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※旧国
「…もう人生やめようかな…」
そんなことを考えながら、日本はトボトボと暗いのに明るい街中を歩く。
ずーっとずーっと怒られて、仕事に追われて、たまに同僚が自殺して、更に忙しくなって、消費される。
上が無能だからそんな奴も偉くなれるし、無能だから下の有能さをカケラも見ない。
何をしようと、部下の手柄は俺のもの。
失敗は全てお前のせい。
人は少しの叱責や成長に必要な説教は耐えることができるが、理不尽極まりない愚かとも言える主張には脆い。
今日も日本は、この先に希望を見出すことができなかった。
「はぁ…無理だよなぁ…父さんはいないし、にゃぽんに苦労させたくないし…色んな人に迷惑もかける…」
酒は飲んでいないのに、妙な気持ち悪さが胃の中で暴れている。
喉に引っかかる暴言を手で押し込めて、口に両手を当てながら駅まで歩く。
「…日本か?」
「?」
随分と低い声に呼ばれ、後ろを振り返った。
「あ…えっと…あなたは…」
声はロシアに似ていたと思ったのに、視界に入ったのはその父親であった。
噂は聞いたことがある。
革命を起こし、赤い旗を掲げた我が飼い主の宿敵で、元親友
今のロシアとの問題も、一部は彼が原因だ。
そのような恐ろしい旧国が、なぜ平凡でほとんど関わりのない社畜に声をかけたのか。
「ソビエト社会主義共和国連邦。好きに呼んでくれて構わない。お前の父親にはソ連や蘇国と呼ばれている」
「あ、じゃあソ連さんで…」
「お前は日本だろう?日帝の息子の」
「え、えぇ…まあ、そうですね…」
どうやら父を経由して知られていたらしい。
あの人はアメリカ以外であれば敵国にも優しいから、敵対の必要がなくなったのなら、と茶会でも開いているのだろう。
「随分疲れているようだが、どうかしたか?」
「な、何にもありませんよ。この通り元気です」
ニコッと笑ってポーズを取る日本。
本当は辛いし、今すぐ寝たいくらい疲れている。正直言って、こんな怖そうな人と関わるのも面倒だ。
誤魔化したのだからとっとと帰れ、などと散々なことを思っていると、ソ連は首を傾けて聞いてきた。
「どうして無理をする?」
「…………」
「俺のことは多少なりとも知られている…と思いたいが、俺は労働者に優しいんだ。お前のように無理をする…いや、させられてきた労働者たちで手を組み、この世に革命を起こした」
「…………」
「俺にはわかる。働き方は違えど、お前は限界に近いだろう。今すぐにでも、逃げ出したいほど辛いはずだ」
日本は何も言えなくなってしまった。
全てを見透かされているような金色の瞳に射貫かれ、営業スマイルも捨てて真顔になっている。
「なに、亡国如きが主義を変えろだなんだと申し立てるつもりはない。ただ、一度全てを放って休まないか?」
魅力的な誘いだった。
辛い仕事ばかりやらされて、仕事関係以外の外出はできなくて、気づいたら精神を病んで、でも状況は変えられなくて。
(この人なら…わかってくれる)
自分の辛さも、やりたいことも、きっと全部。
アメリカにバレたら間違いなく拙いことだ。だが、それでもついて行く価値があると、思ってしまった。
アメリカとはまた違うカリスマ性に、日本はすっかり惹かれてしまったようだ。
「……一度、一度だけでいいから…休み、たい…です…」
小さな小さな震えた声で言うと、ソ連はにこりと微笑んだ。
日本にはその笑顔が救い主のように見えてしまって、伸ばし続けた手をようやく掴んでもらえた気がした。
「よく言えたな、偉いぞ。さあ、もうひと頑張りだけしてくれ。この近くに向こうへ渡る扉があるから、俺の家に行こう」
「…はいっ…!」
思わず溢れた涙は、日本のような社畜たちが作る光に照らされてきらりと光った。
「疲れた時は酒でも飲んで、ゆっくりするのが1番だ」
そう言って、ソ連はグラスに入った酒を渡してくる。
「…えっと、すみません…私、お酒は苦手で…」
「安心しろ、これは俺の家にあるもので最も度数が低い酒だ。日帝のやつもそうだが、アジアは強くないと聞くからな」
「そうでしたか…ありがとうございます」
ほっと息をついて、日本は何年ぶりかの飲酒を始めた。
しかし一つの落とし穴があることに、日本は気づいていない。
ソ連はウォッカを常飲するようなアルコール中毒者で、家に置いてある酒も度数が高い蒸留酒がほとんど。
日本が飲んでいる酒の度数だって、少なくとも15%は超えている。
「ぼ、ぼくらって、頑張って仕事しててっ…なのにっ、みんな怒ってでっ…ゆーいつの家族のにゃぽんとも、生活リズムが違うから、話せないしっ…も、つらいれすっ…」
美味しいからとゴクゴク飲んでしまった日本。
酔いが回り、顔を真っ赤に染め上げて、泣きじゃくりながら日々の苦痛を吐き出している。
「それは辛いな。言いたいことがあるなら、どんどん吐き出すんだぞ」
「ぐすっ…とおさんも頼れなくて、ずっと夜みたいに…全部真っ暗に見えてっ、でも、れもにゃぽんがいるからっ、自殺もできなくてぇ…」
ぽんぽんと優しく撫でられながら、日本は誰にも言えなかった本音を吐露していく。
ソ連はただ聞いて、頷いて、慰めるために撫でたりさするだけ。
変に色々言われるより、よっぽど楽だ。
泣きながら悩みを打ち明けていた日本は、気がつけばソ連の男にしては豊満な胸に寄りかかって眠っていた。
「泣き疲れたんだな…可哀想に。俺が楽にしてやるからな」
涙を優しく拭って、ソ連は日本を抱えて地下へ。
明日には楽になっているからなと、眠る日本に麻酔をかけた。
「…ぁ…」
小鳥の鳴く中、日本は黒く縁取られた大きな目を開けた。
「も、あさ…?」
昨日は何をしていたんだっけ。
ぼんやりと浮かぶ記憶と、ズキズキと痛んでくる頭。
すぐ隣にはソ連の大きな背中があって、静かな寝息を立てている。
「そっか…ぼく…ソ連さんの家で飲ませてもらって…」
起きあがろうとしたところで、日本はようやく違和感に気がついた。
「…あれ?僕の腕、こんなに短かったっけ」
そもそも、きちんと手があった気がするのだけど。
「…ぇ…あれ…?なにこれ…?どうなって…?」
焦る頭と何も掴めない腕。
もぞもぞと動くだけで、その場から一歩も歩くことができない足。
日本はパニックになり、包帯が巻かれた手足で蠢いた。
「んん…にほん…?」
起こしてしまったのか、酒焼けした低い声が聞こえる。
しかし日本は泣きながらもがくだけで、ソ連の声には答えなかった。
「くぁぁ…起きたのか。おはよう、日本」
ソ連はただでさえ大きな体を伸ばし、欠伸をしながら日本へ声をかける。
日本はなんとか横這いになったところだった。
「ソ連、さん…なに、なんですか…?これ…なんで、僕の手足…なくなってるんですか…?」
枕に涙の跡を残しながら、肘関節から先がなくなった腕を見やる日本。
「綺麗に切れているだろう?新しい体の心地はどうだ?」
「ちがっ…そうじゃ、なくて…!」
「?…あぁ、まだ全身が見れていないよな。少し待て」
ベッドを軋ませながら降りると、ソ連は部屋の奥にある全身鏡を持ってきた。
そして枕に顔を埋めることしかできなかった日本を丁寧にだき抱え、鏡の前に座らせた。
「ほら、かわいいだろ?」
「ひっ…」
やっぱり、腕も足も途中からなくなっている。
見たくなくて顔を手で覆おうとしても、二の腕だけになっていては隠せやしない。
目をギュッと瞑って、鏡を拒否した。
「俺、気づいたんだ。どうしたら人と良い関係を保てるかって」
誰かに抱きしめられる感覚がした。
少し体が持ち上がって、今はきっとソ連の膝の上にいる。
「俺はナチスにも、アメリカにも、ロシアたちにも、中国にも裏切られてきた。俺は対等に接して、良い仲間だと、家族だと思っていたのに」
日本は小声でいやいやと嫌がって聞いてもいないが、ソ連は悲しさを帯びる声で、目を瞑り続ける日本に語りかけた。
「だから、崩壊してからは大人しくしていた。今でもやったことに間違いはなかったと思っているが、全てを諦めてしまってな」
大きな手で、昨日と同じように撫でられた。
「だが…お前に会って、話して、わかった。対等に接するからいけないんだ。俺が全部管理して世話をしてやれば、俺を頼るしかなくなる」
「うぅ…ッひぅ…ぐすっ…」
「大丈夫。俺がずっと一緒にいてやるから。食事も、風呂も、排泄も、訓練も手伝ってやるから」
昨日と同じ優しい声なのに、狂気じみた内容は日本に恐怖を与え続ける。
「お前の妹のことは心配しなくていい。日帝にお前が死んだと伝えたら、向こうに行って面倒を見ると言っていた。お前たちみたいに2人の場合は、先に死んだ方が消滅するからな。死んだ証拠にはお前の腕と足を使わせてもらった」
これでは助けが来ない。
足の傷口を優しく撫でられ、微かに痛みが走った。
(ごめんなさい、 言うこと聞かなくてごめんなさい…)
主義の違う国には絶対について行くな
鏡が嫌で目を瞑ったまま、アメリカに言われ続けていたセリフを思い返し、日本は取り戻せるわけがないほど大きな後悔に苛まれながら、ゆっくりと環境に慣れていく。
「ソ連さん、見てください!僕、たくさん歩けるようになりました!」
よたよたと四足で近寄ってくる日本を見て、ソ連はにっこりと笑顔になった。