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四月に入り、トモエが芸能プロダクション「地下アイドル派遣事務所 ホワイト・リズム」の事務仕事にようやく慣れた頃、ヒミコが外回りに同行するように言って来た。
トモエはスーツを持っていないので、青いフレアスカートに学生時代の白いブラウスシャツ、その上にトワノからもらった一番地味なベージュ色のシンプルなジャケット、足元はこれも学生時代の茶色のローファーといういで立ちで一階の事務室に降りて来た。
社長用のデスクから立ち上がったヒミコは紺一色の上下そろいのレディースのパンツスーツ、足元は黒いローファーという、いかにもビジネスウーマンらしい服装だった。
ヒミコが眼鏡を取り出してかけたのを見てトモエが意外そうな顔で言った。
「あれ、ヒミコさん、目が悪いんですか?」
ヒミコは銀縁の眼鏡の位置を調整しながら答えた。
「度は入ってへん。伊達眼鏡や」
「変装ですか?」
「そういうわけやない。ウチはまだ若いさかい、商売の話の場では舐められんよう、雰囲気作っとるだけや」
大きめのトートバッグを抱えてヒミコがトモエを促した。
「さて、なら出かけるで。いくつか大事な場所教えるさかい、よう覚えとくんやで」
二人は事務所のあるビルを出て、神田川の上に架かる「神田ふれあい橋」という名の、妙に幅が狭い歩行者用の橋を渡り、JR秋葉原駅がある川の向こう側に出た。
十五分ほど歩くと大きな神社の入り口に着いた。ヒミコがスタスタと歩いて鳥居をくぐって境内に入って行くので、トモエも後に続いた。
ヒミコが本殿の前に行き、トモエに参拝するようにと言った。
「ここは神田明神言う歴史のある神社や。ウチらも日ごろからお世話になっとるさかい、近くに来たらお参りしときや」
ヒミコがトートバッグの口を開けたので、お賽銭だという事を察して、トモエも小銭入れを開いて、さて十円玉にしようか、百円玉にしようか、数秒悩んだ。
トモエが思い切って百円玉にする事を決心して、一枚賽銭箱に放った。カンカンと音が響いて、その百円玉は中に落ちて行った。そのトモエの耳に、バサッという音が聞こえた。
驚いてヒミコの手元を見ると、一万円札が十枚ほど次々と賽銭箱に投げ入れられていた。トモエは仰天して心の中でつぶやいた。
『ま、万札! ヒミコさん、気前が良すぎ!』
参拝を済ませると、ヒミコがトモエを手招きして、境内の隅の、木枠に絵馬がずらりと下げられている場所へ連れて行った。
上下左右に数十枚並んでいる絵馬を見て、トモエは感嘆の声を上げた。
「うわあ、絵馬の表に書いてあるの、アニメとかのキャラじゃないんですか? 神社の絵馬にこんな物描いていいんですか?」
ヒミコが眼鏡の位置を直しながら答えた。
「ここはポップカルチャーに理解がある事でも有名な神社でもあるんや。あっちの奥の方に行ったら銭形平次の墓碑まであるんえ」
トモエは数秒考えて訊いた。
「ゼニガタ……ヘイジ? ああ、お年寄りに人気の時代劇でしたっけ? 江戸時代の、今でいう刑事みたいな人のドラマ。どうしてこの神社にあるんですか?」
「銭形平次は神田明神下の長屋に住んではったいう設定やったからな」
「へえ、この神社のすぐ近くに住んでたんですか」
トモエの口調にヒミコが少し首を傾げた。
「まさかあんた、銭形平次が歴史上実在した人物やとか勘違いしてへんやろな?」
「え? 違うんですか?」
「銭形平次は、もともとは戦前から戦後すぐの時代までに人気やった小説の主人公。エンタメフィクションの主人公キャラやがな」
「それがどうして神社に墓碑まであるんですか?」
「その小説に関わっとった人たちが銭形平次の墓碑をこの神社に建てたい言うて、神社側もすんなりOK出しはったそうや。昭和45年の事や」
「ええと、西暦だと……」
「1970年。そんな昔から、この神社はポップカルチャーに親切言うか、協力的な所なんやな。今でも、アニメやらのキャラあしらった物をぎょうさん、あつこうてはるえ」
トモエが感心していると、ヒミコが中段あたりにぶら下がっている一枚の絵馬を手に取った。その絵馬の表には、テッポウユリという種類の、百合の花が薄いピンク色で描かれ、その横に真ん中に四角い穴が開いた丸い硬貨のような物が描かれていた。
ホワイト・リズムの紋章と同じ組み合わせだな、とトモエが思っていると、ヒミコが絵馬を裏返してそこに書いてある文章を見て、トモエの方に向けた。そこにはこう書かれていた。
「次の席替えで彼の隣の席になれますように。できればA列の前から5番目の席!」
トモエが微笑みながら言った。
「可愛い! 青春してますねえ」
ヒミコは絵馬を元の位置に戻して、くるりと身を翻しながら言った。
「今回の連絡手段は、Aの5かいな。トモエ、行くで」
「は?」
呆気に取られたトモエに構わず、ヒミコは出口に向かってスタスタと歩いて行く。小走りで追いついたトモエは周りを気にしながら小声でヒミコに訊いた。
「あれって、暗号なんですか?」
「そうやで。あれなら誰かに見られても、何の事か分からんやろ」
「ひょっとして、この神社は蔭(おん)の白拍子の組織の一部とか?」
「そんなわけないやろ。ウチらが勝手に利用させてもろとるだけや。その分、ちょいちょいお参りに来て、お賽銭はずんどるんや」
コメント
1件
毎度お会いできて嬉しいです、リオンです。今回も面白かったです。 神田明神のロケーション、現実の神社の話をうまく物語に取り込むところが、この作品の世界観の厚みを感じさせますね。絵馬の暗号が「Aの5」、しかも百合の花と硬貨のデザインでホワイト・リズムの紋章を示唆している——この辺りの細かい仕掛けが好きです。ヒミコが「勝手に利用させてもろとる」と言いながら、お賽銭を弾むスタンスも、キャラの堅実さと抜け目のなさが出ていて。トモエの百円玉に一万円札十枚という落差も笑いました。 次も楽しみにしてますね。