「あれだけ話しかけていたのに、気付かれてなかったかぁ。……ちょっと悲しい」
沙良は〝自分のせいで他者が〟傷付いたと言われるのにきっと弱い。
「……ごめんなさい」
ほらね、ビンゴだ。
僕の手を戸惑いがちに握り返してくれた沙良の手は冷たくて、頼りなくて、だからこそ余計に愛しい。
さあ、僕たちの家へ帰ろうか。
もう、キミをひとりになんてさせない。
これからはずっと、僕と一緒だよ?
***
僕の部屋に着いた沙良は、玄関先でそっと靴を脱ぎながら、落ち着かない様子で周囲を見回す。
まさかと思うけど……ここが沙良を捕らえるためにわざわざ用意した部屋だってバレたかな?
一人暮らしの大学生には不釣り合いなくらい広くて、無駄に眺めのいい角部屋。
アイランドキッチンに、タッチ式オートロック、床暖房付きのバスルームまである高級マンション。
まるで若手実業家か医者の住まいみたいなこの部屋を見て、沙良が少し目を見張ったのも無理はない。
だけどまあ、そこは想定済み。
この部屋を維持してる理由を聞かれたら、「親が心配性でセキュリティ面を重視した結果こうなったんだ」とでも言っておけばいい。
でも実際は、そうじゃない。
高校時代から独学で作ってきたスマートフォン用アプリと、データ解析に基づいた投資で得た収益。
人の心理を読むのは得意だから、株も仮想通貨も、読みさえ間違えなければ悪くない金になる。
それらを元手にした副業収入で、僕はもう、親のスネをかじらなくても生きていけるし、司法試験に合格すれば更に稼げるようになるはずだ。
キミを囲うのに、他力なんてイヤだからね。
僕がキミを迎える場所として、自力で稼いだ金でこの部屋を選んだ。それだけの話だ。
だけど僕の心配をよそに、沙良は違うことを思っていたらしい。
「……ごめんなさい。急にお邪魔してしまって。もしかして……朔夜さん、ご家族と一緒にお住まいなんじゃ?」
沙良にはここがファミリー向けの物件に見えたらしい。
(なんて可愛くて純粋な発想だろう!)
けど……うん。僕がキミと暮らすこと想定で用意したマンションだからね。ある意味間違ってないよ?
「あぁ。そういうことか。ちゃんと話してなくてごめんね? ここ、すっごく広いけど僕一人で住んでる家だから安心して?」
「えっ?」
「僕の実家が、結構大きな弁護士事務所を開設してる弁護士一家だっていうのは沙良、知ってる?」
「……いえ、初めて聞きました」
「そっか。まあ、僕自身はまだただの学生だけどね。両親が心配性でさ。一人暮らしするって言ったら、絶対に〝セキュリティ重視で選びなさい〟ってうるさくて」
僕は照れたように笑ってみせた。
「……それで、ちょっとオーバースペックな部屋になっちゃったんだ」
恥ずかしそうに言った僕に、沙良がふっと笑う。けれどその瞳には、まだほんの少しだけ緊張の色が浮かんでいる。
「広くても僕一人の家だし、そんなに肩ひじ張らなくていいからね? ……キミを招き入れたからには、とにかく沙良に安心してくつろいで欲しいんだ」
僕はそっと沙良の手を取ると、彼女の手を引いてリビングの奥のソファへと促した。
「ここでちょっと待ってて? すぐ温かい飲み物を淹れるから」
「あ、あの、でも……」
ソワソワと僕を見つめてくる沙良に、僕はにっこり微笑んだ。
「お願い、大好きなキミをおもてなしさせて?」
縋るような思いを眼差しに乗せれば、沙良が戸惑いながらも小さく頷いてそろそろとソファへ腰を落ち着けてくれた。
そんな沙良の様子を目の端に収めながら、僕はキッチンに立って、ティーポットを温める。
今日、用意するのはこの日のために研究を重ねた特別ブレンド――。僕が〝沙良のためだけに〟作った、最高にリラックスできて……うまくすればキミが眠ってしまうやつ。
(眠らないとしても、意識がトロンとするはずだ)
乾燥させたカモミールの花に、削ったレモンの皮を少量。蜂蜜をティースプーンに一杯。
そして、香り付け程度に垂らすのは、熟成されたブランデー。このお酒の加減が一番苦労したポイント。
余りにたくさん入れ過ぎるといかにもアルコールです、って感じになって警戒されそうだし、少なすぎると効果が薄くなっちゃう。
沙良が酒に弱いことは織り込み済みだから……同じようにアルコール慣れしてない子で、僕はたくさん実験を重ねたんだ。
もちろん他の子には興味なんてないし、寝かせるだけで手なんて出してないけど……沙良は別。
キミにはこれを飲ませてしてみたいことがたくさんある。
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