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何処かで雨でも降っているのだろうか…… 雨音が聞こえる
暗く 寒く 恐ろしい森
強い雨足 懐にいる小さな温もり
「………典晶君?」
那由多に揺さぶられ、ハッと典晶は意識を取り戻した。起きていながらにして、一瞬だけ夢を見ていたかのような感覚。
「典晶、大丈夫か?」
心配そうに文也が瞳を覗き込んでくる。イマイチ焦点の合わない目を一度きつく閉じ、パンッと両手で頬を叩いた。
「俺、今どうしていた?」
見ると、すでにラジエルの姿はなかった。素戔嗚も、眉を寄せてこちらを心配そうに見えている。
「突然ボンヤリしてさ、何を言っても返事がなくって、びびったぜ。どうかしたのか?」
「いや……」
また頭の奥がズキリと痛んだ。ラジエルの言葉が引っ掛かる。
「那由多さん、ラジエルの言った事なんですけど」
「典晶君が一度常世の森に来たことがあるって話かい? アイツの本に書いてあるのなら、一度典晶君は来たことがあるんだろう。ただ、それを忘れているんだろうな」
ラジエルの書は、過去のことも記されている。だとすれば、典晶は一度ここへ来たことがあるのだろう。
「典晶君、無理しないでね。何かあったら、すぐに教えて」
「はい、すいません」
典晶はもう一度頭を振る。やはり、頭の奥深い所が少しだけ痛んだ。
「文也、俺は、昔ここにきた事があるのかな?」
「…………」
文也は答えない。彼にしては珍しく、真面目な表情で典晶の顔を見つめた。
「昔だけど、お前、此処で騒ぎを起こさなかったか? 俺は実際その場には居なかったけど、歌蝶さんや俺の両親達が大騒ぎしていたのを憶えてる」
「騒ぎ……?」
記憶にない。ただ、忘れているだけなのだろうか。思い出そうとすると、やはり頭が痛む。
纏わり付くような重い空気。少し濁った空気の匂い。大きな木々が生い茂ったこの場所は、見覚えがある気がする。
「無理するな、時間が経てば、思い出せるさ」
文也は典晶を元気づけるように肩を叩く。
「うん……」
凄く大事な事のような気がする。典晶は、何を忘れているのだろうか。
深い闇に覆われた常世の森。天を覆い尽くす大木の、隆起した根に足を取られながらも、典晶達は黙々と進んでいく。大量の湿気を含んだ冷たく重い空気は、ただいるだけで体力を削り取っていくようだった。
時折、森の奥から聞こえる得体の知れない動物の鳴き声。小枝を踏みしだく音が、断続的に聞こえて来る。
先頭を歩くのは那由多、典晶、文也、素戔嗚がしんがりを務めていた。恐らく、何かあったときに真っ先に対応できるように、素戔嗚は最後を歩いてくれているのだ。彼が気を張っていなければ、典晶達は妖怪に襲われていたかも知れない。
道と呼ぶには余りにも狭くでこぼこした、まるで獣径の様な道を一時間ほど歩いただろうか。苔むした大きな大木を回り込んだ瞬間、突如として視界が開けた。
「ここは、村……?」
顎を伝う汗を手の甲で拭った典晶は、思わず呟いた。
眼下には、小さな集落が存在していた。広場の中央に古びた神社が建ち、その周囲に小さな掘っ立て小屋のような屋敷が幾つも並んでいた。
「見た目はぼろいが、中はバカ広いんだろうな」
そうなのだ。先ほどのヘスティアの件もある。この世界では、見た目よりも中身なのだ。
「大きな力だな……。中央の神社に、宇迦之御魂神がいるんだろう」
「宇迦さん、怒ってなきゃ良いな」
「そうだな……、親父の首でも持ってくれば良かったかな」
胸を押すような緊張が典晶の体を支配する。一度、典晶は深呼吸をすると「行きましょう」と、那由多に声を掛け、集落に向かって歩き出した。
閑散とする集落。人の姿は見えないが、視線は感じる。それは素戔嗚も同じようで、「辛気くせーな」と、大声で悪態をついた。
「素戔嗚、大声で言わなくとも、聞こえていますよ」
凛とした声が響いた。見ると、神殿の奥から真紅の千早を身につけた宇迦が出てきた。
「おう、久しぶりだな、宇迦!」
「去年の運動会以来ですね」
頬を緩めたのも一瞬、宇迦は典晶を見ると、目を細めて口をきつく結んだ。
「典晶さん、私達の神所に何かご用ですか?」
宇迦の硬質な声が、典晶を傷つけた。いや、宇迦とイナリを散々傷つけたのは、典晶の方だった。典晶は宇迦に頭を下げる。ここから先は、那由多と素戔嗚の出番はない。典晶自身が解決する番だ。
「イナリに、会いに来ました」
小さいが、決意の籠もった強い声音。拳を軽く握り、宇迦を見上げる瞳には熱を帯びていた。
「…………。典晶さんだけこちらへ。素戔嗚、騒ぎを起こさぬよう、静かに待っていて下さい。文也さん、デヴァナガライ、素戔嗚が悪さしないよう見張っていて下さい」
「信用ないのな、お前は」
「うるせい!」
笑いを堪えた那由多の声に、素戔嗚はバツの悪い表情を浮かべた。
「文也、行ってくる」
「ああ、しっかりやれよ」
文也の言葉に力強く頷いた典晶は、一人で宇迦の神所へ入っていった。