テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
それから、戻らなくなった。
チャイムも、
紫の光も、
夢の教室も、
もう来ない。
朝は来る。
夜も来る。
ただ、何も起こらない。
それが、
主人公をやめた世界だった。
⸻
ある日。
駅前。
人の流れの中で、
ふと足が止まる。
理由はない。
ただ、
空気が重くなった。
改札の向こう。
俯いて歩く男。
背中が、
少し丸い。
制服じゃない。
スーツでもない。
年齢が、
うまく測れない。
でも――
分かってしまった。
ああ。
これは、トリガーだ。
⸻
「……」
名前を、
呼べない。
呼んだら、
何かが壊れる気がした。
すれ違う、
ほんの一瞬。
男が、
顔を上げる。
目が合う。
その瞬間、
世界が一段、
静かになる。
⸻
ユウは、
俺を見ていない。
正確には――
“見ているのに、
誰だか分かっていない”。
視線が、
俺の顔をなぞって、
そのまま通り過ぎる。
心臓が、
変な音を立てる。
「……ユ」
喉で、
音が潰れる。
ユウは、
立ち止まらない。
⸻
数歩、
離れたところで、
ふいに振り返る。
ユウ「……あの」
声が、
低い。
俺は、
息を止める。
ユウ「俺……」
ユウ「あなたのこと、
知ってる気がするんです」
それだけ。
それだけなのに、
胸が、
壊れそうになる。
「……人違いだよ」
即答だった。
嘘じゃない。
もう俺は、
彼の人生に
登場する資格がない。
⸻
ユウは、
少し困った顔をする。
ユウ「ですよね」
ユウ「……すみません」
ユウは、
頭を下げて、
また歩き出す。
その背中。
逃げるみたいで、
でも、
ちゃんと前を向いている。
⸻
俺は、
その場から動けなかった。
ユウは、
捕まっていない。
責められていない。
救われてもいない。
ただ、
“誰かに壊された人生”として
続いている。
それが、
一番きつかった。
⸻
ポケットの中で、
スマホが震える。
でも、
取り出さない。
アリウムからかもしれない。
違うかもしれない。
もう、
確認する必要がない。
⸻
俺は、
理解した。
主人公をやめるっていうのは、
幸せになることじゃない。
自分が犯した罪を、
誰にも語れないまま、
世界の端で生きることだ。
救えなかった人と、
救ってはいけなかった人を、
両方、
見送ることだ。
⸻
改札の音が、
鳴る。
人の流れに、
ユウが消える。
俺は、
その後ろ姿に、
心の中でだけ言う。
――ごめん。
――それでも、
生きてくれてありがとう。
紫色の花は、
もう咲かない。
でも、
枯れた場所に、
何も起こらないわけじゃない。
ただ、
物語じゃなくなるだけだ。