テラーノベル
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「おい、起きろ」
「眠いー……」
「今日も会社だろうが、ほら、送ってやるから」
今日も今日とて腰タオルの槙野が美冬の頬をつつきながら、甘い声で起こす。
美冬は目を擦りながら身体を起こした。
「もー、眠いの祐輔のせいだからぁ」
昨日は興奮した槙野に抱き潰されて、寝不足な上、なんだか足腰に力が入らない。
しかも朝の光の中で確認すると、あちこちにキスマークがついていて、しばらく人前での着替えはできなさそうだ。
一方の槙野は昨日夜、散々美冬と心ゆくまでいたしたこともあり、ツヤッツヤである。
「舌っ足らず可愛いなー。このままベッドに引きずり込みたくなる」
「無理っ!」
それを聞いて布団で身体を隠して涙目で睨む美冬だ。
「朝メシ作ってやるから、シャワー浴びてこいよ」
美冬の抵抗など気にしないで、槙野はベッドの横に軽く座って、美冬の額にキスをする。
「パンがいいよー」
「そう言うかと思って、朝の焼き立て買ってきたぞ」
「ホントにっ!?」
朝から焼き立てパンを提供してくれるのはマンションの近くの早朝からオープンしているパン屋のパンだ。
朝イチに行かないと売り切れてしまうくらい人気のパン屋なのだが、槙野のジョギングコースでもあるらしく、タイミングが合えば買ってきてくれる。
そのパンが美冬は大好きだ。
現金なもので、それを聞いた美冬はベッドから出ることにした。
シャワーを浴びて支度を終えた美冬がダイニングに向かうと、もう準備万端の槙野がコーヒーを淹れてくれていた。
焼きたてのパンはいい香りを漂わせている。
槙野は先ほどまでのラフな感じと違い、シャツとズボンという姿で、髪もピシッと決まっている。
後はベストを着て、ジャケットを羽織れば即座に出勤できる出勤前スタイルだ。
「ふわー! いい匂い! 祐輔、朝からありがとう」
ダイニングテーブルで向かい合わせに座って、美冬はいただきますと手を合わせる。
「美冬の寝顔が可愛いし、ぎゅっと抱きついてくるのもたまらないし、あのままだと抱いてしまいそうだったんでジョギングしてきた」
そう言って、笑顔の槙野は美冬にコーヒーを渡す。
「え?」
(ジョギング? ……とは?)
それはなんとなく体力はあるんだろうなとは思っていたけれど、美冬には信じられない。
散々昨日したのではないのだろうか?
それだけでは足りなくて、また朝抱こうとしていたということなのか。
なるほど、もう一度ベッドに引き摺り込みたいと言うわけである。
「え? じゃあ、さっきのシャワーって……」
「走ってきてひと汗かいたからな」
昨日の汗を流したいとかそういうことではなかったらしい。
「すごい体力ね」
「お褒めに預かり光栄だ」
「いや……褒めてるっていうか、なんていうか……」
「結婚式とかしたら、新婚旅行とか行きたいよな」
タブレットで新聞をチェックしながら、パンを口にくわえて、槙野はそんなことを言う。
確かに行きたい気持ちはあるけれど、それって大丈夫なのだろうか?
一抹の不安を覚えた美冬である。
──その、抱き潰されたり……とかは? せっかくの旅行に行って美冬は起き上がれない、とかそういうことは??
十分にあり得そうで美冬は乾いたような笑みを返すことしかできなかった。
「美冬、そろそろ出るぞ」
「うん。分かった」
ごちそうさま、と手を合わせた美冬は使った皿を食洗機に入れてスイッチを押す。
ウォークインクローゼットに入るとベストを羽織った槙野が支度をしていた。
美冬はクローゼットを覗き、ネクタイを一本手に取る。
(チャコールグレーにホワイトのストライプシャツだから……)
槙野が朝着ているシャツやスーツの色や形に合わせてネクタイを選んで結ぶのが最近の美冬の日課なのである。
「祐輔」
「ん」
美冬に呼ばれた槙野が美冬の前に立つ。丁寧に襟を立てた美冬がキュッとネクタイを結んだ。
「さすがだな」
毎日やっているのに、毎日褒めてくれるのだ。
ベストのボタンを止め、ジャケットを羽織ると槙野は先程まで美冬に甘かった婚約者ではなくて、いかにもやり手のビジネスマンになる。
鏡越しに美冬はそっとそんな槙野を盗み見た。
──こういうのギャップ萌えっていうの?ズルくないかな。
この日は美冬が出社すると石丸がウエディングドレスのデザインの希望を聞きに来た。
槙野は正式に石丸にデザインを発注したらしい。
「槙野さんからは金に糸目はつけないから、美冬の好きなようにって言われたよ。あの人美冬のこと溺愛だよね」
デザインの打ち合わせのためのリーガルパットを手にして石丸は何やらメモをとっていた。その打ち合わせ用のメモを参照しながらデザインをしてゆくらしい。
──溺愛……。
それは否定しきれない。
「諒……あの、男の人ってあんなに、その……するものなの?」
ここ数日の激しさについては、美冬にはよく分からなくて、同じ男性である諒に聞いた方が分かるかもしれないと思ったのだ。
それでつい口からそんな言葉がこぼれてしまった美冬である。
諒は一瞬きょとん、として顔が赤くなっている美冬を見て察する。
「ああ、槙野さん、絶倫なんだ。まあ、激しそうだもんね」
「っ絶……」
美冬は思わず言葉を失ってしまう。
そうかも、そうかもしれないけどっ! 何だか身も蓋もないわ……。
「溺愛されてて、毎晩愛されててー、か。槙野さんは本当に美冬のこと大好きで溺愛だからな」
ソファに座っていた石丸はその長い足を組み変えて、デスクで作業しながら話をしている美冬にペン先を向けた。
「結婚式と言ってもお互い仕事絡みのようなものだから、好きにできることくらいは好きにやらせてやってくれって、槙野さんからは言われてる」
そんなことを言ってくれていたなんて、知らなかった。けれど槙野ならありそうなことだ。
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