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黎明
もののあはれ
23
斧を握る手がじんわり汗ばむ。太陽の日差しは強く、下界に住む人間をキラキラと照らす。六月、蒸し暑さと雨の匂いを感じる季節。
水溜まりは踏まれ、ぽちゃんと鳴く。玄関に干される傘から雫が垂れる。
暑くなってきたねと騒がしいその街を一人の男は駆け抜けていた。
人にぶつからぬように路地裏などの狭い道を選んで進むのは金髪の斧使い、サーナルガであった。
日の出る東へ進んでゆく。お昼時、皆が昼食を食べ終わり再び仕事に戻ろうとする時間帯、彼は大きな緑の畑の前に立っていた。
手には斧ではなく小さな鎌を握っている。今日の依頼だ。
「ありがとうなぁサーナルガ君、飴ちゃん食べる?」
「ええよええよ、こちらこそや。後飴ちゃんは要らへんよ」
麦わらのカンカン帽子を被ったお爺さんはサーナルガの断りの言葉を受け流し、個包装の飴玉を3つ手のひらに乗せる。
サーナルガの大きな手とは比べ物にならない程小さなそれに少し可愛いなと彼は感じた。
今日の依頼は雑草狩り。お爺さんにとって屈むのはだいぶ腰にくるらしく、たまにこういう依頼を冒険者にしているようだ。
サーナルガも冒険者である。ただ受ける依頼はこのような老人のお手伝い、子供のお世話など日常的なものばかりで戦う事はほぼしない。
真っ赤に熟れたトマトや、水々しいキュウリ。見ているだけで食べたくなるものばっかりだ。
側に生える若緑の雑草をサーナルガは引き抜いていく。ごめんなとぽそり、呟きながら、一つずつ丁寧に抜いていく。固いものや抜きずらいものは根本を鎌の先で切る。
半分ほど終わった頃だろうか。空で笑う太陽は少しばかり傾いていた。サーナルガのデカい体にとってその作業は窮屈で、一度立って腰をぐーっと伸ばす。土で汚れた手が、サーナルガにとっては愛おしいもののように感じていた。
「あ!大きいお兄ちゃんだー!」
ふと、聞き馴染みのある無邪気な声が耳に入ってきた。お爺さんの孫の元気な男の子である。
「またお手伝いしに来てくれたのー?」
「せやでー、お兄ちゃんは体力があるからな!」
サーナルガはそう言ってポケットをまさぐり、先程お爺さんから貰った飴玉を手渡す。
子供の手には大きいようで、3つも置くと少し溢れてしまった。
「さっきお爺さんから貰ったんや。お兄ちゃんはお腹が空いとらんから食べえ」
子供はそう聞いてもフルフルと頭を横に振り、それを大きな手に押し戻した。
「お兄ちゃんが貰ったんでしょ?お腹が空いてないなら空いた時に食べなよ!」
少年は元気いっぱいにそう言い、サーナルガがまだやっていない畑の作業に行ってしまった。
優しい子だなとサーナルガは思う。自分だったら全て遠慮なく頂いてしまうのだから。
ころりと桃色の飴玉を口にする。見た目通りの桃の風味が甘ったるい。
それがサーナルガにとって、すごく嬉しいものだった。
鼻を少しだけ啜る。悲しい訳ではない。
さて、作業に戻ろうか。早く終わらせて美味しい野菜をお爺さんに作ってもらおう。
それが市場に並ぶ時が楽しみだ。
・・・
陽が西に傾き、空が眠る準備をする。なぜ夕日は赤いのだろうとサーナルガは子供心のある疑問を持った。
お爺さんはサーナルガの腕をぽんぽんと叩き、彼に銀貨2枚と小さな袋を手渡した。
「いつもありがとうなぁ、これはおまけで」
袋を開いてみると可愛らしい小さなトマトがコロリと笑っていた。
「こんな美味しそうなもん、タダで貰えんよ」
「いやいや、むしろ足りんぐらいじゃ。本当にいつもありがとうなぁ」
自分には小さすぎるそれがとても愛おしい。サーナルガはゆったりと微笑み、お爺さんにそれに対する感謝を伝えてその場を去る。
今日の晩ご飯のサラダにはこれを添えて貰おう。きっとみんな、喜んでくれる。
そう期待を込めながら大きな彼は人混みに逆らうように帰路についた。
・・・
サーナルガはみんなが居るいつもの家に帰宅する。彼はここが好きだった。
ただいま。と声をかけると何重にもなった「おかえり」が返ってくる。
キッチンでは青い髪の男と、若緑色の髪の男がわいわいと言葉を交わしている。
「ジュピター。その真っ赤なスパイス、絶対に鍋にぶち込まないで下さい」
「えー、美味しそうじゃない?」
真っ赤でいかにも辛そうな粉が入ったスパイス缶を手に笑うジュピターと、困ったようにその手を制するリュートルが料理場に立っていた。
ジュピターは辛いものが大好き。彼が一人で料理を担当した時は全員地獄を見たことがある。
なので最近は最低でも二人、家事当番を決めて担当を回している。
今日の場合はリュートルとジュピターの二人。リビングに目線を向けると、仕事終わりであろうリトナがだらしなくソファーに沈んでいた。
丸く、長いまつ毛に囲まれたエメラルドのそれとバッチリ目が合う。「おかえり」と言うように優しい瞳は微笑み、サーナルガはそれに「ただいま」と微笑んで返した。
「お疲れさん。これ、貰ったんや。使ってくれるか?」
「おかえりなさいサーナルガ。トマトですか、旬も近くなってきましたしいいですね」
リュートルに手元の愛らしい赤いトマトを手渡す。サラダにでも添えましょうかと笑う彼をみてホッとし、まだ用があるからとサーナルガはその場を後にする。
自分の部屋の机の上。何かが入っている袋に、今日頂いた銀貨を流し込み、サーナルガはそれを手にまた外に出た。
・・・
日は沈みかかり。紫色が世界を包んでいた。
雨の匂いを胸いっぱいに吸い込んで、夏の訪れを感じる。
だ が6月も始まったばかり、暗くなると少しばかり肌寒い。
人だかりが目に見えて減った大通りを抜け、少し暗い裏路地に迷わず足を進める。
もう、何十回と通ってきた道だ。
昔はここの暗さや埃っぽさに足がすくんだ、昔の記憶をしみじみと噛み締める。
『おにいちゃん…またきてくれる?』
何度も頭の中を巡る幼い声を、何度振り払おうとしたか、サーナルガは覚えていない。
古臭い孤児院。治安の悪い落書きとボロボロで剥がれかけの木の柵に囲まれたそこに、サーナルガは迷いなく足を踏み入れた。
中の建物から一人のお婆さんが出てくる。前見た時よりやつれているように見え、心優しい彼の心がズキリと痛んだ。
「いつもお疲れさん。今月の分や」
「ありがとうねぇ…お前さんだって自分の生活があるって言うのに…いつもごめんねぇ」
サーナルガが手渡したのはジャラリと音を鳴らす袋だった。中には彼が『表の世界』で稼いだお金が入っている。
そういえば、前にもかなりの量を渡した気がするが相変わらず孤児院は酷い状態であった。
いや、むしろ前より酷いかもしれない。
「…また落書き増えとんな」
「いくら注意しても聞かなくてねぇ…張り替える余裕もないし…」
悲しそうな瞳で落書きを見つめる、目の前のお婆さんにグサリと胸を刺される感覚を覚える。
「…もっと、稼がな」
サーナルガはそうボソリと呟いてお婆さんに頭を下げ、路地裏から外に出た。
夜に染まりかけている空気の匂いは湿っている。もうすぐ雨が降るかもしれないなとサーナルガは思い、早歩きでいつもの家に帰ろうとする。
何故か足が重たく感じた。きっと、今日は慣れない畑作業をやっていたから疲れてしまったんだろう。そう思うことにした。
影に後ろ髪を引っ張られているような重苦しさを感じながら、彼はただ夜の方向に歩んでいった。
コメント
3件
ああ、めっちゃ良かった……(じわじわ) 「仕事人の斧使い」ってタイトルからてっきり戦闘メインかと思ってたけど、こんなに心温まる日常話とは思わなかったわ。サーナルガが雑草抜きとか畑仕事してる姿、デカい体で小さな鎌握ってるギャップがもう可愛すぎるし、子供から飴を押し返されるシーンで鼻啜るところで完全にやられた。孤児院に給金全部持ってく優しさ、泣ける。日常に“強さ”を感じる話、大好きです🔥