◇読む前に
この作品は、夏目漱石の書いた「夢十夜」のオマージュとなっております。
苦手な方はブラウザバックを。
物語の前提として、”天使滅亡後、主が行方不明となって何年も経った”
という設定になっております。
ここまでで読めそうな主様は是非、
彼らの夢を、覗いて行ってください。
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◈第一夜
こんな夢を見た。
あまりに心地の良い風に違和感を覚えた。
ひらりと舞う何かが、ふと頬につく。
手に取ると、桜の花弁。
手袋越しでも伝わるその儚く柔い花は、どこか貴方を彷彿とさせる。
見上げれば頭上に咲いては散る花。
こんなにも優雅に、華やかに咲き乱れているのに
その輝きは長くは続かず徐々に葉に侵食されていくのだと思うと、なんだか不思議な気分になる。
白く靄のかかったような視界が次第にはっきりしてくる。
肩に重みがあった。
擡げていた頭を下ろすと、そこには逢いたくて逢いたくて仕方がなかった貴方がいた。
私の心の内など、露程も知らないのだろう。
貴方は先の自分と同じように頭を擡げて、「綺麗だねえ」と笑っている。
震える手で、彼女の頭に降り頻る花弁を払った。
こちらを向いたその硝子玉は、紛れもなく私を映し出している。
そして、貴方はふわりと柔らかく笑った。
花が舞ったのかと思った。
花弁の既視感はこれだったのかと妙に納得する。
睫毛を伏せて何か耽っていた彼女が、再度こちらに視線を向け、口を開く。
「ベリアン、私ね。貴方と出逢えて______」
びゅう、と強い風と共に、花吹雪で視界が遮られてしまった。
「まってくださ……」
貴方のその言葉の先を聴かなければならないのに。
___風が止んだ。桜色の塵がひらひらと落ちていく。
目の前にはもう、誰もいなかった。
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◈第二夜
こんな夢を見た。
我々悪魔執事は、天使狩りに明け暮れる日常に終止符を打ったと共に、最愛の人を失った。
____そのはずだった。
今目の前に居るのは世界に一人だけのオレの愛する方で。
その人はオレの作った飯を食べては、はち切れんばかりの満面の笑みをこちらに向けている。
彼女はもう、この屋敷を去ったのに。
「最近夏バテ気味だったんだよね。なのに、ロノのご飯はそんなの関係なく食べられるから不思議!」
そう言ってころころと笑う彼女を見ていると、疑問も違和感も全て吹き飛んでしまう。
しかし、何だろう。
オレの愛して止まない方がそばにいて、オレの飯を食べて笑ってくれて、こんなに幸せなことは無い筈なのに。
この乾きは何なのだろうか。
地に足底が付いておらず、雲の上をただ浮いているような、これは。
風が飛び込んだ拍子に窓が揺れた。
そよそよと部屋を吹き抜けるそれは、夏特有の湿気と熱気を含んでいる。
ざわっ。新緑の木の葉とその影が大きく暴れた。
「ロノってば。どこ見てるの?」
いつの間にか食事を済ませた彼女が、眼前で手を振っていた。
オレは、己の気がついた事実にひどく落胆する。
これは夢だ。
全く。神様ももう少し優しいものだと思っていた。
こんな夢を見てしまっては目が覚めた後、この行き場の無い感情をどこに仕舞えばいいと言うのか。
「オレは、貴方だけを見ています。ずっと、これからも。」
再び窓を揺らしたその風は、夏の匂いがした。
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◈第三夜
こんな夢を見た。
ひどく恐ろしい夢だった。
かつて俺を守って命を落とした友と、俺がこの命に代えてでも守る、いや、守りたかった人が、己に笑いかけている夢。
二人は屋敷のコンサバトリーに腰掛けていて、俺は木彫りの人形を片手に立ち尽くしている。
もう葉も残っておらず枝のみとなった木に、牡丹雪が深々と降り積もっていた。
怖い夢は昔から苦手だ。
幼い頃から悪夢はよく見る方だったが、貴方が此処に来てからは随分と減った。
人々を導く女神のように、自らのその光で俺たちを暖かく照らしてくれた貴方。
其の温かさが心地よかったのは言うまでもない。
それなのに、貴方は俺を置いて何処かへ行ってしまった。
冷たい風が、頬を撫でる。
冬の夕焼けの茜が二人の瞳に差した。
共に、先程まで真っ白だった景色が橙に染め上がる。
こちらを見つめる二人の眼は、どこまでも優しかった。
思わず俯く。
視界に入った、俺の手に握る木彫りの人形でさえ、微笑んでいるような気がした。
「寒いねぇ、バスティン」
本当に、恐ろしい夢だ。
雪が降るくらいの寒さを、全く感じられぬ程に暖かいのだ。
怖い夢は苦手だ。
覚めたらまた、体の芯よりも深く、心の底から冷え切るほどの寒さが襲ってくるのだから。
覚めるのが、怖い夢は苦手だ。
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◈第四夜
こんな夢を見た。
俺たちを残して消えた貴方の部屋。
毎日、扉の前でずっと待った。
明日にはきっと戻ってくる。自分にそう言い聞かせ続けた。
彼女が此処を去ってからそのままのカレンダーには、「April」と表記されている。
ふと窓を見やると、外は猛吹雪で真っ白だ。
ガタガタと揺れる窓ガラスが弾けてしまわないか心配になる程の嵐。
流れるように、貴方の名前を口にする。
呟きとなった俺の声は、天の唸り声に掻き消されてしまった。
口にしたって本当は分かっている。返事が返ってこないことくらい。
それなのに。
沈みきった俺の心が、突然跳ね上がる。
突然扉がガチャリと開いたのだ。
「ごめんね、ハウレス。遅くなった。」
目を瞠る俺を、不思議そうに見つめるその人は。
他の誰でもない、この世で一番大切な貴方だった。
この扉が開くのをどれだけ待ち侘びたのか貴方は知らないだろう。
考えるより先に、体が動いていた。
「わぁっ。びっくりした、どうしたの。」
ああ。なんて残酷なんだ。
貴方は今、確かに俺の腕の中に居るというのに。
この瞼一つ持ち上げれば、貴方は跡形もなく消えて居なくなってしまうのだ。
何も言わない俺に、彼女も何も言わずにただ俺の頭を撫でた。
貴方を離すまいと、縋り付くにも等しい程に力を込めて抱きしめる。
「ふふっ。いつまでこうしてるつもり?」
貴方は擽ったそうに笑う。
窓の外は相変わらず、轟々と唸り続けていた。
「目が覚めるまで…..です。」
なにそれ、と可笑しそうに貴方は笑う。
目が覚めれば、消えてしまうなんて。
俺に、その温もり一つ残して。
抱き締めた貴方からは、春の匂いがしていた。
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◈第五夜
こんな夢を見た。
小説を読んでいた。
ざわめく木々に本を捲る音だけが混ざってゆく。
十六人と一匹の執事を従える主の話。彼女は自らを幸せ者だと称する。
そんな、小説を読む。
読み終わりまであと数ページ。
まだ、先が知りたくない。
俺は、褪せた本をパタンと閉じる。
ふわりと紙の匂いがした。
目を瞑ると、五感が研ぎ澄まされるような感覚に陥る。
初夏の日の午後は、酷く心地がいい。
鳥の囀の中から、自然と貴方の声を探していた。
俺はまた、本を開く。
読み続けて、とうとう最後のページを捲る。
思わず目を瞠った。
『フェネス。忘れないでね。』
見覚えのある字に、これは貴方が記したものだと確信する。
こんな本にしなくても、俺は貴方を忘れられないというのに。
夏の日差しが差す木漏れ日。
ふと、手元にあった本は消えていた。
深い緑が、初夏の初めが近づいたことを示していた。
コマドリの鳴き声が鼓膜を揺らす。
貴方の声が聞こえた気がした。
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◈第六夜
こんな夢を見た。
静かな夕凪の中。ぱしゃぱしゃと水が弾ける音だけが響く。
「ボスキ。見て!凄く綺麗!」
足元を波打ち際に浸けた、愛おしい人が天に向かって指をさした。
高くなった空を見渡せば、鱗雲に夕陽が織りまぜられて煌々と輝いている。
しかし俺にとってはこの空なんかより、眩しいほどの笑顔で燥ぐ、あんたの方がよっぽど綺麗だと思う。
柔らかく茜の差した横顔を見つめる。
「あぁ。綺麗だな。」
彼女は俺の一言を聞くと、満足気に「でしょ!」と笑ってまた波打ち際で游び始めた。
….それにしてもやけに静かだ。
この世界には俺とあんたの二人しかいないのだと錯覚する程に。
すると、何処から来たのだろうか。
この夕陽をそのまま染め上げたかのような羽を持つ蝶が、ひらひらと彼女の元へ飛んでいく。
「わ、蝶々だ!」
彼女は蝶を追いかけて、海へ向かって歩みを進める。
その度に動く水面が、嫌に静かだった。
一歩一歩、手の届かぬ方へ進んでいく彼女が、斜陽に透けて見えた。
勘づいてはいたが、これは________
いつの間にか、腰の高さ程に迄塩水に浸けた彼女が、ふと此方を振り向く。
「ボスキ、そこで待ってて。」
そう言って含羞むあんたは、やはり空なんかより何倍も綺麗だ。あんたが何処に行ってしまおうと、俺は此処でずっと待ってる。
暫く経ち、彼女は水平線に吸い込まれるようにして、見えなくなった。
気味が悪いほどに、素晴らしい夢だな。
皮肉にも、神はあんたを忘れさせてはくれないらしい。
フッと笑うと、また波が打ち寄せた。まるで、一緒に笑ったかのようだった。
取り残された浜辺には、軋む義手の音と
波の音がしていた。
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◈第七夜
こんな夢を見た。
春霖降り頻る午後。
窓の外を見つめる彼女の瞳は、硝子の蒼が反射して まるで深海のようだった。
暫く外を見つめていた彼女はなにを思いついたのか此方を向き、悪戯っ子のように笑って言った。
「ねぇアモン、外に出てみようよ」
突然何を言い出すのかと思えば、この人は。
その無邪気さに、仕方の無い人だと自然と微笑んでいた。
しかし、どうしようも無く惹かれてしまうのは彼女から香る、花の匂いの所為だろうか。
はやくはやくと手を引かれる儘に着いていくと、本当に屋敷の庭まで来ていた。
「新しいお花植えたでしょう?待ちきれないから紹介して欲しいの。」
花が咲いたみたいに笑う彼女に釣られて、自分にも花が咲いていたかもしれない。
雨粒が衣服をじわじわと濡らしていく。
しかし、そんなのもお構い無しに。
オレたちは花々を見て回った。
雨に濡れた花たちは宝石を散りばめたみたいで好きだと、彼女が言う。
とうとう、庭の奥まで来た。
「わぁ….すごい…..!」
あんたが感嘆の声を上げるそれは、藤の花。
同室のリーダーに藤棚を作って貰った甲斐があったものだ。
紫の花房が、風に揺れて靡いていた。
彼女の髪と、オレの瞳が揺れたのは同時くらいだっただろうか。
ずっと、眺めていたかった。
「ねぇアモン!空!!」
こんなにも愛おしい人から、決して離れたくないとも思う。
思わず笑みを零しながら頭を擡げれば、見事な日輪がオレたちを照らしている。
春風が、冷たくなった服を穏やかに乾かした。
その度に靡く彼女の髪と、藤。
己の目はどちらに奪われていたのか、なんてことは言うまでもない。
彼女が振り返って、綺麗だと微笑む。
視界が虹色に染まった。
これが本当の花霞か、等と馬鹿なことを考える。
だって、丹精込めて育てた雨上がりの藤が霞む程にも、 目の前の虹が華やいでいたのだから。
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