テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
#探偵
橘靖竜
6,601
4,465
にゃいにゃい
74
第309話 書き換えられないもの
【現実世界・雲賀家/翌朝】
白峰律の告白を見た翌朝も、ハレルの頭には最後の言葉が残っていた。
――人間が、自分で決める余地です。
食卓の前に座りながら、ハレルは胸元のカメラ型ネックレスへ指を触れた。
主鍵。
これまで何度も、誰かを元の場所へ戻すために使ってきた。
けれど。
戻せることと、戻りたいことは違う。
昨日、その意味を初めてはっきり考えた。
向かいでは、サキが朝食にもほとんど手をつけず、難しい顔をしていた。
「お兄ちゃん」
「何?」
「昨日から考えてるんだけど」
サキは箸を置いた。
「記憶って、変えられるんだよね」
「白峰さんたちの実験を見る限りは」
「名前も消せる」
「うん」
「別の人の記憶も入れられる」
「そうみたいだね」
「身体だって別の人のにできる」
そこまで言って
サキは首を傾げた。
「じゃあ、人って全部変えられちゃうの?」
ハレルは答えられなかった。
身体。
記憶。
名前。
人格。
それまで、人間を作っていると思っていたものが
一つずつ実験の中で変えられていた。
「全部変えられたら」
サキが続ける。
「その人、いなくなっちゃうのかな」
「……分からない」
後ろから声がした。
「私も、それをずっと考えていた」
二人が振り返る。
匠が立っていた。
まだ顔には少し疲れが残っている。
それでも昨日よりは血色がよく、片手にはコーヒーの入ったカップを持っていた。
サキが椅子を引く。
「お父さん、起きて大丈夫?」
「寝てばかりもいられない」
「木崎さんに怒られるよ」
「本人がいないところでまで木崎の言うことを聞く必要はないだろ」
ハレルが少し笑った。
匠も席につく。
そして、ハレルの胸にある主鍵を見る。
「昨日の律の記録、見たんだな」
「うん」
ハレルが答えた。
「お父さんが昔、白峰さんに言ったことも」
匠は何も言わない。
「記録を集めても、その人にはならないって」
「ああ」
「どうして、そう思ったの?」
匠は少し考えた。
「簡単な話だ」
カップを置く。
「記録は、全部過去だからだ」
ハレルとサキが見る。
「写真も、文章も、声も、行動履歴も、昨日まで何を選んだかという記録だ。どれだけ集めても、そこにあるのは、その人が今まで何をしてきたかだ」
匠は続ける。
「でも人間は、次に何をするかまで記録されているわけじゃない」
サキが聞く。
「性格が分かれば予想できるんじゃない?」
「予想はできる」
「でも絶対じゃない?」
「ああ」
匠は頷いた。
「いつも同じ店で同じものを食べる人間が、今日だけ別のものを頼むかもしれない。ずっと嫌いだった相手を、明日許すかもしれない。逆に、信じていた人間を拒むかもしれない」
ハレルは
昨日の白峰を思い出す。
恋人を戻すために
死を取り消せる世界を作ろうとした男。
その白峰自身が
今は、過去を変える必要はないと言った。
昔の白峰の記録だけからなら予想できなかった答え。
「変わることも」
ハレルが言った。
「その人ってこと?」
匠はすぐには答えなかった。
「少なくとも」
静かに言う。
「私はそう思っている」
◆ ◆ ◆
その日の昼。
ノノから解析結果が届いた。
白峰が送った過去の実験記録について、異世界側でも確認を続けていたのだ。
ハレルとサキはパソコンの前へ移り、匠も少し離れたところから画面を見る。
ノノの声が通信から聞こえる。
『昨日の記録、少し整理できたよ』
「何か分かった?」
ハレルが聞く。
『うん。でも、“これが魂です”みたいな分かりやすいものは見つかってない』
ノノらしい慎重な答えだった。
画面へ
複数の実験結果が表示される。
被験体C。
被験体D。
互いの身体へ意識コアを入れ替え。
さらに身体側の持ち主の記憶を与えた二人。
『同じくらいの量の記憶を入れて、同じように人格情報を書き込んでる。でも結果は違った』
一人は
与えられた名前と人生を
徐々に自分自身だと認識した。
もう一人は
記憶を持ちながら最後まで
「これは自分の人生ではない」
と拒否した。
次。
被験体E。
事故の記憶を消された男。
事故そのものを思い出せなくなっても。
雨。
車のライト。
特定の音。
身体と意識コアに恐怖反応が残った。
サキが言う。
「やっぱり残るんだ」
ノノは答える。
『うん。でも、“絶対に消せない何かが一個ある”って意味ではないと思う』
「違うの?」
『記憶も変えられる。感情反応も抑えられる。名前も変えられる。自己認識もかなり動かせる』
ノノは少し間を置いた。
『ただ、全部を書き換えたつもりでも、次の反応まで完全には決められなかった』
ハレルが画面を見る。
「次の反応……」
『うん』
同じ刺激。
似た条件。
近い記憶定着率。
それでも。
違う答え。
違う拒絶。
違う恐怖。
『もちろん、まだ測れていない要素があるだけかもしれない』
ノノは言う。
『だから、“人間には絶対に書き換えられない神秘的な何かがあります”とは言えない』
「でも」
サキが聞く。
「全部分かってないのに、その人がこう思うはずって決めちゃ駄目ってこと?」
通信の向こうでノノが少し黙った。
『私は、そう思う』
◆ ◆ ◆
匠が画面へ近づいた。
「主鍵も同じだ」
ハレルが振り返る。
「これ?」
胸元のネックレスへ触れる。
「ああ」
匠は言った。
「私は、鍵に“正しい答え”を入れなかった」
「正しい答え?」
「この人間はここへ帰るべきだ。この名前であるべきだ。この世界にいるべきだ。そういう命令を入れていない」
主鍵が作られた本来の目的。
観測。
記録。
境界を越えた時に。
本人が本人であるための基準を残す。
「だから主鍵は」
匠が続ける。
「道を作ることはできる」
「でも」
ハレルが言う。
「どの道を選ぶかまでは決めない」
「ああ」
匠が頷いた。
サキが少しだけ笑った。
「じゃあ、お兄ちゃんの鍵、案内板みたいだね」
「案内板?」
「こっち行けるよ、あっちも行けるよ、って。でも行く方は自分で決める」
匠も僅かに笑った。
「それくらいでいいのかもしれないな」
ハレルは胸の主鍵を見下ろした。
今まで
もっと大きなものだと思っていた。
世界を繋ぐ鍵。
人を戻す鍵。
でも
本当に守らなければならなかったものは
戻す力そのものではなかったのかもしれない。
本人が、最後に選べること。
◆ ◆ ◆
【どこでもない層/深部】
白色コアから伸びた細い線はまだ消えていなかった。
白峰律へでもなく。
カシウスへでもなく。
二人の間を避け外側へ向かっている。
Cの声が響く。
『経路形成反応を継続確認』
カシウスが聞く。
「接続先は」
『未確定』
「予測しろ」
『現在の情報のみでは、高精度予測は困難です』
カシウスの目が細くなる。
「榊原梓の記録はある」
『あります』
「性格も」
『一部復元済みです』
「過去の行動も」
『確認可能です』
「なら、次に何を選ぶか計算できる」
Cが答える。
『候補の算出は可能です』
空間表示へ複数の経路が現れる。
《白峰律》
《現実側身体座標・不明》
《一ノ瀬ユナ》
《旧同期座標》
《外部観測経路》
複数。
確率。
だが。
どれも決定的ではない。
カシウスが表示を見る。
「一番高いものは」
『一ノ瀬ユナ方向への反応です』
白峰が僅かに顔を上げる。
白色コア。
榊原梓。
その光から伸びている線。
確かにユナとの記憶反応が強かった。
だが、次の瞬間
線が動いた。
表示された最短経路から外れる。
Cがすぐ反応する。
『予測経路から離脱』
カシウスの眉が動く。
「補正しろ」
『補正中』
新しい候補。
線はまた外れる。
今度は
旧同期座標にも
白峰にも向かわない。
何もないように見える場所へ
自分自身で新しい経路を作ろうとしている。
白峰がその光を見る。
「……選んでいる」
カシウスが振り返る。
「何を」
「道を」
「予測できていないだけだ」
「そうかもしれない」
白峰は否定しなかった。
カシウスの目が僅かに変わる。
白峰は続ける。
「まだ観測できていない情報があるだけかもしれない。全部測れば、いつか予測できるのかもしれない」
「ならば――」
「でも」
白峰が遮った。
「測れていない今、あなたが答えを決める理由にはならない」
沈黙。
カシウスは白色コアを見る。
「君は随分と匠に似てきた」
「昔から」
白峰が答える。
「彼の言っていることが分からなかったわけじゃない」
「認めたくなかった?」
「認めれば」
白峰の目が僅かに下がる。
「彼女を戻せない理由になったからです」
死んだ恋人。
残された記録。
本人の選択。
聞けない答え。
だから白峰は
そこを技術の問題へ置き換えた。
聞けないなら
予測する。
足りないなら
作る。
そして
自分が望む答えに
近づける。
「私は」
白峰が言う。
「書き換えられないものを探していたんじゃない」
カシウスが見る。
「何を探していた」
「私が書き換えてもいい理由です」
その言葉にカシウスは答えなかった。
◆ ◆ ◆
白色コアがまた強く光った。
《名称固定・榊原梓》
Cの表示。
《自己認識反応・上昇》
白峰が一歩近づこうとする。
だが途中で止まった。
前回。
自分は言った。
――今度は、あなたが決めてください。
なら、近づき
誘導してはいけない。
名前を呼ぶことさえ
今は待つ。
カシウスが聞く。
「呼ばないのか」
「ええ」
「名前が反応を強める」
「分かっています」
「なら呼べ」
白峰は首を振った。
「私が呼べば、私の方へ来るかもしれない」
「それの何が問題だ」
「それが」
白峰は白い光を見つめる。
「私の望んだ答えかもしれないからです」
白色コアは静かに
新しい線を伸ばしている。
誰にも呼ばれず。
誰にも示されず。
それでも何かを探すように。
Cが反応を拾う。
『外部接続先から微弱な観測反応』
白峰の表情が変わった。
カシウスも表示を見る。
『現実側』
一つの反応。
そして。
もう一つ。
『主鍵反応を検出』
◆ ◆ ◆
【現実世界・雲賀家】
ハレルの胸元で
主鍵が突然、淡く光った。
「……え?」
サキも気づく。
「お兄ちゃん」
匠が立ち上がる。
「触るな」
ハレルは
伸ばしかけた手を止めた。
主鍵から細い光。
いつものように
何かを引き寄せる光ではない。
方向を示している。
遠くどこか
まだ見えない場所。
サキが胸元を押さえた。
「誰かいる」
匠が見る。
「分かるのか」
「うん」
サキは
少し迷ってから言った。
「でも」
「何だ」
「助けて、じゃない」
ハレルがサキを見る。
「じゃあ?」
サキは主鍵から伸びる光を見る。
「……探してる」
「何を」
サキはすぐには答えなかった。
やがて小さく言う。
「自分を呼んでくれる人を」
その瞬間。
ハレルの頭に
一つの名前が浮かんだ。
榊原梓。
だが口には出さなかった。
まだ決めない。
それが誰なのかも。
何を望んでいるのかも。
本人より先に。
「お父さん」
ハレルが言う。
「この鍵で、こっちに引っ張れる?」
匠は主鍵を見る。
「可能性はある」
「今やるべき?」
匠はすぐには答えなかった。
ハレルも答えを急がない。
やがて匠が言う。
「ハレル」
「うん」
「お前はどうしたい」
以前なら。
戻す。
そう答えていたかもしれない。
でも今は違う。
ハレルは光の先を見る。
「まず」
胸の主鍵へそっと手を添えた。
「聞きたい」
サキが横で頷く。
「その人が」
ハレルは続けた。
「どこへ行きたいのか」
主鍵の光が僅かに強くなった。
まるで。
遠くにいる誰かが。
その言葉を。
聞いたように。
◆ ◆ ◆
【どこでもない層/深部】
白色コアが大きく脈打った。
Cの声。
『主鍵との相互反応を確認』
カシウスが一歩前へ出る。
「固定しろ」
白峰がすぐに言った。
「待ってください」
「今なら捕まえられる」
「捕まえるんじゃない」
カシウスが白峰を見る。
白峰は白色コアから伸びる光を見た。
そして静かに言った。
「向こうが」
一拍。
「答えるまで待つ」
カシウスの表情から僅かに温度が消える。
だが白峰は、
もう目を逸らさなかった。
記憶は。
書き換えられる。
名前も。
人格も。
身体さえ
変えることができる。
それでも書き換えた側が
最後まで自由に決められなかったものがある。
次に、その人が何を選ぶのか。
白色コアは。
主鍵の光へ向かい。
ゆっくりと。
新しい線を伸ばし始めた。
コメント
1件
うん、読んだよ……第309話🥀 「書き換えられないもの」ってタイトルだけど、結局答えは“次の選択”なんだよね。サキの「全部変えられたらその人いなくなっちゃうのかな」って問い、すごく刺さった。匠さんの「記録は全部過去だから」っていう言葉も、胸に落ちたよ。 それに、白峰が「自分が書き換えてもいい理由を探していた」って認めたところ、ずっしり来た。あの人、やっと向き合い始めたんだね。 そして最後、ハレルが「その人がどこへ行きたいのか聞きたい」って言ったシーン……もう本当に、涙出そうになった。主鍵が光って、梓も応えようとしてるみたいで。 橘さんの描く“選ぶことの尊さ”、今日もちゃんと受け取ったよ🤍 続き、すごく気になる……!