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海が綺麗だ。電車の窓から眺める外はまるで、映画館のスクリーンのように見えて、今が非日常的であることを想起させる。
制服を着て、スクールバッグを膝に置き、無人の車両で窓を見る。そんな私は、学園物語の主人公のように映るかもしれない。でも、向かう先は学園じゃない。目標進路は、視界の先にあるあの海。私はそこに向かう。これを一人旅、といえば浪漫があっていいが、実の所これは家出だ。
海を選んだのはただの気まぐれだった。元々私は東京生まれ東京育ちのシティーガールで、都会の喧騒や周囲になんでもある環境で生きてきた。だからこそ、無性に田舎へ行きたくなることが多くて、常に逃げる隙を伺っていた。でも、一人で来ることは計画していなかった。重度の寂しがりで、暇が嫌いで、乗り物に酔う。だから、隣に一人仲間がいる算段だった。
「好き」
口をついて出た言葉だった。それを向けてはいけない人で、向けてはいけない感情だから、ずっと、ずっと心の底に沈めていた。
「……ごめん」
それが、返事だった。
高校に入って初めてできた友人。三年間だけだったけれど、毎日話して、電話もして、沢山遊んで喧嘩して、そうやっていつの間にか惹かれてしまった、同性の女の子。淡い期待が、沈めていた気持ちを湧き上がらせてしまって、私の恋は溶けていった。
今になって思う。すぐに、嘘だよ冗談だよなんて笑い飛ばせてしまえばよかったと。でも、言えなかった。大好きで、初恋で、馬鹿みたいな期待があったせいで。
隣にあるはずだった温もりを探して片手を動かす。それは年季の入った座席に触れるだけで、ごわごわした特有の手触り以外得るものがなかった。
ぼぅっとしていると、一際大きく車体が揺れ、駅に着いたことを知る。駆け足でおり、古びた無人駅のホームに出た。
挿絵や映画で見た田舎の風景そのままで、感動から「わぁ……」なんて声が出る。一人でも、案外楽しめそうだ。
錆び付いた案内板を読み、駅を後にする。
「暑い、暑すぎる」
海が近いからか、東京より格段に湿度が高い気がする。目の前がぼやぼやとし、遠くの方に陽炎が燃えているのが見える。水筒の中身はもうわずか。自販機も見つからないし、まさかここまで隠れた駅だとは思わなかった。
汗も滴り、猫背気味に歩いている時、風鈴の音が聞こえた。
チリンチリン。音を目で追うと、氷菓と書かれた暖簾が映り、そのまま吸い込まれるように潜り抜けた。
中は涼しいわけではなかったが、天井があるだけで生き返るような心地になる。休憩ついでにアイスと水分を手に取り、会計するであろう場所へ近寄る。
「すいません。買いたいんですけど……」
奥の方へ声を届けるように意識して呼び掛ける。
「はいはーい、ただいま。」
そう出てきたのは、私と同年代くらいの女の子だった。てっきり、こういうお店は背丈が小さくて、よぼよぼのおばあさんがやっているのだと思っていた私は、少し面食らい、不躾に顔を見つめていた。
「どうしました?」
不思議そうに首を傾げそう言われ、慌てて商品を手渡す。
「お願いします。」
「はいはい!」
いかにも元気はつらつで、夏がよく似合う子。快活な笑顔が今の私には少し眩しい。
「はい、二百円のお返しです。」
「ありがとうございます。」
商品を手に持ち、外のベンチに腰かける。アイスを食べてから出発しようと頬張っていると、首にとんでもなく冷たい感触がして、大袈裟な声を上げて立ち上がる。そんな私を見てけらけら笑うのは、たった少し前に会計をしてくれた子だった。
「えぇ……?」
「ごめんごめん、まさかそんな驚くとは思わなかった。」
申し訳ないとジェスチャーしながら、私によく冷えている麦茶を渡してくれる。
「店にあるそれ、ぬるいでしょ?冷凍庫でちゃちゃっと冷やしてあげるから貸して!」
「え、いや、でもアイス食べたらもう行くので。」
「あんたねぇ、どこ行くか知らないけど、休んでかないと熱中症になるよ?」
遠慮する私に呆れた顔をして、私のバッグからさっき買った水を奪い、私の手を引いて店の奥へと連れて行く。結局 あれよあれよと迎えられ、なぜだか二人並んで扇風機の風に当たっている。
「ねぇ、どっからきたの?」
「あ、東京……」
不意に聞かれ、口篭りながら答える。
「なんでまたこんな遠い田舎来たの?しかも平日の昼だし。」
「色々あって、静かなところに行きたくなったの。とにかく落ち着くところに。」
熱くなる目頭を自覚して、すぐに俯く。失恋したことを思い出すと、喉がキツく締まって息がしにくい。
「そっか、そっか。」
察されたのか、背中をさすられて、溢れた涙が畳に染みていく。初対面の人の前で泣くだなんて、困らせてしまう。
「海行くの?」
涙をごしごし拭いていると、また質問される。それに頷けば、「案内するよ」なんて笑顔で言われ、私はまた静かに首を縦に動かした。
思っていた通り、海は本当に綺麗だった。嫌になるくらいの日光も、海を宝石のように輝かせてくれて、私はその煌めきの虜になっていた。
「きれい……」
私の思い出のように輝く海を見ると、無性に泣きたくて仕方がなくなる。失恋の辛さを舐めていた。叶わない恋の苦しさを甘く見ていた。
「うあぁ……ああぁ」
年甲斐もなくまた泣いた。一緒に来てくれた子はまた寄り添って、私が泣き止むのをただ静かに待ってくれた。
「本当に、本当に大好きだったの。笑う顔が、繋いだ手が、一緒に話す時間が本当に。」
心の底から好きになってしまった。私は、調子に乗っていた。仲がいいと自負して、その感情に溺れていた。なんて恥ずかしい。いっそ、目の前の海に溺れて、飲まれて死んでしまえたらいいのに。
そうやって大声で泣いた。声が枯れて、目も腫れて、本当に可愛くなかったけれど、まだ立ち直れていないけれど、心が軽くなった。
「ありがとう。」
「私なんもしてないよ。」
そう笑っているけれど、きっと、私一人でここに来たら海に拐われていたと思う。そのつもりで来たのだから。
また、生きていこう。私の人生は長い。あの失恋も、笑い話にできる人生にしていかなくちゃいけない。