テラーノベル
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深冬芽以
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東京の街は、私たちが知っている場所ではなくなっていた。
至る所に設置されたデジタルサイネージには
あの「偽物の私」が聖母のような微笑みを浮かべて映し出されている。
『……皆さん、お願いです。私の愛する弟、蓮がテロリストに拉致されました。彼らは私の声を、世界を壊すための武器にしようとしています。どうか、彼らを見つけ出し、蓮を救ってください』
「……お姉ちゃん、僕、誘拐犯になっちゃったの?」
蓮が震える声で呟く。
走行中のバンの窓越しに、スマホを片手に周囲を警戒する通行人たちの姿が見えた。
彼らは正義感に燃え、政府が配信する「テロリストの目撃情報」を血眼で探している。
パンドラという「個人の欲望」による支配から、国家という「集団の正義」による支配へ。
その矛先は、真実を知る私たちに向けられていた。
「……最悪の脚本ね」
結衣が苦々しく吐き捨てる。
「大衆は『可哀想な聖女』の言葉を疑わない。今、私たちが何を叫んでも、それはテロリストのプロパガンダとして処理されるわ」
その時、道路上に設置された検問のセンサーが激しく反応した。
バンのダッシュボードが真っ赤に点滅する。
「チッ、顔認証システムが更新されたわね!九条、やるわよ」
美波が急ブレーキを踏み、ハンドルを大きく切る。
追跡してきた白バイ隊員たちが一斉に銃を抜いた。
「……下がっていろ!」
九条さんがドアを開け、外へ飛び出す。
彼の右目が激しく青く発光した。
九条さんは発砲せず、ただ空中に手をかざした。
パンドラの「残滓」が、彼の神経系を通じて周囲の通信網に干渉し
追跡者たちのデバイスに強烈なノイズを叩き込む。
「ぐわっ!? 通信が……ナビが死んだ!」
警官たちが混乱する隙に、私たちは路地裏の廃ビルへと逃げ込んだ。
息を切らし、埃っぽい暗闇の中で互いの存在を確かめ合う。
私はノートを取り出し、震える手でペンを走らせた。
【みんな、ごめんなさい。私のせいで】
「謝るな、栞。…君が謝ることじゃない」
九条さんが私の肩を強く抱き寄せた。
彼の右目からは、過負荷による血が流れている。
「僕たちは生きている。…生きている人間が、偽物のデータに負けるはずがない」
ビルの一角、蓮がハッキングした古い端末に、東京タワーの防衛システム図が表示された。
タワーの頂上にある送信ユニット。
そこが、この偽りの世界を上書きできる唯一の場所だ。
「明日の20時、偽物の栞が『国民への感謝祭』で全世界同時中継を行うわ」
結衣が冷たい笑みを浮かべる。
「その瞬間、本物の栞を電波の波に乗せる。…声が出ないなら、あなたの『存在』そのものを、日本中の網膜に焼き付けてやりなさい」
だが、モニターに映る偽物の栞が、一瞬だけ不敵に笑ったように見えた。
まるで、私たちがここに来るのを、ずっと待っていたかのように。