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「──紅茶の美味しい淹れ方、温度は?」
「えっと、カップをお湯で温めます。同じく温めたポットに茶葉をカップの分量だけ入れて、沸騰したお湯を注ぎ、ニ分から三分しっかりと蒸らします」
「チヒロが所属する部隊名。及びその上司は」
「陸軍省軍務局、軍事課長及び、特務連隊長兼任。上司は中将・参謀総長、杜若蘭様です」
「今日のパンは黒焦げじゃなかったし、僕が今来ているこのシャツもシワひとつなく、アイロン焼けも無かった。まぁ、ひとまずはヨシとするけど今後も励むように」
そこでクリス様が、初めて淡く微笑んだ。
「ありがとうございます! これからも頑張りますっ」
深々と頭を下げようと思ったら、クリス様の手がスッと肩に触れた。
「その日本人らしい、すぐに頭を下げる癖はやめてくれないかな。マナは蒼波家の女主人でもあるんだ。威厳も身につけてくれ」
ポンポンと肩を叩かれた。
「威厳……」
私の人生には無かった程遠い単語に、すぐに「はい」とは返事ができずに、舌の上で吟味するように考えているとクリス様が苦笑した。
「それはさすがに三日やそこいらで、なんとかなるものではないか。持って生まれた気質が左右するだろうし。あまり高望みするとチヒロに怒られる。今日も朝から三日間、マナは頑張った。それは認める。さぁ、そろそろ出掛けよう」
「は、はい」
クリス様はすっと私から離れて扉に向かうので私はドレスの裾を持ち、パンプスを履いた足先を転ばないように動かす。
「今から車に乗ってチヒロが待つ、リストランテまで無事に送り届けるのが僕の任務だ。マナはそれまで大人しくしていてくれよ」
まるでじゃじゃ馬をあやすような言葉だが、クリス様は元イギリス外交官。しかも上流階級の出身だと少しだけ教えて貰った。
そんな人からみたら私など、田舎者に見えるのだろう。
それはそうとして、なぜこの国の軍人となったのかは不思議ではあるが、人それぞれの事情があるのだろうと思った。
蒼波家に来てまだ一カ月も経ってない。まだまだ勉強すること、知るべきことはあると思いながらクリス様の背を追うのだった。
※
「これが車……! 乗るのは初めてです」
ふわふわのドレスに身を包み、最新の黒曜石みたいに輝く、車に乗れば心もクラゲのように揺らめくというもの。
東堂家でも見たことがない。新聞や海外の書物の絵でしか見たことがない車が目の前にあるのは、美術品が目の前にやってきたようだ。
車内は真っ白な座席に、磨かれた車窓。
蒼波家お抱えの運転主の方が、車を走り出させると心地よいエンジン音が聞こえた。
昔、汽車やバスに乗った時と同じように、どこかツンとする油のような香りもない。
新品の建物みたいな香りは、心の揺らめきを後押しするばかりだ。
しかも久々の外。陽は落ちていたが、ガス灯が帝都の街を優しく照らしていた。
「まぁ。帝都の夜はガス灯の明かりで夜も明るいのですね。素敵……青白くて柔らかな光で、まるで海底のチョウチンアンコウみたい」
窓に額をギリギリに寄せて、夜の帝都を見物する。
とはいっても車に乗っているので、景色はさぁっと波のように流れていくが、それでも楽しかった。
夜の帝都を車で駆け抜けて行くだけで心が躍る。しかも今から蒼波様とリストランテで食事だ。
胸がいっぱいでご飯が食べれなかったらどうしようと、こつんと窓に額を付けそうになったとき。横にいるクリス様の軽い咳払いが聞こえた。
「──マナ。ちなみにだが、この車一台で一戸建て庭付きの家が余裕で購入出来る」
「!」
その言葉で気を引き締めろと言われた気がして、ささっと窓から体を離して、背筋を伸ばして座席に座り直した。
「|There you go.《それでいい》久しぶりに今からチヒロに会えて嬉しいのは分かるが、淑女を忘れないように」
「はい。気をつけます」
「日本人の妻はアレだ。旦那の影を踏まずにニ歩下がって歩く。家を守り、子を産むのが妻の役目が当たり前なんだろ? この三日間学んだことを忘れずに続ければ、マナも立派に、そう言う女性になるだろう。楽しみだね」
ニッコリと無邪気に笑うクリス様に次は「はい」とはすぐ言えずに曖昧に微笑む。
コメント
1件
第21話読み終わったよ〜!✨マナちゃん、紅茶の淹れ方から部隊名まで完璧に覚えててすごい!!クリス様の「威厳も身につけて」って言葉に戸惑う様子がめっちゃリアルで共感しちゃった😭💕 車に乗って夜の帝都を初めて見るマナちゃんの感動も、クリス様に「車一台で家が買える」って言われて背筋伸ばすとこも、全部が愛おしいシーンだったよ…!次は蒼波様とのリストランテ、楽しみすぎる〜!!🌸