1時間ほど馬車に揺られ、ジェムラートのお屋敷に到着した。レオン殿下が連絡をして下さっていたおかげで、私達はスムーズに中に入れて貰えた。まずは旦那様にご挨拶をしなければ……クレハ様から預かっているお手紙だってあるのだ。
応接室までの案内をしてくれたのは、執事のライナスさんだった。彼は私と目が合うと柔らかく微笑んだ。その親しみを感じさせる笑顔にほっとしたのも束の間……ライナスさんはすぐに表情を引き締めてお仕事の顔に戻ってしまった。自分だってジェムラート家にお仕えしている使用人の端くれだ。お客様のような扱いをされるとムズムズしてしまう。
「こちらでお待ち下さいませ」
ライナスさんに応接室の中に通された私達は、部屋に備え付けのソファに腰掛けて旦那様がいらっしゃるのを待った。応接室には馬車の中でも話題に上がっていた、アルティナ様の肖像画が飾ってある。何度見ても惚れ惚れするくらいに綺麗。
この肖像画はアルティナ様が嫁いだ直後……20歳くらいの時に描かれたものらしい。本当にクレハ様はよく似ていらっしゃる。知らない人間が見たら、こちらの方が姉妹だと思ってしまうくらい。髪と瞳が同系色なのが、より一層そう見せているのだろう。しかし、一見すると同じに見える髪と瞳だけれど、瞳の方は微妙に色合いが違う。
アルティナ様の瞳は、宝石の『アルティナ』を彷彿させる澄んだ明るい青。それに対してクレハ様の瞳は、深い海のような青藍だ。
内に宿す魔力の影響で変化する瞳の色。今なら分かる……アルティナ様も魔法の力をお持ちだったのか。その青色を美しいと感嘆するだけだった自分はもういない。見方が完全に変わってしまった。
「やっぱクレハは、ばあちゃん似だな」
ルーイ先生もアルティナ様の肖像画を見ていたようだ。クレハ様と容姿が似ていることについて語っている。先生はアルティナ様にお会いしたことあるのかな……
私達が応接室に入って5分くらいだろうか。旦那様がいらっしゃった。私もクレハ様とほぼ同時期に王宮に上がったので、旦那様にお会いするのはおよそひと月振りになる。少しお痩せになったのではないか……。フィオナ様の件で、心身共に疲弊していらっしゃるのが察せられて胸が痛む。
軽く挨拶を済ませると、旦那様はルーイ先生とセドリックさんとお話を始めた。
「レオン殿下の新しい先生なのだそうで……大したもてなしは出来ませんが、ゆっくりしていって下さい」
「ルーイと申します。突然の訪問でありましたのに、快く迎え入れて頂き感謝致します」
「殿下から事情は聞いておりますから。しかし、先生がこんなに若くて美しい方だとは思いませんでしたよ」
早くも女性使用人達の間で話題になっていると、旦那様は苦笑した。さすがルーイ先生だ……いつもより畏まった他所行きの服装をしている彼は、文句のつけようがなく格好良い。しかも護衛としてセドリックさんも付いている。目を引く美形がふたり連なって歩いているのだ。意識するなという方が無理というもの。
屋敷の近辺で目撃された魔法使いの情報を集めているという、割と率直な先生の訪問理由。私達に同行したのは、ミシェルさんと私に注目が集まりづらくするという目的もあるらしいが、すでに大成功していた。
いくつか雑談を交わし、場の空気が和らいだ所でセドリックさんが旦那様に問いかける。
「フィオナ様の体調はその後いかがでしょうか? リブレールへ保養に行かれたと伺っています。クレハ様はもちろんですが、レオン殿下もとても心配しておられるのですよ」
「そうですか、殿下が……。ジェラール陛下も一度様子を見に来て下さいました。今でも頻繁に文を送って下さいます。娘を気にかけて頂き、ありがとうございます」
レオン殿下は正確には、フィオナ様を心配するクレハ様を心配しているのではないだろうか。世間的にはフィオナ様は体調不良ということになっているが、本当は違う。旦那様はそれを隠している……そして、セドリックさんはそれを知らないフリをしている。そのせいなのか、ふたりの会話にはなんとなく白々しさを感じた。
「リブレールへ旅立つころには、娘もずいぶん落ち着いていたように思います。都の喧騒から離れて穏やかに過ごせば、更に快方へ向かっていくことでしょう」
時間はかかるかもしれないけれど、リブレールでの生活が良い結果をもたらしてくれることを願う。クレハ様が安心して帰宅できるようになるためにも……
フィオナ様の後はクレハ様の話題へと移行した。旦那様は、クレハ様のこともとても心配しておられた。ろくな説明もせずに、王宮に置き去りにする形になってしまったこと……こちらの都合で振り回してばかりだと、クレハ様への謝罪を口にする。渡すなら今だな。クレハ様から預かっていた手紙を取り出した。
「旦那様、クレハ様から……旦那様と奥様へのお手紙をお預かりしております。クレハ様は、ご自分は王宮で元気に過ごしているので、気に病まないで欲しいと仰っておられました」
「君にも気苦労をかけてすまないね。ありがとう、リズ」
「いいえ。私は望んでクレハ様のお側にいるのです。あの方のお役に立つのであれば、本望でございます」
差し出した手紙を旦那様は静かに受け取った。この時、旦那様の表情が僅かに弛んだ。それを見て私も胸を撫で下ろす。
「公爵、以前私がレオン殿下の使いで訪れた際にも申し上げましたが……クレハ様には殿下がついておられます。そして、近衛隊の者たちも彼女をとても慕っており、どのような脅威からもお守りする所存でございます」
安心して下さいとセドリックさんは笑う。旦那様はセドリックさんの言葉を素直に受け取り、喜んでいらっしゃるようだった。私たち4人が屋敷を訪れた本当の理由。その脅威になるやもしれない人間が存在しているかどうかを見極めるためだなんて……きっと、旦那様は夢にも思わないのだろうな。
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