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「ねえ、待てって。ちょっとだけ。」
いつもの余裕のある湊さんとは違う。シフトに戻ろうとする私のカフェ制服の裾を引っ張って湊さんはしがみつくような声で私を呼び止める。彼の目の奥が揺らいでいるのは動揺のせいか、控室の柔らかいオレンジの照明なのか、はたまたそれ以外なのか。二ヶ月前に出会った当初と比べると随分心をひらいてくれたものだ。見つめ合ったまま目が離せない。目に見えない引力に吸い寄せられるようにして私達の距離が近づく。私はきっと期待してはだめだと思いながらもこの引力には抗えないと言い訳をするふりをしていた。
顔合わせから二週間がたった。今のところ作業は円滑に進んでいて晴陽さんとも普通の友達のような会話をできるようになってきた。湊さんもとってもフレンドリーなのだがやはり少しだけ距離を感じる、いや、きっと私が無意識に距離を取っているのだ。ただでさえ人付き合いがあまり得意ではないのに男の人はどう接したらいいのかまるでわからない。ぼんやりと作業をする湊さんを目で追いながらそんな事を考えていると不意に目があってしまう。やば、見すぎたか?ほんの少しだけ目を細めて湊さんは風のような柔らかい笑みを浮かべてメニュー制作をしていた私と晴陽さんの方へ足を運ぶ。
「おふたりさん。今度三人で遊ぼうよ。」
晴陽さんは作業が中断されたことが不服だったのか一瞬訝しげな視線を湊さんに向けてからさすがの明るさで承諾した。私も二人のまっすぐにこちらを見つめる視線に気圧されてたどたどしくもオーケーを出す。晴陽さんも湊さんもまっすぐ目を見てそらさない強い目を持っている。トントン拍子に話は進み私が一度も声を発さずに日時に場所も決まってしまっていた。長いものには巻かれろという言葉があるが巻かれすぎて回遊魚の群れに囲まれている気分だ。
日曜日の朝9時。井の頭公園駅前。約束の時間だ。湊さんのことはわからないが晴陽さんが遅刻してくるのは珍しいと思いスマホを確認すると案の定カフェ用のグループラインに晴陽さんから連絡が来ていた。『ごめんねーちょっと色々あって数時間遅刻するかも。さっき行ってて〜(´;ω;`)』だそうだ。となると数時間湊さんと二人ということになる。うーーん…きまずい☆
「紫雨ちゃん!ごめんね、待ったっしょ?」
後ろから声をかけられ驚いて振り向くと湊さんの顔がすぐそこで私の顔を覗き込んでいる。不自然なまでに勢いよく目をそらすと湊さんも気まずそうに気づかなかったふりをする。
「…ハルのやつ数時間遅れるって何だよって思うよな。」
そうですねと返事をしたつもりが声がかすれて変な感じになってしまった。
「俺ボート乗りたい!手漕ぎのやつ!」
「の、のりましょう!」
なんとか世間話なりカフェの計画の話をしながら手漕ぎボートにたどり着いた私達はそれでもやはり少しだけ気まずさがあった。
「紫雨ちゃん、つかまって。」
先にボートに乗って湊さんは私に手を差し伸べる。これが俗に言う女慣れってやつか。残念ながら私は男性耐性ゼロなんです。覚悟を決めて湊さんの手を握る。彼は私を優しく向かいの席に座らせボートを操縦し始めた。
「手、温かいですね。」
「そうかなー。紫雨ちゃんはひんやりしてるね。」
「そうですかね。」
「あとさ、敬語やめようよ。友達なんだし。」
あまりに自然に言うもんだからびっくりする。そうか、友達なのか。この人と。気まずかったのも私が気まずくしていただけなのかもしれない。
「うん。そうしようかな。」
「呼び方も『さん』つけなくていいからね。友達なんだし。」
「うん。」
湊さんは安心したように笑った。湊さんはいつもはふふっと大人びた笑い方をするが顔全体で笑うと少し若く見えて可愛らしい。この人はなんだか温かい。
「あとさー、晴陽のこと好きじゃないって言ったじゃん。ちょっとましになったけどまだ気使ってるでしょ。」
「別にそういうわけではないんだけどねー…。」
「めっちゃ反応微妙じゃん。まあいいけどさ。」
「でも晴陽さんかわいいよ!なんで?」
「なになになに。今までで一番声大きいじゃん。」
湊さんは数秒間黙ってこちらを見つめた。言葉を紡いでいるのだろうか?何を考えてるのかわからない。
「晴陽はさ、かわいいかもしれないけどなんか違うんだよね。俺はね、どっちかっていうと…」
何かを言いたげなのに頭に木の葉が落ちてきていて全く威厳がない。本当に知ろうとすればするほどに面白い人だ。葉っぱを取ろうと手を伸ばす。急に近づいたからか湊はビクリと体を大きく反応させた。その拍子にみごとにバランスが崩れめでたく転覆。
「ちょっと!なんで急に動くの!」
「だって、てっきり…。」
もう何がなんだかわからなくて笑えてくる。一度笑い出すと止まれなくなりおかしくてたまらなく思えてしまう。
「紫雨ちゃんて笑うんだね。」
いつぞや晴陽さんに言われたことと全く同じ。そうか、この人がいい人だと感じるのは晴陽さんににているからなのだ。どうしてだろう、ひさしぶりの不整脈。