように、一直線に愛に向かって走り、みんなに祝福されて結婚することを夢見る少女だったのに。
人生、いろいろと上手くいかない。
誰もが人の人生の悪役になりたくてなるわけではないのに、とも思うが。
自分の立場になったのが、早月だったり、唯由だったりすれば、まったく違う生き方をしていたのだろうな、というのはわかっていた。
あ~、此処に唯由さんがいたら、自分では想像もつかないような手段を使って、一瞬で撃退してくれそうなのに、
と虹子はつい、娘ではなく、唯由を頼ってしまう。
早月が育てたあの逞しい娘は、どんな逆境でもすり抜けて楽しくやってそうだ。
だが、そんなシンデレラ唯由も出ていってしまって、もういない。
シンデレラに頼れなくなった継母は、暖炉の側にあった火かき棒を手に取った。
唯由が見ていたら、
「いやいや、いきなり不審者、撲殺する気ですかっ」
と叫びそうだったが。
殺られる前に殺る。
殺られそうになくとも殺るっ、が虹子の信条だった。
そっと扉を開けて窺おうとしたが、まどろっこしいことは苦手な性格なので、バンッと派手に扉を押し開けていた。
こういうところは、お互い認めないだろうが、早月とよく似ていた。
夫の好みなのだろう。
「誰っ!?」
と声を上げ、電気をつけると、ガラス扉の前に居たシンデレラが眩しそうに目をしばたたいた。
「唯由さんっ!?」
「ああ、お義母さん。
すみません。
起こしてしまって。
そっと探して出ていくつもりだったんですが」
あ、三条たちには断って入りましたよ、と唯由は言う。
「私のカメラ、どれでしたっけね?
出るとき持っていきそびれたので」
唯由は幾つもあるガラス扉の飾り棚に並んだカメラを見上げていた。
夫の趣味のカメラだ。
中に唯由のものもあったらしい。
「知らないわよ。
好きなの持っていきなさいよ。
あなただったら、あの人もなにも言わないでしょ」
「そうですか。
じゃあ、これにしようかな、軽そうだし」
唯由は比較的コンパクトなカメラを手にとった。
そんな唯由を見ながら、緊張が解けた虹子はあくびをして言う。
「泥棒かと思ったわ」
唯由は笑い、
「そんなの三条たちが見逃しませんよ」
と言った。
使用人たちへの信頼感あふれる言葉だった。
今の自分にはまだ出せない言葉だ。
やはり、唯由こそがこの屋敷の主人に相応しいんだろうなとは思う。
まあ、譲るつもりはないのだが。
「あなたの姿を見たとき……
夜食を作りに来てくれたのかと思った」
思わず願望を語る。
いや、そんなわけないですよね、と言いながらも唯由は、ちょっと笑って、言ってくれた。
「まあ、驚かせてしまったお詫びに作りましょうか、中華粥」
「まあっ、早月さん、なんてことをっ」
中華粥をパクパク食べながら、虹子が叫ぶのを唯由は側に立って眺めていた。
「娘の代わりに家電だなんてっ。
唯由さんの料理には便利家電なんて敵わないのにっ」
……なんだろう。
実の母より、義理の母の方があったかい。
三条たちも起きていたので、唯由はみんなにも中華粥をふるまった。
珍しく虹子が、
「みんなもここで食べなさいよ」
と言ったのだが、三条たちは苦笑いして粥を手に去っていった。
まあわかる……、と唯由は思っていた。
お義母さんと同じ食卓。
機嫌が良くても、突然、悪くなってなにが起こるかわからないからな、と唯由も警戒していた。
さっきから何度も、
「落ち着かないから座りなさいよ。
あなた、一応、私の娘で使用人じゃないのよ」
と言われているのだが、側に立ちっぱなしなのは、なにかあったらすぐに逃亡できるようにだ。
……ああ、帰れる場所があるっていい、と唯由はしみじみ思っていた。
ずっとこの、いつなにが起こるかわからない緊迫感の中にいなくていいからだ。
いや、この広い屋敷の中、顔を合わせまいと逃げ惑えば、会わなくてすむのだが。
用事を言いつけようと探し回られたりするからな。
そのパワーで自分でやればいいのに、といつも思っていた。