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ゼイス

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第1話 ルカ・エース
アルゲンアヴィス帝国。
その皇宮の一室で、第一皇子リンデン・ト・アルゲンは書類に目を通していた。
銀色の髪に、冷たさを感じさせる青い瞳。整った顔立ちと優れた能力を持つ彼は、勉学も武術も魔法も難なくこなす、まさに皇族にふさわしい人物だった。
しかし、他人に対する関心は薄く、必要以上に誰かと親しくなることもない。
そんな彼のもとへ、一人の使用人が訪れた。
「殿下。例の者を連れて参りました」
「入れ」
短く答えると、扉が開いた。
現れたのは、黒髪に淡いピンク色の瞳を持つ少年だった。
少年はリンデンの前まで進み、丁寧に頭を下げる。
「初めまして、リンデン皇太子殿下。ルカ・エースと申します。本日より、殿下の身の回りのお世話をさせていただきます」
落ち着いた声と、隙のない礼儀作法。
リンデンは手元の書類を置き、少年を見つめた。
「……ルカ・エースと言ったな」
「はい」
「お前、エース家の人間か?」
その問いに、ルカは一瞬だけ視線を伏せた。
「はい。ですが、今は家を追い出された身です。もう、あの家とは関係ありません」
まるで、それが当然のことだと言わんばかりの口調だった。
リンデンはわずかに眉を動かした。
名家として知られるエース家。その長男が、なぜ王宮の使用人として働くことになったのか。
気にはなったが、初対面の相手に深く踏み込む理由もない。
「……そうか」
「何かご用がございましたら、遠慮なくお申し付けください。それでは、失礼いたします」
ルカが退室しようとした、そのとき。
「ルカ」
「はい」
「紅茶を淹れてきてくれないか」
「かしこまりました。何かお好みはございますか?」
「セイロンで頼む」
「承知いたしました」
再び一礼し、ルカは部屋を後にした。
扉が閉まると、リンデンは頬杖をついた。
――追い出された、か。
名家のエース家が、自らの子を追い出すなど珍しい話だ。
それも、あの少年は妙に落ち着いていた。
自分の境遇を嘆く様子も、同情を求める様子もない。
周囲の目が気にならないのだろうか。
そんなことを考えていると、再び扉がノックされた。
「失礼いたします。紅茶をお持ちいたしました」
ルカが静かに入室し、テーブルへ紅茶を置く。
「ありがとう」
何気なく告げた言葉だった。
しかし、ルカの動きがほんの一瞬止まった。
「……では、失礼いたします」
何事もなかったかのように頭を下げるルカ。
だが、彼の胸の内には、かすかな動揺が広がっていた。
――ありがとう、なんて。
――そんな言葉をかけられたのは、いつ以来だろう。
幼い頃から、ルカは家族に十分な愛情を注がれてこなかった。
十一歳になっても魔法が使えなかった彼は、家族から失望され、十二歳頃には召使い同然の扱いを受けるようになった。
そして十六歳になった今、ついには王宮へ送られた。
誰かの役に立つこと。
命令に従うこと。
余計なことを望まないこと。
それが、ルカにとって当たり前の日常だった。
だからこそ、たった一言の感謝でさえ、どう受け止めればいいのか分からなかった。
「……ルカ?」
退室しかけたルカを、リンデンが呼び止めた。
「はい。いかがなさいましたか?」
「いや。少し考え事をしていた」
「そうですか。お体が優れないのであれば、医師をお呼びいたしますが……」
「必要ない」
「かしこまりました。それでは、失礼いたします」
再び立ち去ろうとするルカに、リンデンはもう一度声をかけた。
「待て」
ルカは不思議そうに振り返った。
「お前、先ほど家を追い出されたと言ったな」
「はい」
「なぜだ?」
ルカは静かにリンデンを見つめた。
「……殿下は、そのようなことが気になるのですか?」
「いや。気になったから聞いただけだ」
「そうですか。隠すつもりもありませんでしたので、お答えいたします」
ルカは淡々と続けた。
「殿下は、魔法がお使いになれますか?」
「もちろんだ」
「……私には、使えません。それが理由です」
その言葉に、リンデンは黙り込んだ。
魔法が使えない。
ただ、それだけの理由で、家族はこの少年を手放したのか。
「……そうか。聞いて悪かった」
「いえ。お気になさらないでください」
ルカは穏やかに答えた。
本当に気にしていないのか。それとも、気にしないようにしているだけなのか。
リンデンには、まだ分からなかった。
「ルカ」
「はい」
「何か欲しいものはあるか?」
思いがけない質問に、ルカは目を瞬かせた。
「……欲しいもの、ですか?」
「ああ。何でもいい。服でも宝石でも、必要なものがあれば用意させよう」
「宝石など、とてもいただけません。今は特に欲しいものもございませんので……」
「そうか」
リンデンはそれ以上、無理に尋ねなかった。
「なら、何か思いついたら言うといい」
「ありがとうございます、殿下。それでは失礼いたします」
ルカが部屋を出たあと、リンデンはしばらく扉を見つめていた。
――欲しいものがない、か。
本当にそうなのだろうか。
それとも、欲しいと言うこと自体を知らないのだろうか。
一方、廊下を歩いていたルカは、先ほどの会話を思い返していた。
――どうして、殿下は僕に欲しいものを尋ねたのだろう。
――使用人の僕に何かを買ったところで、殿下に得などないはずなのに。
考えても答えは出なかった。
そのときだった。
「おい、お前」
背後から声をかけられ、ルカは足を止めた。
振り返ると、そこには一人の使用人が立っていた。
「お前、エース家の人間なんだってな?」
「……はい。それが何か?」
「なのに、どうして使用人なんかになってるんだ?」
使用人は、ルカを値踏みするように見た。
「もしかして、相当な問題を起こして追い出されたのか? 貴族の坊ちゃんに生まれたってのに、哀れなもんだな」
ルカは表情を変えなかった。
「私に何かご用があったのではないのですか?」
「は?」
「そのお話をするために、わざわざ声をかけてくださったのでしょうか。ご用がないのであれば、失礼させていただきます」
その冷静な態度が気に障ったのか、使用人は舌打ちした。
「貴族だったからって、調子に乗るなよ!」
次の瞬間、ルカの頬に衝撃が走った。
「……っ」
痛みを感じながらも、ルカは相手を見つめた。
――ああ、またこれか。
昔から、何度も経験してきたことだった。
「失礼な態度を取ってしまったのであれば、謝罪いたします」
「そういう態度が腹立つんだよ!」
使用人は再び手を振り上げた。
そのとき、廊下に鋭い声が響いた。
「何をしている!」
別の使用人が駆け寄ってきたことで、相手は慌てて手を下ろした。
「お、覚えてろよ……!」
吐き捨てるように言い残し、男は立ち去っていった。
「大丈夫ですか?」
声をかけられたルカは、小さくうなずいた。
「はい。少し壁にぶつかってしまっただけです」
「……そうですか。気をつけてくださいね」
相手が去ったあと、ルカはそっと頬に触れた。
痛みはあった。
けれど、それを誰かに訴えようとは思わなかった。
自分が我慢すれば済むこと。
それが、ルカの身についてしまった考え方だった。
しばらくして、ルカは再びリンデンのもとへ向かうことになった。
「ルカ?」
廊下で顔を合わせたリンデンは、ルカの姿を見て足を止めた。
「殿下。いかがなさいましたか?」
「公務が一段落したので、図書室へ行こうと思ってな」
そう答えたリンデンだったが、すぐにルカの頬へ視線を向けた。
「……お前、怪我をしているな」
ルカは反射的に頬を隠しかけ、すぐに手を下ろした。
「これくらい、何でもございません」
「誰かにやられたのか?」
「いえ。考え事をしていて、壁にぶつかってしまいまして……」
一瞬の沈黙。
そして、リンデンは小さく息を漏らした。
「……ふっ」
「……殿下?」
「いや。お前、意外とおっちょこちょいなのだな」
「……そう、ですね」
ルカは困ったように微笑んだ。
リンデンはそれ以上、追及しなかった。
だが、ルカの頬から視線を外したあとも、先ほどの傷が気になっていた。
本当に、壁にぶつかっただけなのだろうか。
問い詰めれば、きっとこの少年はまた何でもないと言うのだろう。
それが分かるからこそ、リンデンは無理に聞かなかった。
「そうだ、ルカ」
「はい」
「欲しいものは決まったか?」
「まだ決まっておりませんが……」
「そうか」
リンデンはわずかに考える素振りを見せた。
「なるべく早く、お前に何か贈りたいと思っている」
「……なぜ、殿下が私に贈り物を?」
ルカには理解できなかった。
自分はただの側近であり、皇太子に仕える使用人にすぎない。
何かをもらう理由など、どこにもないはずだった。
リンデンはルカの問いを受け、少しだけ目を細めた。
「……さあな」
そして、静かに告げる。
「お前が喜べば、それでいい」
ルカは言葉を失った。
何を返せばいいのか分からない。
なぜ、リンデンが自分を気にかけてくれるのかも分からない。
ただ、胸の奥が落ち着かなかった。
「……ありがとうございます、殿下」
ようやくそれだけを口にしたルカを、リンデンは黙って見つめていた。
まだ、このときのリンデン自身も、自分がなぜこの少年を気にかけているのか、はっきりとは分かっていなかった。
けれど、一つだけ確かなことがある。
この少年のことを、もっと知りたい。
そして――
いつか、自分の前で心から笑う姿を見てみたい。
そんな思いが、リンデンの胸の内に芽生え始めていた。
第1話・終
コメント
1件
第1話読み終わったよ! リンデン皇太子とルカの出会いの話、めちゃくちゃ良かった……。「ありがとう」の一言に戸惑うルカのとこ、胸が締め付けられたわ。魔法使えないだけで家族に追い出されて、傷ついても「壁にぶつかった」って誤魔化すとことか、見てて辛かったけど、リンデンが「お前が喜べばそれでいい」って言ってくれたシーンにはホッとした。 この二人、どう距離縮まっていくんだろう。続きが気になる!🔥