後ろでトラビスとネロの言い合う声と剣がぶつかる音がする。
僕は振り向かずに走り続けた。森の中に入り、他の追手が来ているかもしれないと注意を払いながら進む。
かなり走ったせいで息が続かなくなり、少し休もうと足を止めた。
先ほどまで晴れていた空が暗い。夕刻にさし掛かろうとしているからではなく、雲がぶ厚く今にも雨が降り出しそうだからだ。せめて雨が降り出す前には、暗くなる前には森を抜けたい。街に出て馬を調達したい。だからあと少しだけ休憩をしたら、すぐに発とう。
そう決めて大木の根元に座り、抱えた膝に顔を伏せた。
今夜にも、リアムが僕のことを思い出してくれたかもしれないのに。どうしても僕とリアムはすれ違ってしまう。それが悲しくて辛い。
イヴァル帝国とバイロン国の関係は、もう修復不可能だ。我が国の騎士を処刑したバイロン国を許すことはできない。
バイロン国も我が国を許せないだろう。
今回よりももっと大きな戦が起こる。僕はやれるだろうか。それとも王である僕一人が犠牲になることで、国が守れるならそうしたい。
冷たい風が吹いて僕の髪を揺らす。マントを置いてきたのでとても寒い。走っている間は寒さを感じなかったけど、ジッと座っていると身体が冷えてきた。
僕は顔を上げてノロノロと立ち上がる。そして数回深呼吸を繰り返して再び歩き出す。
しばらく木立の間の踏み固められた道を歩いていた。すると後方から馬のひづめの音が近づいてくる。
「もう追手がっ?」
咄嗟に道を逸れて大木に隠れた。
ひづめの音がどんどんと大きくなり、僕のすぐ傍で止まる。
まさか…気づかれて…。
「フィル、出てこい。そこにいるんだろう?」
ああ、リアムの声だ。リアムが来てしまった。せめて他の騎士ならよかったのに。
僕はゆっくりと道に出た。
「リアム…」
「あいつは…トラビスはどうした?」
「別行動してる…」
「そうか。俺の他に追跡してる者が、そのうち見つけるだろう」
「どうしてリアムが来たの…?」
「フィルを…他の者の手で斬らせたくなかったから」
「僕を斬るの?」
「そうしなければならない。第一王子を襲おうとしたらしいな」
「彼は…イヴァル帝国の騎士を処刑したと話したから。僕達は仇を打とうとしたまで」
「イヴァルは、我が国で盗難を働き、俺の怪我の原因を作った。そして今日、大切な騎士を斬ったんだぞ」
「ゼノを斬るつもりはなかった。いきなりクルト王子の前に出てきて…振り下ろした剣を止められなかった」
「フィル…」
「はい」
リアムが馬を降りた。そして僕の正面に立つと、僕を抱きしめた。
「俺は、おまえを愛してる」
僕は目を見開いて、どんよりと暗い空を眺めた。
今、それを言うの?僕のことを思い出したわけじゃないんでしょ?
嬉しい言葉のはずなのに、僕の胸の中はあの空のように暗くて重い。
「愛してる」
僕の耳に唇を寄せて、リアムがもう一度言った。
僕は目を閉じた。目尻から涙がこぼれ落ちる。
「フィル?」
フィルじゃない。フィーと呼んでほしい。今のリアムも好きだけど、僕が愛したのは全てを知ってくれているリアムだ。
「僕は、愛していない」
僕は声を絞り出してベルトに差した剣を掴む。
素早くリアムが離れると同時に、僕は剣を引き抜いた。
リアムが僕に手のひらを向けて「やめろっ」と叫ぶ。
「バイロン国の第二王子リアム、僕と勝負をしよう」
「なぜ?俺は戦いたくない。おまえが第一王子に殺されないように、先に拘束したかっただけだ」
「第一王子であろうが第二王子であろうが、僕は捕まるわけにはいかない。ここであなたを倒して国に戻る」
「戻ってどうする?一介の貴族のフィルが戻ったところで、どうなるというのだ」
僕は両手で剣を握り、正面で構えた。
リアムも渋々と剣を抜く。
ついに雨が降り出した。大粒の雫が落ちてきて、全てのものを濡らしていく。
「僕は貴族ではないよ」
「貴族ではない?平民か?しかしおまえは平民には見えない。品がある」
「そうだね。僕はとても厳しく育てられたから」
雨が僕の全身を濡らす。きっともう髪の染料も流れてしまってるだろう。でもちょうどいい。もう隠すのは嫌だ。
リアムが僕を見て「おまえ…」と呟いた。
僕は濡れた顔を手の甲で拭う。そして一度剣を下ろすと、まっすぐにリアムの目を見つめた。
「リアム王子、あなたは僕のことをよく知っている。だけど今は忘れているようだから、教えてあげる」
「なにを…」
「僕は、イヴァル帝国の王だ」
「…は?嘘を言うな!」
「どうして嘘だと思うの?僕は嘘は言わないよ」
「イヴァル帝国の王は女しかなれないと聞いている…。おまえは男じゃないか」
「そうだよ、僕は男だ。本当は僕の姉上が王になるはずだった。だけど前王に続いて姉上も病で亡くなってしまったんだ。だから双子の弟である僕が、姉上の代わりとして、女のフリをして王となった」
「イヴァルに双子の弟がいたのか?」
「双子でしかも男は忌まわしい存在だから…隠されていたんだ。でもわかるでしょ?あなたの金髪と同じで、この銀髪は王族の証…」
「…わかった。おまえの言うことを信じる。だが王であるならば、ますます逃がすことはできない」
「僕も同じ。イヴァル帝国の秘密を知られたからには、あなたをこのまま帰せない」
僕とリアムは、しばらく見つめ合った。
そしてお互いゆっくりと剣を持ち上げて構えた。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!