「お兄……ちゃん?」
舞華が発した言葉に首を傾げる絢子を余所に、しがみつくようオレの首へと抱き着く舞華。
「お兄ちゃん、わたしの試合観てくれましたっ!? 勝ったよっ! お兄ちゃんに教わったヴァルキリーが完璧に決まったよっ!!」
「う、うん観たよ……凄かったよ……だから人前で、こその呼び方はやめようか?」
不思議顔の絢子の視線を浴びながら、笑顔を引きつらせるオレ。てゆうか人前じゃなくても、その呼び方は止めて欲しい。
「ちょいと舞華さん。はしたないですわよ、早く離れなさいな」
「そゆことだ……よっと!」
「うわっ!?」
続いて入って来た愛理沙と美幸に襟首を掴まれ、引き離される舞華。
リングコスの上からジャージの上着を羽織って現れた新人三人組。てか、何でこんな所に……?
「それよりもお兄様。わたくしの華麗な勝利、ご覧になって頂けましたか?」
「おう、アニキッ! 俺ッチの勇姿は観てくれたかい?」
「お兄様……? アニキ……?」
新人達に囲まれるオレを見る絢子の視線が、不思議顔から不審者を見るような目付きに変わっていく。
マ、マズイ……こんな所で男バレは勘弁して欲しい。
「え、えーと……細川さんだったよね? コッチは大丈夫だから、かぐやの方に行って貰えるかな?」
「えっ? でもわたし、優月さんのセコンドって――」
「ああっ、大丈夫大丈夫! セコンドはこの娘達が付いてくれるから。そ、それにほら……か、かぐやの入場衣装ってバカみたいに派手だから、人手が多い方がいいでしょ?」
「は、はあ……まあ、そういう事なら……」
「うん、ありがと! かぐやによろしくね!」
不承不承といった感じで控え室を出て行く絢子を見送り、扉を閉じて鍵を閉めるオレ。
ふうぅ~、バレてはいよな……?
「って! うおっ!?」
一つため息を吐いて振り返ると、超至近距離に瞳を輝かせた舞華の顔――
オレは驚きのあまり、扉に貼り付くように後ずさった。
「え、えーと……なに?」
「わたし達がセコンドに付いてもいいんですかっ!?」
「あっ……え、え~と……付きたいの?」
「はいっ!!」
ま、満面の笑顔……
オレ的には三人を帰したら、かぐやに電話して絢子を返して貰おうと思っていたのだが……
いや、そんなキラキラと期待に満ちた目で見ないで……ダメと言えなくなるから。
「ああぁ……そ、そうか……じゃあ、お願いしようかな――」
「やったー♪」
飛び上がって、無邪気に喜ぶ舞華。
「あっ、でもさっきみたいに、人前でお兄ちゃん言うのは、ナシね!」
「はーい。分かったよ、お兄ちゃん♪」
「愛理沙と美幸もっ!」
「ええ、かしこまりましたわ、お兄様」
「おう、任しとけ、アニキッ!」
ホントに分かってるのか、コイツら?
「わたし、いっぱい応援しますから、ガンバって絶対勝って下さいね!」
屈託のない笑顔を向ける舞華。色々言いたい事はあったけど……
まっ、その笑顔に元気を貰った感じだし、良しとす――
「お待ちなさい、舞華さん。あなた分かっておりますの? この試合でお兄様が勝てば、即引退ですのよ」
「あっ、そうだった……じゃあ、お兄ちゃん。ガンバって負けて下さいね!」
「おう! 俺ッチもアニキが、ちゃ~んと負けるように応援するぜ!」
「ええ、わたくし達の為に、シッカリ負けて下さいまし、お兄様」
あっれぇ~? せっかく貰った元気を、ゴッソリ持って行かれたような……
『おぉーとっ、バイソン絵梨奈っ! 高々と腕を挙げて、勝利宣言! 肘のサポーターに手をかける。これは鉄腕ラリアットの合図だぁぁーっ!!』
テンションが下がってきた所で、点けっぱなしだったモニターからジャストミート明菜さんによるテンション最高潮の声が響いた。
自然とモニターへ向けられる全員の目。そこに映っていたのは、グロッキー状態でダウンする佳華先輩の髪を掴んで引きずり起こす荒木さんの姿――
まさに彼女の必殺技『鉄腕ラリアット』でフィニッシュを決めに行こうというところだ。
「決まったな――佳華先輩の勝ちだ」
「「「えっ?」」」
オレの独り言みたいな呟きに、疑問符を浮かべる三人。確かにパッと見は、荒木さんが圧倒的に有利なように見える。
しかし、あの佳華先輩が、あの程度でグロッキーになるとは思えない。つまり、あれは|演技《ブラフ》だ。
『バイソン絵梨奈、竹下をロープに振る! 竹下、万事休すっ! 返って来た所をカウンターでバイソンの鉄腕ラリアー、ああぁーっと!? |躱《かわ》したっ!? 躱したっ!! 竹下、バイソンの腕をくぐり抜け、素早くバックに回る。そして背後からスリーパーだーっ!』
大歓声のファンと一緒に驚きの歓声を上げて、モニターに釘付けになる舞華達。
ヤッパリ狙っていたか。完全に佳華先輩の勝ちパターンだな。
オレの予想通り、佳華先輩はスタンディングのスリーパーで荒木さんの身体を後ろへ|仰け反《のけぞ》らせると、肩越しに右手で荒木さんの左手首を掴み、素早くコブラクラッチへと移行した。
プロレスというのは、脳筋が考えもなしに暴れまわっていると思われがちだが、決してそんな事はないのである。プロレスとは、詰将棋の如く綿密に技を組み立て、いかにして自分の|決め技《フィニッシュムーヴ》に繋げるかが、勝負の鍵となるのだ。
例えばの話、逆エビや4の字が|弱点《ウィークポイント》の選手と対戦しても、その技で勝負を決める事はまず有りえない。
確かに弱点があるなら、当然にして技の組み立ての中にその技を組み込んでいくだろう。ただそれでも、最後は自分のフィニッシュムーヴへと繋いでいくものである。
そう、磨き上げた自身のフィニッシュムーヴで勝負を決めるのが、対戦相手へ向ける最低限の礼儀である。
格闘技であると同時にエンターテイメントでもあるプロレスは、ただ勝てばいいというモノではない。自分の強さをアピールし、観客を沸かせ、その上で勝利を目指すモノなのだ。
観客を沸かせ、楽しんでもらってこそのプロレス――プロフェッショナル・レスリングである。
その為に必要なのが、先程も言った『詰将棋の如き、綿密な技の組み立て』だ。
そして、佳華先輩はその組み立てが非常に上手い。
劣勢を演じて、王手とも言うべき荒木さんのフィニッシュムーヴ、『鉄腕ラリアット』を打たせた佳華先輩。しかし、その王手を華麗に|躱《かわ》し、佳華先輩は逆にコブラクラッチで逆王手をかけたのだ。
コブラクラッチは、非常に強力な絞め技である。これで|気絶《オト》されたり、|投了《ギブアップ》する選手も少なくはない。
そして、この|王手《わざ》に耐えたとしても次の一手――
『竹下っ! スタンディングのコブラクラッチの体勢から、バイソンの巨体を両肩に担ぎ上げたーっ! でるかっ!? でるのかっ!? でたぁぁぁーっ!! バンブーハンマーーッ! バイソン絵梨奈、脳天からリングに突き刺さるっ!!』
これで『詰み』である。
ってか、相変わらずエグい角度で落とすなぁ……
コブラクラッチの体勢から首を極めた状態で落とす、変形のバーニングハンマーで、ピンフォール率100%を誇る佳華先輩のオリジナルフィニッシュムーヴ『バンブーハンマー』。
大の字で仰向けにダウンする荒木さんに対し、その右足を抱え込みながらフォールの体勢に入る佳華先輩。
『ワンッ! ツーッ!』
レフリーのカウントに合わせ、会場が一体となりファン達も一体になりカウントを始める。
そして――
『スリーーーッ!!』
会場を揺るがすほど大歓声が、直接控え室まで届いて来る。そしてモニターの中では、レフリーが勝者である佳華先輩の手を高々と挙げでいた。
大学の学祭やサークルのイベントなどとは比べモノにならない熱気……
正直、こんな所で試合が出来るのは、やはり嬉しいとは思う。しかし、まだオレ自身の中では、女子プロのリングへ上がる事が割り切れていない。この一ヶ月間。色々と葛藤もあったけど、自分の中で出た結論はやはり、女子プロのリングに上がるのはかぐやとのこの一戦だけという事だ。
その為には……
オレは自分の頬をパンッと張り気合を入れた。
「よしっ! じゃあ、行こうかっ!!」
「「「はいっ!」」」
愛理沙、美幸、舞華の返事を背に受けて、オレは上着を羽織り、拳を強く握り締めながら控え室を後にした。
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