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私は、橘逸勢殿の書状を握りしめたまま、御簾の前に畏まった。
先ほどから、蝉時雨が耳鳴りのように鳴り響いている。
すると、氷のように冷たい声が叩きつけられた。
「何故、わらわが恒貞親王を助けねばならぬのじゃ。
理由を申してみよ」
私は、さらに身を縮めた。
言いたきことはあるものの、緊張のあまり、言葉がしどろもどろになる。
「淳和院后は、皇太后様の娘君…
恒貞親王は、皇太后様のお孫…
私には、お助けするのが当然で、お助けする理由を問われる方が不思議なことかと…」
御簾の奥から、檀林皇后の失笑が漏れる。
「そなたの言葉を借りるならば、仁明帝はわらわの息子、道康親王もまた、わらわの孫ではないか」
私の顔から、どっと汗が吹き出してくる。
「されど、嵯峨上皇様と淳和上皇様のお約束がございますれば…」
私の言葉を、檀林皇后の鋭い叱責が遮った。
「黙れ!
わらわが、正良と正子を産んだ折、周囲の者どもが、何と申したか知っておるか?
双子は不吉じゃと…
とりわけ、男女の双子は心中した者の生まれ変わりだと囁かれた。
だから、わらわは正子を憎んだ。
あの娘さえ生まれなければ、わらわの出産が穢れることはなかったのじゃ。
そのような娘が産んだ子を、何故、わらわが助けねばならぬのじゃ?
理由を申してみよ!」
檀林皇后の言葉に、もはや汗は引き、私の身体は氷のように冷たくなっていた。
「そなたは、橘逸勢と組んで謀叛を企てておるのではあるまいな?」
この言葉には、さすがの私も悲鳴を上げてしまう。
「め、滅相もございませぬ!
私は、薬子の変の折、父の罪により一度は廃太子となりながらも、嵯峨上皇様のご寛恕を賜り罪を許された身…
ゆめゆめ、謀叛など考えたこともございませぬ。
私はただ、恒貞親王の身を案じて、皇太后様のお力をお借りしたいと申しておるだけで…
それを、謀叛と仰せとは、甚だ心外にございます」
しかし、謀叛という言葉に、お付きの侍女たちが浮き足だってしまったようだ。
すると、いつの間に現れたのか、近衛の兵に背後を固められてしまった。
まずいことになったと慌てて平伏するが、こうなれば、もはや後の祭りだ。
「ご、誤解にございます!誤解にございます!」
叫び続ける私を無視して、檀林皇后の命が飛ぶ。
「阿保親王の手にある書状を取り上げよ!」
私が、慌てて書状を懐に押し込もうとするも、二人の屈強な兵士に両脇を押さえ込まれて、橘逸勢殿の書状はあっけなく奪われてしまう。
私は、両手をバタバタと動かして抗ったが、もはや身動きも取れぬ。
私は、母と娘の確執が、これほどまでに根深いものだとは想像もしていなかった。
されど、この確執こそが、今の淳和院后を作り上げたのだと言われれば、妙に腑に落ちる点がある。
いや、そんな呑気なことを考えている場合ではない…
今、取り上げられた橘逸勢殿の書状は、十分に謀叛の証拠となってしまう。
これは、とんでもない失態を犯してしまった。
このままでは、私が、皆を裏切ったことになってしまうではないか…
#すとぷり
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井野匠
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コメント
5件

いやあ、第19話、すごかったですね…。檀林皇后の「正子を憎んだ」という告白、あれは重かったです。双子の不吉視、まさかここまで根深い確執になっているとは。阿保親王が書状を奪われて詰む流れ、伏線が一気に回収されていく感じでゾワッとしました。この後どう転ぶのか、続きが気になって仕方ないです!