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夕方六時を過ぎた頃から、近隣の住民が自家用車で怪我人を病院に運び込む数が増えてきた。さらに、車が津波に流されたと言って、重症の家族を背負って歩いて病院にたどり着く住民までいた。
運び込まれた患者の大半は津波に呑まれたが、かろうじて生き延びた人たちで外傷はかすり傷程度のケースが多かった。だが真冬のような寒さの中で、ずぶ濡れのまま何時間も救助を待っていたためか、意識も朦朧としている高齢者が多かった。三十代の男性患者ですら、病院にたどり着いた時は口もきけないほど衰弱していた。
患者が運び込まれると、ただちに亮介を始め医師たちはトリアージを行った。最新のトリアージ用タグは、手首にひもを巻きつけ、そこから患者の氏名、容体などをメモする紙がぶら下がっていて、さらに四色の紙が貼りつけてあるという造りだ。
その四色の紙をはがして残った色がトリアージ判定になるのだが、亮介の病院では予算の都合で旧式のトリアージタグしかなかった。原則として患者の右手首にゴムバンドを巻き、そこに判定された色のタグをマジックテープで張り付けていく。
その頃運び込まれた患者は全員、判定は黄色か緑ばかりだった。その色の違いを嫌という程思い知らされた経験のある亮介には、それは天の救いにさえ思えた。
その間、市の消防支所の救急車はたった一台で病院と、津波の直撃を受けた場所との境目の付近をピストン輸送さながらに何度も往復した。
途中消防本部に出来るだけ近づいて双眼鏡で様子を見たと言う救急隊員によれば、消防本部は津波に呑まれて機能している様子がなく、本部の三台の救急車のうち一台は逆さまにひっくり返った状態で隣のビルの屋上に転がっていたと言う。他の二台はどこに行ったのか見当もつかなかった。
辺り一帯が停電で真っ暗闇の中、病院だけが自家発電で灯りがついていたため、日暮れ以降その光を目印に病院にやって来る沿岸部の住民が大勢集まり始めた。当初は待合室などで受け入れていたが、たちまち病院の一階部分だけでは受け入れきれない程の人数に膨れ上がり、患者の搬入にも支障をきたしかねない状況になった。
院長はやむなく、治療が必要な患者以外は病院内から退去するよう要請したが、住民たちは一斉に怒声を上げた。
「あんたら、市の病院の医者だろ! それが市の人間を追い出すのかよ!」
揉めているうちに、津波が到達しなかった地点にある市役所からやっと職員が駆けつけ、住民たちを避難所に誘導し始めた。
亮介もほっと胸をなで下ろしたのも束の間、救急車が再度到着した。担架で運び込まれた少女を見た亮介は思わず「アッ」と声を上げた。亮介がよく知っている、詩織という名の小学五年生の女の子だった。側に付き添ってオロオロしている母親に事情を訊くと、地震の揺れで家の二階の物干し台から地面に転落して右脚を折ったらしい。
「どうしてすぐに救急車を呼ばなかったんですか?」
亮介は反射的にそう言った後、心の中で「しまった」と思った。市内全域で、地震の後すぐに固定電話が不通になったらしかった。携帯電話はその後三十分ほどは通じていたらしいが、徐々につながりにくくなり、今では病院や市役所の非常用衛星電話以外はほとんどの通信設備が麻痺している様子だった。
応急処置室に詩織を運び入れて患部を診る。亮介と看護師長が思わず顔を歪めた。すねの部分の骨が真ん中あたりで折れて、その折れた先端部がわずかだが皮膚を突き破って露出していた。
「開放骨折か」
亮介は思わずつぶやいた。単なる骨折なら外科手術は必要ない場合が多いが、折れた骨が体の外へ露出しているケースは傷口から感染症に発展する危険がある。すぐに手術する必要があったが、麻酔医と連絡不能になっていた。
病院の麻酔医は勤務が休みで自宅にいたはずで、しかも彼の自宅は津波の直撃を受けた場所にあった。最悪、麻酔医も死亡している可能性があった。誰も口に出さなかったが。
亮介はとりあえず傷口を、雑菌が侵入しないように厳重に包帯で覆い、そのまま詩織を外科病棟に入院させた。亮介は彼女の右手首にゴムバンドをはめ、ポケットから赤いトリアージタグを取り出し張り付けた。この時点では、詩織が病院内で唯一の赤判定患者となった。
九時近くになってようやく殺到した患者の応急処置が終わり、院長の指示で待合室で医師、看護師全員が休憩を取った。誰かが大型テレビのスイッチを入れた。それまでは、今回の災害の詳しい状況すら、注意を払っている余裕すらなかったのだ。
テレビ局はNHKも民放もどのチャンネルも全て、災害の特別報道一色だった。そして医師、看護師全員の間でかすかなどよめきが広がった。
「仙台、石巻、釜石……宮古って、岩手県じゃねえか!」
「福島だけじゃなかったのか、津波は」
「茨城県の沿岸にも行ったらしいぞ」
「だったら東北の東の海岸全部じゃないか」
院長が重々しい口調で皆に聞こえる様に言った。
「これでは南宗田に救援が来るのはいつになるか分からないですね。多分、物的被害だけなら石巻や釜石の方がひどい」
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