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 妊娠六か月に入ってからの健診も順調で、胎児の性別は男の子だと判明した。四週間前の健診でも「多分、男の子かな」とは言われていたが、今回のエコーでははっきりと股間のブツを披露してくれたのでほぼ確定だった。


「男の子かぁ」


 仕事は半休を取って初めて健診に付き添った雅人は、希望していた性別だったらしく、目尻をこれでもかと下げながらエコー画像が映し出されたモニターを見上げていた。別にどちらでも良かったのだけれど、女の子だといずれ嫁に出てしまうことを想像するだけで辛くなるのだという。まだ生まれてもいないのに、完全な溺愛っぷりだ。


 診察を終えると、これから仕事へ行く雅人を最寄りの駅まで車で送り届けてから、有希はそのまま実家に向かう。産院からは車で十分の距離だから、用が無くても健診の度に家の様子を見に帰ることを決めていた。新居よりも、まだまだ実家の方が落ち着く。


「ただいま」

「あ、有希。丁度良かったわ、ピーちゃんが血流して有希の布団がドロドロなのよ……」

「へ?」


 帰って来ていきなり、猫が流血していると聞かされ、有希は目をぱちくりさせる。予想外過ぎて、何がなんだか分からない。慌てて自室へと駆け上がると、家を出た時のままの有希の部屋のベッドで、白黒猫のピッチが掛け布団に埋もれて丸くなっていた。その周辺には赤黒いシミがべったりと付いていて、布団カバーは母の言う通りにドロドロで汚れきっていた。

 少し帰って来なかっただけで、どうしてこんな惨状になってしまっているんだろうか。理解不能だ。


「ぴ、ピーちゃん?」

「ナァー……」


 弱々しい鳴き声で返事をして上げたピッチの顔は、半乾きの血とヨダレで見るも無惨な状態。気のせいか一週間前に見た時よりも痩せて小さくなっている。


「一昨日から鼻血が止まらないし、口もまた痛がってるのに、私では嫌がって暴れるから病院に連れていけないのよ」

「鼻から、血?」

「鼻か口か、どこから出てるのかは分からないけど、野良猫と喧嘩でもして来たのかも」

「と、とにかく病院に……」


 時計で動物病院がまだ診察時間内だと確認すると、有希は猫を抱きかかえると母が用意してくれたキャリーに入れた。不安そうにはしているが、暴れて嫌がる様子はない。抱き上げるとその軽さと力の無さに驚く。もし有希が顔を見せに帰ってこなければ、母はいつまでこの状態で放置するつもりだったんだろうか。


「歯周病が再発して、その菌が鼻に悪さしているのかもしれませんね」


 母の言っていたような、喧嘩での怪我という訳ではなかった。そもそも穏やかな性格のピッチが喧嘩なんかする訳がない。気性の荒いクロなら考えられるかもしれないが。

 獣医の初見では鼻の粘膜に歯周病菌が入り込んだのが原因かもということだった。触診されている時はさすがに痛いらしく、ピッチは鼻や口元を触られるのを嫌がる素振りを見せていた。


「今回は犬歯みたいなんですが、ちょっと抜きにくい歯なのでどうだろう……」


 猫の身体のあちこちを触診しながら、獣医は少しばかり渋い顔をしていた。抜けきれない場合はクリーニングと消毒をするくらいしか出来ないという。それでもまた全身麻酔を施しての手術になるらしい。


 心細そうなピッチを預けて動物病院を出ると、有希はそのまま自分の家へと帰る。前回とは違って痩せてしまっているピッチが手術に耐えられるかと不安だが、信頼する獣医に任せるしかない。


 二泊の入院になると聞いていたのに、動物病院の電話番号から有希のスマホに着信が入ったのは翌日のことだった。ピッチが急変したのかと、焦って電話に出た有希に、獣医が静かな声で告げる。電話の向こうの重い空気感に、嫌な予感しかしなかった。


「ピッチちゃんの鼻の細胞を病理検査に出させて貰ったら、癌の腫瘍でした」

「え、癌、ですか……?」

「癌が鼻先を溶かしている状態で――」


 詳しい話はまた来院時にと言われ、有希は茫然と電話を切った。父に続いて猫までも癌細胞に侵されていた。ピッチの癌の進行度合いはまだ分からないけれど、父と同じく猫までもがと、とても悔しかった。また、癌によって大切な家族を奪われてしまうのか、と。


 二日ぶりに再会したピッチは、口元の痛みも鼻先の出血も無くなり、有希の顔を見ると診察台の上で嬉しそうに擦り寄ってきた。歯周病で傷んでいる犬歯はやはり固くて抜くことが出来なかったらしく、クリーニングと消毒という措置だけで終わったという。そして、溶けて出血していた鼻先は傷口を縫い合わせて止血処置が施され、とても綺麗になっていた。


「鼻の癌を完全に取り除くには鼻を削ることになるので、かなり人相――あ、猫の顔の印象が変わってしまいます」


 人相と言いかけて、すぐに顔の印象と言い直した獣医は、ピッチの鼻を指先でツンツンと突いた。ピッチの鼻先に出来ていた腫瘍は放っておけばどんどんとその範囲を広め、猫の愛らしい鼻を溶かしていく。また周辺が血だらけになるのは勿論だが、鼻の痛みで食事がままならなくなるのは目に見えている。


 立て続けの手術は老猫への負担は大きい。しばらく様子見てから、次にまた出血した時には腫瘍除去の手術を受けさせることにして、有希は一旦は実家へとピッチを送り届けた。


「ピーちゃんまで、癌になっちゃったかぁ……」


 家に着いてから猫をキャリーから出しながら経過報告をすると、玄関先で母も大きく項垂れた。もう癌はこりごりだ。

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