──船に乗り込み、二人でデッキに上がった。
動き出す船上で、湖を凪渡る風に吹かれながら、
「気持ちいい…」
髪を押さえて呟くと、
「本当に……」
風で揺れる私の髪に、そっと彼の手が当てがわれた。
寄り添ってデッキから景色を眺めていると、いつにない穏やかな時間が流れて行くように思えていると、
「この船には、幼い頃に父と乗ったことがあって……」
湖面を見つめていた彼が、ふと口を開いた。
「お父様とですか?」
走る船のスクリューにしぶきの跳ね上がる湖水を、自分も同じように見下ろして問い返す。
「ええ…父と来た、最初で最後の旅行でした」
「最初で最後の?」
その憂いを帯びた横顔を見やる。
「ええ、父も医師でしたので、そんなに体をあけることもできなかったので、ただ一度きりの旅行で……」
彼が話して、感慨にふけるようにため息を漏らした。
「幼かった自分は父との旅行が嬉しくて、大きな船に喜んで……」
船がボォーっと汽笛を鳴らす音が低く響き渡る。
「この汽笛もよく憶えています……。突然の音にびっくりして私が胸にしがみつくと、……父は、ただ何度も頭を撫でてくれて……」
黙り込む視線の先には、進む船の舳《へさき》が見えた。
「……先生が旅行されたのって、いつ頃のことだったんですか?」
「いつ頃のことだったのかは……幼くてもうあまり憶えてはいないのですが、あの時には、途中で急に雨が降り出してきて、父に抱かれデッキから船内に走り込んで……」
視界の端を、一瞬、幼い彼を抱き上げて走る父親の姿が通り過ぎた気がした……。
遠くを見つめる彼の眼差しに、きっとお父様との様々な思い出を偲んでいるんだろうと感じて、
彼の涙を初めて目にした葬儀のあの日から、もうどれくらい経ったんだろうかとふと感じた……。
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