「分かっていますよ。……〝これ〟で」
そう言って、尊さんは唇の前に人差し指を立てた。
「えー? なに? 気になる」
二人をキョロキョロと見比べると、美奈歩はわざとらしい笑みを浮かべて唇の前に人差し指を立て、それを見て尊さんも意味深に笑った。うう……。
「戻ろうか」
「うん」
三人でリビングに戻りかけた時、つん、と後ろから美奈歩に服を引っ張られた。
「ん?」と思って振り向くと、彼女に耳元で囁かれた。
「いい人見つけたね。おめでとう。私もいい人探す」
美奈歩から初めて「おめでとう」を言ってもらえて、嬉しくなった私はギュッと継妹を抱き締めた。
「だから! すぐハグるな」
「ハグる! はぐはぐはぐ……」
継妹を抱き締めたまま、肩口でぐりぐりと顔を動かすと、後ろで尊さんがクスクスと笑った。
「そろそろ帰ろうかな」と思いつつリビングに戻ると、母と継父は何か話していたようだが、二人は私を見て取り繕うように微笑んだ。
(何か話してたかな。尊さんの事で何か言ってたなら、教えてほしいけど……)
ソファに座りつつ少し不安になっていると、母が口を開いた。
「お母さん、朱里に謝らないとならないわね」
「なんで?」
目を瞬かせると、母は切なげに微笑んで話し始める。
「お父さんを亡くしてからつらそうとは思っていたけど、まさか名古屋に行った時に死のうとしていたなんて知らなくて……。様子がおかしいとは思っていたけど、まさか……」
「あ……」
母の表情を見て、ズキリと胸が痛む。
私は自分の事で精一杯だったし、あの時に尊さんと出会ったから今がある、という美談がある。
けれど母からすれば、あと少し運命が違っていたら、たった一人の娘を亡くしていた。
あれから十二年経ち、私はピンピン元気に過ごしているとしても、母としてはショックだったんだろう。
「……ごめん」
謝ると、母は小さく首を横に振った。
「お母さんこそ、気付けなくてごめんね。お父さんを亡くして『これからどうやって生活していこう』と考えてばっかりで、朱里をちゃんと見られていなかった」
「……そう考えるのは当たり前だよ。母子家庭になったなら、子供をどう養っていくか考えるのは当然だし、考えるべき事があるのは分かってた」
「でも、子供のSOSを感じられなかったのは、母親として失格だったわ」
母は溜め息をついたあと、チラッと亮平と美奈歩のほうを見る。
「それに、言い出しづらかったけど、亮平くんと美奈歩ちゃんと折り合いが悪かった事についても、口だしすべきか分からなくて、悩んだ結果何も言えずにいた……」
家族四人が揃った状態でこの事について触れたのは初めてだ。
一瞬、気まずい空気が流れたけど、私はそれについても首を横に振る。
「お継父さんは仕事で忙しいし、お母さんは通院しながら家事をこなし、二人の事を気遣って大変だったと思う。それに実の娘なら『ある程度なら大丈夫』っていう信頼もあっただろうし、私は友達や彼氏と過ごしていたからそれほど苦じゃなかったよ」
継父は大きな広告会社の管理職をしていて、何かと忙しく働いている。
それでも、なるべく皆で夜ご飯を食べるようにして『今日はどうだった?』と子供たちに話を聞くようにしていた。
私たちは分かりやすい喧嘩はしなかったし、『何事もなく平和だった』といえばその通りだったと思う。
亮平の距離感がちょっと苦手とか、美奈歩にツンツンされたぐらいで『いじめられた』なんていったら、大げさに騒ぐ当たり屋みたいになってしまう。
新しい兄妹を苦手とは思っていたけど、二人は私をいじめていたわけではない。
暴力をふるわれたり、あまりにも嫌な事を言われていたなら、私としても母や継父に一言言っていたかもしれない。でもそこまでじゃなかった。
母は時々、気遣わしげに『二人とうまくやれてる?』と確認してきたけれど、私のほうがヘルプを出さなかったのだ。
『一気に仲良くは無理だけど、そこそこうまくやれてる』と言ったら、母もそれ以上掘り下げようがなかったと思う。
母が亮平と美奈歩を悪者にして『意地悪されてない?』なんて言えば、母が夫、二人の子供の不信感を買ってしまう。
母は実父が亡くなってから不眠気味になっていた中、通院して薬を飲みながらも私のために働き、なんとか再婚までこぎつけた。
母には母の戦いがあり、私と一緒に生きていくためにがむしゃらに日々を過ごしていた。
自分の身をすり減らすまでやってくれたのに〝それ以上〟を求めるなんてできない。
コメント
2件
それぞれが気を使いすぎたのと、相手任せにしてしまって見て見ぬふりをしてしまったというのもあるように思うな〜。
再婚当時、どちらの家族も 子供が難しい年頃だからね.... お母さんも亮平と美奈歩のことも気遣わなくてはならず、大変だったと思う🤔 漸く皆、 腹を割って話すことができて良かったね....🍀