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次の日は僕の心の中を反映しているとは思いたくないが、梅雨入りで朝から雨が降っていた。
別れたからといって、班替えなんかないから、当然隣には天宮さんがいた。
周りには普段通りと思われたかもしれないが、僕には明らかに天宮さんから避けられているように感じた。
別れるとこんなにもすべてが変わるんだというくらい変わった。
壁には同じ班である証明の「2班」の班長の僕とその下には副班長の天宮さんが並んで書いてあって、つい最近までは幸せに輝いていたのに、今は寂し気であった。
話はもともと十分できていなかったが、目も合わないし、天宮さんにとって僕の存在自体が抹殺されているようだった。
だけど好きになったのは一目惚れした僕で、ふられたのも僕だから、いくらふられたからってすぐに想いがなくなるわけなかった。
学校では辛くても「そんなの平気」っていう姿をみんなの前では、特に天宮さんの前では見せなければならなかった。
K(僕): 「皆の前で、天宮の前で平気でいるのって疲れるなあ。」
学校では強気でも、家に帰ったら部屋で一人ぼーっとしたり、そして
K(僕): 「何がいけなかったんだろう・・・。」
そう自問自答した後は、大抵涙がこぼれてきて、声を殺して泣いていた。
特にキツイのは夜布団に入ってからだった。
そんな毎日を過ごしていた。
数日もすると、クラスのみんなも、うすうす気づいているようで、からかわれることは一切なくなった。
自分から別れたって言っていないので、天宮さんか、小石さんら友達がみんなにさりげなく言っていたのかもしれない。
別れてからもみんなから茶化されて、「別れた」って言うのもつらいので、これはこれでよかったのかもしれない。
皮肉にも別れた後に帰ってきた学力テストでは初めて学年1位となった。
つきあっていたころ、「1位をとったら天宮さんと結婚できる」って言う「願掛け」をしていたが、1位になった時には天宮さんは隣の席にいるものの「彼女」ではなくなっていた。
K(僕): 「ばかみたい。誉めてくれる人もいなければ、なんのための1位?」
辛いことは重なるもので、別れる前の最後に一緒に奈良を歩いた修学旅行の作文を書くことになった。
この精神状態でその修学旅行紀行を書くのは非常につらかった。
リトルワールドから奈良の宿泊までそれはそれでつらい2日間であったが、天宮さんと関わっていない分、当たり障りない文は書けた。
3日目は天宮さんとの思い出がいっぱいであり、これはこれでつらい作文になった。
K(僕): 「天宮さんもきっとこの作文を書くのは大変なんだろうけど。」
しかし天宮さんの修学旅行紀行は後で読んでみたら、悔しい位によく書けていた。
K(僕): 「どうしてこんなに書けるんだろう・・・」
まるで旅行中も別れることを前提に、その後の作文に書けるような行動していたと疑うほどだった。
僕の気配を抹消したかのような旅行記だった。
3日目に一緒に歩いたあの時の笑顔すら信じられなくなっていた。
それ以降何があったか、日記も書かなくなったし、はっきりとした記憶がないまま夏休みに突入した。
K(僕): 「こうなったら絶対に医学部行って見返してやる。絶対に南高に受かってみせる。」
天宮さんを失った僕は、意外にも夏休みは猛烈に勉強した。
一学期が終わり、天宮さんと顔を合わせることがなくなったためか、泣きつかれたのか、吹っ切れたのか、おそらく反発心からさらに勉強した。
9月になり、二学期になると、天宮さんと席は離れた。
班も別々になった。
別れた以上、同じ班に、隣の席になる必要性もなかった。
二人で就任した男女の学級副会長も退任した。
6月にすでに別れていたが、つきあっていた証拠だった隣通しの席、副会長や班長・副班長とに並んで書かれていた僕たちの名前のすべてが教室から消滅した。
つき合っているときもそんなに話したり出来なかったが、別れてからも事務的なこともなくなって、席も遠くなり、そして話す機会は完全になくなった。
9月初めには天宮さんの誕生日があった。
去年は日曜日だったし、好きなことがばれてしまうので、まさか「誕生日おめでとう」なんて言えるはずもなかった。
今年は月曜日、つきあっていたら最初の天宮さんの誕生日、おめでとうっていうつもりだった。
K(僕): 「そういえば、誕生会しようと思ったっけ?」
修学旅行の時に聞いた誕生日に欲しいもの、サックスは買えないけど、なかなかなかったけどやっと見つけたサックスのキーホルダー、なにかにくっつけて渡そうとしたけど、それだけがぽつんと手元に残った。
クリスマスは付き合って急遽のプレゼントだったから、洒落たものが思いつかず、迷いに迷ってデライトスタンドになった反省で、少ない小遣いをためて、誕生日プレゼントは何がいいか、考えようとした矢先での別れの宣告であった。
K(僕): 「これだけ残ってどうするんだろう・・・」
さすがにキーホルダーすらあげることもできず、机の引き出しに静かにしまった。
二学期以降、吹っ切れた態度をみんなに見せながらも、やっぱり天宮さんのことが気になっていた。
何かの文集であったのか、寄せ書きを書いた。
天宮さんの寄せ書きにも目が行った。
さっちゃん: 「寄せ書き:くもりのち晴れ」
K(僕): 「つき合っていた時は「くもり」でどんよりしたかんじ、別れてから「晴れ」ですっきりしたのかな・・・」
K(僕): 「でも、そんなにわかりやすい嫌味書くのかな?」
そんな天宮さんではないと信じたかったけど、別れた以上、どう思われても仕方ないことだった。
学校では天宮さんと話はしなくても、視界に入ってくるうちは気まずい感じやふられての恥だという感じばかりで、悶々とする毎日だった。
K(僕): 「やっぱり天宮さんが好きなんだよな…」
それと同時にふられたことへの「恨み」もあった。
好きだからこそだった。
そして11月2日。
1回も一緒に祝うことのない交際記念日。
今年も去年と同じ晴れ。
昨年はまだ希望に満ちて、強制的に告白させられたけど、幸せだった。
K(僕): 「あの時はよかったなあ・・・。」
今年は土曜日で午前中で下校したのであのきれいな夕方の一風景は校舎内では味わえないけど、帰宅後に一人で自転車で中学校に戻ってきた。
下級生が部活をしていたので、さすがに2年生の教室に入って以前の2年3組の部屋に入るわけにはいかず、中庭からかつての教室を眺めた。
教室の後ろのドアから天宮さんが入ってきそうな錯覚にも陥った。
K(僕): 「あの時、あそこに天宮さんがいたっけ?」
あたりには金木犀の香りが漂っていた。
日付も時間も、天気も夕焼けも、金木犀の香りもみんな同じなのに、一年違うだけで変わったのは天宮さんの気持ちだった。
K(僕): 「好きなんだけど、むかつく。
むかつくんだけど、好きなんだよなあ。」
それでも受験が1日1日と近づくにつれ、天宮さんのことは棚上げにした。
というより、ふられたうえに不合格となったらみじめすぎると感じていたので、クリスマスのプレゼント交換も、年賀状のやり取りもなんにもない年末年始だったが、すべてを犠牲にしても合格するという強い意志、好きだからこその、天宮さんに対する「リベンジ」だった。
3学期になっても全く天宮さんと話す機会はなかった。
そんな中で2月には最後のクラス対抗の合唱祭があった。
私立高校受験者もいて、放課後に全員で集まっての練習はなかなかできなかった。
僕は僕で、受かるかどうかの南高の受験もあり、合唱祭の練習をする気でもなかなかわかなかった。
それに合唱イコール天宮さんの印象であり、顔を合わせるのも気まずくて、また反発心もあって、時々さぼったりした。
せめてもの抵抗だった。
毎日、寒い中、各クラスが各教室で合唱する歌声が校舎内に響き渡り、3組は学園祭で歌った「流浪の民」を練習しながら1日1日過ぎていった。
合唱祭はこれまた寒い体育館で行われた。
去年の合唱祭は時々天宮さんと目が合って微笑み合うこともあったが、最後の合唱祭はいたって普通の寂しいイベントになった。
それでも、3組は初めて優秀賞を受賞し、女子を中心に大喜びをしていた。
僕はふと天宮さんを見ると、笑顔でほかの女子と喜んでいた。
久々に見る天宮さんの笑顔だったが、これが僕が見ることができた最後の笑顔だった。
そのまま3月となり、今度は卒業文集を書くことになった。
1学期の修学旅行記よりはまだ書ける気がしたが、実際はほとんと中学生活は2、3年の記憶しかなく、どの場面でも天宮さんが関係したために、書くこと書くことが天宮さんが登場してしまい、書いては消しての連続で、何とも言えない変な作文になってしまった。
K(僕): 「受験でこんなことしている場合じゃないんだけど。」
結局、変な文章であったものの、そのまま提出した。
3月12日に公立高校受験があった。
僕は南高の試験を受けた。
K(僕): 「結局、天宮さんがいない南高の受験をすることになったんだなぁ・・・
でもここで落ちたらすべてを失うことになるし、天宮さんにリベンジできない。」
全力で、全集中で中学生最後のテストに臨んだ。
僕の中では「リベンジマッチ」だった。
合格発表を2日後に控えた3月16日、中学校の卒業式と挙行された。
その日も晴れ、寒さが残る日だった。
中学生最後の日、ついにこの日が来た。
受験を終えたせいか、最後の登校日での3年間通った校舎をみると、封印されていた昔のことを思い出した。
3年前の4月は違う小学校の生徒もいて、初めての学ランを着て臨んだ入学式。
そしてその翌年の4月はクラス替えで2年3組となり、一目惚れをして、その日から窓際の一番前に座っていた女の子を好きになり、班長に立候補してその子を獲り、2学期もさりげなくその子を班員に獲った。
小石さんにその子が好きだってばれて交際が開始、ときめきいっぱいで緊張の毎日だったけど、3年の6月にふられた。
ふられたときに存在そのものを否定された感じがして、そしてふられたことが「恥」で、それでも何でもないような強い気持ちで残りの3年生を過ごしてきたが、やっぱりその子のことが好きだった。
でもその子が好きっていうこと自体、許せなかった自分もいた。
K(僕): 「今日を最後に、新しい生活で始まるから、中学生の想い出すべてをここに置いてタイムカプセルのようにちっちゃな心の箱に入れて、封印していく、そう思って卒業式に臨もう。」
篠井先生: 「卒業式が始まるから廊下に整列して。」
高校受験も終わり、勉強から解放され、クラスみんなが浮かれていた。
とても今から厳かな卒業式が始まる感じではなかったが、廊下の窓から見える青空はさわやかな春の空だった。
出席番号順で並び、僕は男子で一番最後、天宮さんは女子で一番最初であったので、その場所からは当然確認はできなかった。
それでも何とか教室の前に並び、体育館に向かってゆっくり歩いて行った。
体育館の前に1組、2組と順番に整列し、3組は新館1階の廊下で待機した。
「卒業生入場」の発声とともに列は動き出し、1組から体育館に入っていった。
体育館に入ると初めて聞く厳かな曲が流れていた。
館内には下級生の1,2年生、保護者や先生たちが拍手で迎えてくれた。
その他の先生: 「これから第39回卒業式を開式します。」
卒業式は始まった。
1組から順に全員の名前が呼ばれ、壇上に上がり、校長先生から卒業証書をもらった。
河東先生: 「以上、3年2組、卒業生計44名。」
篠井先生: 「3年3組、天宮・・・」
3組になると、一番最初に天宮さんの名前も呼ばれた。
いつもなら男子の出席番号順に呼ばれるはずであるが、なぜか女子の出席番号1番の天宮さんから呼ばれた。
それでもずっと聞きなれた名前なのになぜか、ドキッとした。
2年3組の最初の日の天宮さんの自己紹介のときと同じ衝撃だった。
そしてきっとこれが最後に聞く天宮さんの名前だと思った。
その日で最後だからなのか、天宮さんの名前を聞いたためか、高校受験が終わり、張り詰めたリベンジのような「復讐」の気持ちが和らいだのか、急に天宮さんの存在が妙に気になり始めた。
K(僕): 「今日ですべて忘れるはずなのになんでこんなに気になるんだろう・・・
それとも今日で終わりだから気になるのかな・・・」
一番最初に呼ばれた天宮さんから正面の階段から壇上に登り、卒業証書を受け取り、女子出席番号2番、3番と流れ作業のように壇上に登っては左側の階段から降りて行った。
続けて男子1番から最後の僕まで順次卒業証書をもらった。
6組まで全員卒業証書をもらった後に来賓およびPTA会長、校長の挨拶と式は厳かに粛々と進められ、いよいよ本当に中学生活最後を迎えようとしていた。
K(僕): 「卒業式って、意外とあっさりしているんだなあ。
天宮さんにふられた時の方が泣けたけど。」
その他の先生: 「以上を持ちまして第39回卒業式を閉式します。
卒業生合唱を行いますので、卒業生は前に来てください。」
1組から壇上前に設置されたのぼり台に上り、卒業生全員が整列した。
整列すると再び館内は静まり返った。
指揮者がタクトを振ると、ピアノの伴奏が流れ始めた。
本当に最後の合唱曲、大地讃頌であった。
受験前から練習はしていたが、今日が本番で、最後に歌う大地讃頌であった。
K(僕): 「これが天宮さんと歌う最後の合唱曲だ・・・」
歌い始めると同時に天宮さんとのさまざまな想い出が僕の心のスクリーンに映し出され始めた。
さっちゃん: 「私、音楽が好きなんだ。」
さっちゃん: 「吹奏楽も、歌うのも楽しいから好き。」
さっちゃん: 「♪ ♪ ♪」
さっちゃん: 「どうしたの?」
K(僕): 「高い声なんだなぁって。
しかもしっかり歌うんだ。」
さっちゃん: 「授業だもん。
歌うの好きだしね。」
初めて会った時からつきあっていたときまで出来事、何もかもが思い出された。
K(僕): 「なんでこんなに天宮さんの思い出が・・・」
歌いながら不思議だった。
大地讃頌を歌い終わると、体育館はまた静寂に包まれた。
かすかに女子の方から鼻をすする音も聞こえた。
その他の先生: 「卒業生、退場。」
そのまま一組から退場曲とともに退場した。
K(僕): 「(なんか終わりの曲もいい感じだ。
天宮さんなら音楽得意だから、この曲も知っているんだろうなあ。
なんていう曲だろう?
もう訊くことできないけど・・・)」