テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
浅草、小劇場のバックヤード。
イナリズシの二人は、休憩用のベンチにぐったりと沈み込んでいた。
「……最後のオチの瞬間、あの客席の空気、冷蔵庫より冷たかった……」
寿司子は膝を見つめたまま、かすれ声で言う。
リコは手で顔を覆った。
「ウチ、ネタ中に『ツマンネ』って聞こえた気ぃしたわ……幻聴やんな?」
答えはない。あるのは、さっきまで浴びていた沈黙の感触だけだ。
そこへ、軽く咳払いが落ちた。
「失礼。ここに、今日いちばん『旬なネタ』を届けた芸人さんがいると聞いてねぇ」
顔を上げると、銀髪をきっちり撫でつけた壮年の男が立っていた。柄シャツにジャケット、手には革のメモ帳。今日のトリを務めるピン芸人、米田どんぶりだ。
「……賞味期限切れでしたけど」
寿司子は挨拶も忘れ、俯いたまま答える。
米田は目を細めた。
「いやいや。今日の君らは“スルメ”みたいだったよ。噛めば噛むほど味が出る。……ただ、客席がまだ歯の弱い人たちだっただけさ」
思わず、二人の口元がゆるむ。
「米田さん……あんなバズった後やのに、こんなにスベってもうて……心、折れそうですわ」
「いい経験したねぇ」
さらりと言う。
「スベった分だけ、ネタは厚くなる。薄味のネタだと、客の風にすぐに飛ばされるからね」
寿司子は小さく笑った。
「……いい経験、ですかね」
米田はメモ帳をぱたんと閉じる。
「芸もお寿司も“握り”が大事。今日のは少し力みすぎて、硬かっただけだよ。次は、客の心に合わせて握り方を変えてごらん。それだけで、客席はちゃんと掴める」
そのとき、前の芸人が袖に戻ってきた。
「さぁて、行ってきますか」
舞台へ向かう背中が、ふと振り返る。
「……旬ってのはね、ネタのことじゃない。客席のことなんだよ」
───
「UZUQ魂!本日のラストは動画配信でもおなじみ!軽妙グルメトーク・米田どんぶり!」
ゆったりした音楽とともに、銀髪の男が舞台に立つ。
「どうもどうも~。お忙しい中、ありがとうございます」
柔らかな声が客席を撫でる。
「あら、今日は満員と聞いていたのに……今は半分ほどですねぇ。イナリズシさんの後、みなさんお帰りになったのかな?」
どっと笑いが起きる。
「残ってくださった方は、私の本当のファンということで」
拍手が温かい。
「ナイスツカミや……」
「うん、すごいね……」
袖から見つめる二人の目が、少し変わる。
米田は手帳を手に軽妙に語る。昨日訪れたというカレー屋の話。
「『ポークカレー』と書いてあるのに、出てきたのが、ほぼタマネギ炒め。どう思います?」
笑いが一段、高くなる。
「残念でしたねぇ。でも、そのタマネギが妙に甘くて美味しいのが、逆に悔しい」
さらに笑いが重なる。
客席からは米田が言葉を発する度に、絶妙なタイミングで笑いと拍手が起きている。
笑いが浅いと見るや、間を詰める。
ウケた言葉の次は、ほんの半拍だけ「間」を広げ、笑いが染み渡るのを待つ。
客席の層を測るように、言葉の温度を変える。
黒羽メグの毒舌客弄りとは違う、会場との一体感。
リコが小声で言う。
「……客に合わせて、ネタが呼吸しとる」
「うん、ネタを押し付けてるんじゃない……まるで客席と会話してるみたい」
寿司子も頷いた。
「みなさんもぜひ、お腹いっぱいに食べ歩きの思い出を詰め込んで……あとで太って後悔してください。女性の味方、ダイエットの敵。米田どんぶりでした」
最後は深い一礼。
客席は一体になったまま盛大な拍手を送る。
二人は舞台袖で米田を待ち構えていた。
「勉強になりました!」
「米田さん、ホンマすごいわ……」
袖に戻ってきた米田は、汗を拭いながら笑顔で言った。
「美味しいと評判のラーメン屋でさ、ラーメン頼んだのに『チャーハンの方が美味しいから』って、勝手に変えられたらガッカリだよね」
「……はい?」
米田は、まだ舞台上のように続ける。
「でもね、ラーメンに小さいチャーハンがついてきたら嬉しいねぇ。『あ、チャーハンも美味しい』って思ってもらえたら、それで店の勝ちだよね」
寿司子が、はっと息をのむ。
「……私たち、いきなりチャーハンだけ出したのかも」
リコが眉を上げる。
「せやけど……ウチらラーメンも作れるで」
二人の間に、ほんの少し光が差す。
その様子を、少し離れたところで猫田が静かに見ていた。
「……だから、あの人は残るのよ」
客席の呼吸を読む。
簡単なようで、これが難しい。
舞台の熱はまだ残っている。
波は消えていない。
あとは、どう乗るかだ。
──続く。
コメント
1件
米田どんぶりさんの「ラーメンに小さいチャーハンが出てきたら嬉しいねぇ(以下略)」というセリフ、とても好きです☺️ お話には関係ありませんがラーメン&チャーハン食べたくなりました これからもっと、イナリズシが成長して行きそうでワクワクします!