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昨夜の公園での衝突以来、
3人の間には冷たい沈黙が流れていた。
若井は練習中も身が入らず、
元貴は避けるように図書室に籠り、
涼ちゃんはその間を無機質に行き来している。
決壊の瞬間は、皮肉にも最も華やかな場所で訪れた。
全校集会。
全校生徒が体育館に集まり、吹奏楽部の演奏と共に入場が行われる。
元貴は生徒会長として、壇上での挨拶を控えていた。
「……っ、あ……」
舞台袖で待機していた元貴の視界に、異変が起きる。
吹奏楽部が奏でる華やかなマーチが、鋭い「原色の矢」となって脳を突き刺した。
赤、黄色、紫。
制御不能な色彩の洪水が視界を埋め尽くし、隣に立つ教員の顔さえ判別できなくなる。
「大森くん? 出番だよ、大森くん!」
教員の声も、歪んだノイズにしか聞こえない。
元貴は自分の左手を見つめた。
感覚がない。まるで見知らぬ他人の肉体がついているかのように、指一本動かせない。
(だめだ、今だけは……動いてよ……)
一歩踏み出した瞬間、平衡感覚が消失した。
元貴の体は、吸い込まれるように冷たい床へと崩れ落ちた。
「元貴!!」
静まり返った体育館に、規律を無視した叫びが響く。
整列していたサッカー部の列を割って、若井が壇上へ駆け上がった。
周囲のざわめきも、教師の制止も、今の彼には一切届いていない。
「元貴! おい、しっかりしろ! 元貴!」
若井が抱き上げた元貴の体は、驚くほど熱く、そして軽かった。
元貴の瞳は虚空を彷徨い、焦点が合っていない。その唇が微かに震え、自分にしか聞こえない声で呟く。
「……わか、い……? ……まっしろだ……なにも、みえない……」
「何言ってんだよ……俺だよ、若井だよ! 目を開けろ!」
若井の悲痛な叫びを遮るように、涼ちゃんが背後から冷静に、だが凍りつくような声で指示を出した。
「滉斗、どいて。……救急車はもう呼んだ。
君が抱えてると、彼が死ぬよ」
白い、無機質な廊下。
病院の待合室で、若井は泥のついたジャージのまま、頭を抱えて座っていた。
拳は血が滲むほど握りしめられ、膝が小刻みに震えている。
「……先天性の、脳の神経変性疾患。
それに伴う重度の共感覚」
隣に座った涼ちゃんが、乾いた声で告げた。
若井は顔を上げず、ただその言葉を咀嚼する。
「……いつからだ」
「幼少期から。
でも、ここ数ヶ月で急激に悪化した。
強いストレスや、過剰な『感情の動き』が引き金になる。
……昨日、君が彼を無理やり抱こうとしたことも、無関係じゃない」
若井の肩が、大きく跳ねた。
「……俺が、あいつを壊したのか……?」
「そう思うなら、今すぐ彼の前から消えればいい」
涼ちゃんは若井の胸ぐらを掴み、壁に押し付けた。
いつもの穏やかな「涼ちゃん」はどこにもいない。友人を守るためなら修羅にでもなる男の目だった。
「いいか、滉斗。
元貴はね、自分が壊れていく恐怖より、君の思い出の中に『可哀想な僕』が残ることを恐れてるんだよ。
だから、自分の顔を忘れられる前に、君を遠ざけようとした」
若井の目から、大粒の涙が溢れ出した。
自分は、元貴の強がりも、優しさも、何一つ分かっていなかった。
ただ自分の欲望を押し付け、彼を追い詰めていただけだった。
「……会わせてくれ。涼ちゃん、頼む。……俺、もうわがまま言わない。
あいつが俺を忘れてもいい。……隣にいさせてくれ」
若井が床に膝をつき、涼ちゃんに頭を下げた。
サッカー部のエースとして、常にプライドの高かった若井が、初めて他人に見せた屈辱と、切実なまでの愛の形。
涼ちゃんはそれを見て、長く、重いため息をついた。
「……分かったよ。でも、条件がある」
「……何でもする」
「元貴が目覚めた時、彼はきっと君を拒絶する。『もう来ないで』って。
……その時、君がどれだけ傷ついても、絶対にその手を離さないと誓える?」
若井は顔を上げ、涙を拭った。
その瞳には、今までのような身勝手な独占欲ではない、もっと深く、暗い覚悟が宿っていた。
「……ああ。離さないよ。地獄まで追いかけてでもな」
その時、病室のドアが開いた。
「……大森さんのご家族、もしくは……」
若井は看護師の言葉が終わる前に立ち上がった。