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ゆゆゆゆ
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ゆゆゆゆ
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その日。
FORSAKENの主城では。
誰も気付いていなかった。
大惨事が起きていたことに。
本当に。
誰一人として。
気付いていなかった。
ただ一人を除いて。
ノスフェラトゥだけは。
気付いてしまった。
「…………」
跪いている。
いつもの定位置。
スペクターの椅子の横。
静か。
完璧。
平和。
そのはずだった。
だが。
ノスフェラトゥの瞳だけは。
ある一点に固定されていた。
赤いシルクハット。
スペクターの象徴。
神聖なる帽子。
世界で最も美しい帽子。
その帽子が。
ほんの少しだけ。
傾いていた。
右へ。
ほんの少し。
たった数ミリ。
だが。
ノスフェラトゥにとっては違う。
(まずい)
まずい。
非常にまずい。
(傾いている)
傾いている。
(あの方の完璧なシルエットが崩れている)
大問題だった。
国家存亡レベルで。
(右に三ミリ)
正確に言うと。
三・二ミリ。
測ってないのに分かる。
怖い。
完全に職人の領域だった。
ノスフェラトゥの指先がぴくぴく震える。
膝も揺れる。
視線も泳ぐ。
落ち着かない。
とにかく落ち着かない。
(直したい)
(直したい)
(直したい)
頭の中がそれしかない。
スペクターは書類を読んでいた。
だが。
足元の異変には気付いている。
当然である。
隣で大型犬が故障している。
気付かない方がおかしい。
「どうしたんだい」
穏やかな声。
ノスフェラトゥが飛び上がる。
「な、何でもありません!」
即答。
だが視線は帽子。
完全に帽子。
スペクターは笑う。
「そうかな」
「はい」
「私の顔を見ていないけど」
「……」
図星だった。
ノスフェラトゥが固まる。
終わった。
もう隠せない。
スペクターは頬杖をついた。
楽しそうだった。
嫌な予感しかしない。
「言ってごらん」
「……」
「気になるんだろう?」
「……」
「帽子が」
沈黙。
そして。
ノスフェラトゥは負けた。
「傾いております……!」
悲鳴だった。
ほぼ。
「右に三ミリほど……!」
「ふふっ」
笑われた。
完全に。
笑われた。
「そんなことか」
「そんなことではありません!」
珍しく食い気味だった。
「重大案件です!」
「重大案件」
「はい!」
「帽子が三ミリ」
「はい!」
「なるほど」
全然納得していない顔だった。
スペクターは肩を震わせる。
面白くて仕方ないらしい。
そして。
さらりと言った。
「じゃあ直して」
「えっ」
停止。
世界停止。
思考停止。
ノスフェラトゥ停止。
「私が?」
「うん」
「触るのですか?」
「うん」
「この帽子に?」
「そうだよ」
終わった。
別の意味で終わった。
ノスフェラトゥは立ち上がる。
ぎこちない。
めちゃくちゃぎこちない。
普段なら吸血の許可一つで飛びつくくせに。
こういう時だけ妙に初心だった。
一歩。
また一歩。
近付く。
スペクターは動かない。
ただ見ている。
楽しそうに。
ノスフェラトゥは息を呑む。
近い。
近すぎる。
薔薇とインクの匂い。
落ち着く匂い。
好きな匂い。
そして。
心臓が爆発した。
ドクン。
ドクン。
ドクンドクンドクンドクン。
うるさい。
自分でも分かる。
絶対聞こえている。
恥ずかしい。
死にたい。
でも帽子は直したい。
忙しい。
感情が。
「手が震えているよ」
「だ、大丈夫です……!」
全然大丈夫じゃなかった。
震えている。
めちゃくちゃ震えている。
それでも。
ノスフェラトゥは両手を伸ばした。
赤いシルクハットへ。
そっと。
本当にそっと。
触れる。
(ああ)
触ってしまった。
緊張で意識が飛びそうになる。
だが。
使命がある。
三ミリ。
たった三ミリ。
慎重に。
慎重に。
左へ。
ほんの少し。
微調整。
そして。
数秒後。
ノスフェラトゥは確信した。
完璧だ。
「直りました」
達成感に満ちた声だった。
職人だった。
完全に。
スペクターは帽子の縁を軽く叩く。
「うん」
満足そうに笑う。
「やっぱり君に任せるのが一番だね」
その瞬間。
ノスフェラトゥの顔が真っ赤になった。
褒められた。
今。
褒められた。
しかも帽子関係で。
致命傷だった。
幸福の。
「あぁ……」
声が漏れる。
「光栄です……」
もう駄目だった。
完全に機嫌が直った。
単純だった。
非常に。
その後。
ノスフェラトゥは正式に。
FORSAKENハット管理部門。
通称。
『ハット警察』
となる。
廊下。
会議室。
食堂。
どこにいても。
視線は帽子。
アズールは言った。
「怖いのよ」
ホスフォラスも言った。
「さっきから帽子しか見てないじゃん」
ノスフェラトゥは真顔で答える。
「当然だ」
「何で」
「二ミリ傾いている」
「分かるの!?」
その日から。
FORSAKENで最も警戒される存在は。
古代吸血鬼でも。
闇の王でもなく。
主の帽子の角度を監視する。
ハット警察だった。