校長室は、
静かで重厚な空気に包まれていた。
古びた木製の書棚には魔法の理論書や歴史書がぎっしりと並び、
窓から差し込む夕陽が部屋をオレンジ色に染めていた。
レクトはソファに腰を下ろし、目の前に立つアルフォンス校長の困ったような視線を受け止めていた。
エリザとの戦いを終えたばかりの彼の体は、
疲労と緊張で重く、しかし心はまだ熱く燃えていた。
「さて、レクト。まずはマジカル共鳴について話そうか。」
アルフォンス校長は、ゆっくりと椅子に腰を下ろし、指を組んだ。
声は穏やかだが、どこか探るような響きがあった。
「マジカル共鳴……ですか?
あの、戦いのときに感じた、なんか変な感覚のこと?」
レクトは眉を寄せ、記憶をたどった。
エリザとの戦いで、彼の魔法がまるで制御不能のように暴走し、彼女の魔法とぶつかり合った瞬間。
まるで心臓が共鳴するような、奇妙な感覚だった。
「そうじゃ。マジカル共鳴とは、簡単に言えば『魔法のバグ』だ。」
校長は淡々と説明を始めた。
「魔法は、本来、
術者の意志と魔力によって制御されるものだが、特定の条件下でその制御が乱れることがある。
たとえば、
魔法を出しすぎたり、
血縁関係にある者同士で魔法が干渉し合ったり、
人体と魔法が異常な反応を起こしたり……
それらが重なると、共鳴現象が起きる。
これを我々はマジカル共鳴と呼んでいる。」
「バグ、ですか……」レクトは首をかしげた。「なんか、難しくて頭に入ってこないんですけど。授業でも、こういう話ってピンとこなかったし。」
校長は小さく笑った。
「まあ、そういう反応も無理はない。
マジカル共鳴は理論だけでは理解しづらい。
実体験を伴って初めて、その意味が分かるものだ。
君とエリザの戦いは、まさにその典型だった。」
レクトは目を伏せた。
エリザとの戦い。
あの瞬間、彼女の魔法と自分の魔法がぶつかり合い、まるで二人の心が一瞬だけ繋がったような感覚があった。
だが、同時に、彼女の憎しみと怒りが彼の心に流れ込んできた。
あの感覚を思い出すだけで、胸が締め付けられる。
「次に、これからの話をしよう。」
校長の声が、少し硬くなった。
「エリザについてだが……彼女はもう少しで、君の味方になってくれるかもしれない。
レクトくんもそう思わないかい?」
レクトは一瞬考え込んだ。
「……分からないです。
でも、戦ってる最中、お母さんの目を見てたら、
なんか、憎しみだけじゃないものが見えた気がしたんです。
家族として、ちゃんと話せたら、もしかして……」
彼の声は小さくなり、希望と不安が混じった表情が浮かんだ。
「家族との和解か。良い目標だ。」
校長は頷いたが、すぐに表情を厳しくした。
「だが、レクトくん、1つ難点がある。
……ゼンのことだ。
いまは無理矢理隠蔽している。
そしてこの先も全力で隠蔽は続けるつもりだ、しかし……
万が一その事実が明るみに出れば、
どんな和解も水の泡だ。
学校どころか、
魔法界全体から追放される可能性もある。」
レクトの顔が青ざめた。
あの事件——彼が誤って人を殺してしまった瞬間は、今も彼の心に暗い影を落としていた。
「……分かってます。だから、絶対にバレないようにしないと。」
「その通りだ。
殺人の事実は、引き続き全力で隠蔽する。
それと並行して、エリザとの関係を修復し、家族との和解を目指す。
そして、魔法の制御を学ぶため、
君は私と直接、魔法の勉強を進めていく。」
校長の目は、まるでレクトの魂を見透かすようだった。「いいかね?」
「はい……分かりました。」
レクトは小さく頷いた。
校長の言葉は重く、
しかしどこか安心感もあった。
この厳格な男が、自分の味方でいてくれる。
それだけで、レクトは少しだけ前に進む勇気を持てた。
一方、エリザの部屋は静寂に包まれていた。
彼女はベッドに座り、膝を抱えて震えていた。
レクトとの戦いの記憶が、まるで悪夢のように彼女の頭を支配していた。
レクトの魔法が彼女にぶつかった瞬間、
彼女の心に流れ込んできた感情。あれは、憎しみだったのか、悲しみだったのか、
それとも……何か別のものだったのか。
考えるたびに、胸が締め付けられる。
「どうして……どうしてあんな感覚が……」
エリザは呟き、
頭を振った。
彼女の手は無意識に、
戦いで負った小さな傷をなぞっていた。
痛みはもうほとんどないのに、
心の傷は深く残っていた。
そのとき、ドアがノックもなしに開いた。
現れたのはエリザの夫、パイオニアだった。
長身で鋭い目つきの彼は、
エリザの部屋に堂々と踏み込み、彼女を見下ろした。
「エリザ。どうした、その顔は。
……朝食の時間なのだが。」
パイオニアの声は冷たく、どこか嘲るような響きがあった。
「まさか、レクトとの戦いで怯えたわけじゃないだろうな?」
エリザは顔を上げ、パイオニアを睨んだ。
「怯えてなんかいない。ただ……あの戦い、なんか変だっただけ。」
「変?」パイオニアは眉を上げ、腕を組んだ。
「具体的に言ってみろ。レクトを学校から引き剥がせなかった理由を、ちゃんと説明しろ。」
エリザは唇を噛んだ。
彼女自身、なぜあの戦いでレクトを完全に排除できなかったのか、はっきりとは分からなかった。
「……あの魔法。あの子の魔法には、なんか……可能性がある気がした……、、、」
「可能性?」
パイオニアの声が鋭くなった。
「ふざけるな、エリザ。あんな汚い魔法に、可能性なんてあるわけがない。あいつの魔法はただの穢れだ。なんの価値もない。」
「でも……!」
エリザは反論しようとしたが、パイオニアの冷たい視線に言葉を飲み込んだ。
彼の言葉は、まるで彼女の心を切り裂く刃のようだった。
「いいか、エリザ。
レクトはサンダリオス家の敵だ。
あのまま野放しにしたら家が汚されるんだぞ。
それを忘れるな。」
パイオニアは一歩近づき、エリザの肩に手を置いた。その手は重く、彼女を押さえつけるようだった。
「次は絶対にしくじるな。分かったな?」
エリザは、流されるように頷いた。
「……分かった。」
彼女の声は小さく、どこか空虚だった。
パイオニアの言葉に逆らう力は、今の彼女にはなかった。
パイオニアは満足そうに頷き、部屋を出て行った。
ドアが閉まる音が響いた瞬間、エリザは再び膝を抱え、顔を埋めた。
「どうして……どうしてこんな気持ちになるの……」
彼女の呟きは、誰にも届かないまま部屋に消えた。
寮の一室では、ヴェルがベッドに座り、考え込んでいた。
彼女の目の前には、疲れ切った表情のレクトが浮かんでいた。
エリザとの戦いを終えた彼は、身体だけでなく心もボロボロだった。
ヴェルは、親友である彼をなんとか癒してあげたいと思っていた。
「レクト、あんな顔してた……。何かしてあげたいけど、
魔法のことは私じゃ力になれないし……」
ヴェルは髪をいじりながら呟いた。
彼女の魔法は、震度2の魔法。
当然だが、それだけではレクトの心の傷を癒すには足りない気がした。
ヴェルは立ち上がり、
部屋の中を歩き回った。
考えろ、
考えろ。
何かできることはないか。レクトが笑顔を取り戻せるような、何か……。
……あっ!!!!!
ヴェルは何かを閃くと、固定電話でだれかに電話をかけたのだった。
プルルルルルル……
次話 6月14日更新!
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