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思わず、和葉はその場にへたり込む。
そしてそのまま、和葉は呆然と浸の姿を見つめ続けていた。
登る朝日に照らされて、雨宮浸は悠然とその場に佇んでいる。夢か何かじゃないかと疑って目をこすったが、浸の姿が消えることはない。それどころか、和葉の方へ振り向いて優しく微笑みかけた。
「立てますか?」
そっと差し伸べられた手を、和葉は思わず取りそうになる。
だが、今は違う。
和葉は自らの足でしっかりと立ち上がり、得意げに微笑んで見せる。
「立てますよ……。だって私、鋼のゴーストハンターですから」
浸は一瞬、驚いたような表情を見せる。しかしすぐに表情を崩して、和葉をそっと抱き寄せる。
この華奢な身体で、どれだけの間戦い続けたのだろう。
以前の傷も治り切らないまま、必死で立ち続け、この場所を守り続けたのだ。
「よく頑張りました……。ありがとうございます、早坂和葉。あなたがいなければ、私はここには来られなかったでしょう」
和葉がいたから、早坂和葉がいてくれたからこそ、雨宮浸は折れずに立ち上がることが出来た。
あの夜、あの瞬間が、二人を支えていた。
あの夜が遠く離れかけてしまった二人を、もう一度繋いでくれた。
その出会いがたまらなく愛おしい。そのまま抱きしめていると、浸の肩を温かい滴が濡らした。
「私……もう、ダメかもって……何回も思って……っ」
浸が死んだと聞いて、もう何も考えられなくなりそうなくらい滅茶苦茶になった。
それでもどうにか立ち続けて、必死で冥子と八尺女の攻撃を防ぎ続けて、折れそうになった回数なんて数え切れない。
それでも和葉は必死で立ち向かい続けた。浸なら負けない、浸なら諦めない。そう言い聞かせ続けて、憧れたあの背中を想い続けた。
「おかえりなさい……おかえりなさい、浸さん……っ」
「……ええ。ただいま戻りました。早坂和葉」
泣きじゃくる和葉の頭をそっとなでて、浸はもう一度強く抱き締める。
もう雨は止み、夜は明けた。
「浸。お疲れ様」
しばらくそのままでいると、不意に後ろから声がかかる。
慌てて振り返ると、そこにいたのは露子を支えながら歩いてくる月乃と、微笑ましそうに浸達を見つめる絆菜の姿があった。
「お師匠……」
「祓ったのね」
月乃の言葉に、浸は静かに頷く。
「向こうで倒れている彼は無事なの?」
「……はい。少し怪我はしていますが、命に別状はないと思います」
倒れている准を見ながら月乃が問うと、和葉はそう答える。
月乃は和葉のそばに落ちている盾を見て、なんとなく何が起きていたのかを理解する。
「あなたが守ったのね」
「……はい。でも……」
不自然に途切れた通信、准の様子、そして冥子の言葉から、和葉はある程度察してしまっている。
番匠屋琉偉は、真島冥子によって殺された。
「……すみません。私がもう少しはやく駆けつけていれば……」
「言うな浸。それは私や露子も同じだ」
浸の言葉を遮り、絆菜はそう言ってため息をつく。
「アンタだけの責任じゃないわよ。毎回毎回そうやって背負い込まれちゃたまんないわよ」
「そういうことだ」
露子の言葉に大きく頷く絆菜を見て、浸は目を丸くする。
どうやら浸のいない間に、中々のコンビになったらしい。
「……はい」
とにかく今は、束の間の休息に身を委ねたい。下山してからここまで、一切休まずに駆けつけたのだ。和葉達に至っては、浸以上に疲弊しているハズだ。
「……とにかくお疲れ様。あとのことは私がやっておくから、今は休みなさい」
「いえ、しかし……」
「黙って休みなさい! アンタほんとはへとへとでしょ!?」
「そ、それはお師匠も……」
「あーうるさいうるさい! そこで救急車待ってなさい!」
怒鳴る月乃から、絆菜はそっと露子の身体を抱き寄せる。
「では露子は私が引き受けた。あとはよろしく頼むぞ」
「ええ、お願いね」
穏やかにそう答える月乃だったが、当の露子はしかめっ面だ。
「勝手に引き受けんな! アンタに支えてもらうくらいだったら……」
無理矢理絆菜を突き飛ばして歩き出そうとする露子だったが、その傷は深い。すぐによろけて倒れそうになる露子を、絆菜は即座に支えた。
「そう言うな。和葉先輩は大丈夫か?」
「は、はい! 一応……。それより、絆菜さんは大丈夫なんですか?」
不安そうに問う和葉に、絆菜はキョトンとした顔で首をかしげる。
「見ての通りだ。私は大丈夫だよ」
「…………そう、ですね」
何かを言いかけた和葉だったが、絆菜の意図を理解したのかそのまま口ごもる。
絆菜の霊魂は、以前より更に淀んでいる。和葉には今の絆菜が、大丈夫なようには見えなかった。
「兎にも角にも……ひとまず、終わりましたね」
「……はい」
それから程なくして、月乃が予め呼んでおいた救急隊員が到着し、負傷者達を連れて行った。
***
警察への事情説明を終えて、ようやく月乃が解放される頃にはもう既に昼過ぎだった。
「……一応、詩袮さんにも挨拶しておかないと」
そう呟いてから社務所へ向かおうとすると、前方から二人の巫女が歩いてくる。
「……詩袮さん」
従者と思しき巫女に支えられながら、詩袮は月乃の元へと歩み寄ると、穏やかに微笑んだ。
「久しぶりね、つっきー」
「未だにそのあだ名で呼ぶんですね」
クスリと笑みをこぼしながら、月乃は再会を懐かしむ。
「……ていうか、今更出てこられても困るんですけど」
「えっ」
しかしすぐにジト目でそんなことを言い始める月乃に、詩袮は困惑の声を上げる。
「もう一通り終わったんで、これから行くとこだったんですよ! こけて怪我でもされたら笑えないんで、大人しくしててくださいよ!」
「あーーーひどいつっきー! 久しぶりに会った先輩にそんなこと言うんだぁ!?」
わめく詩袮の隣では、従者の女が言わんこっちゃない、とでも言わんばかりの表情で詩袮を見つめている。
「そりゃ言いもしますよ……。正中に倒れていた人達、怪我はしてますし重傷の人もいますけど、死者はいなかったみたいです」
ある程度力のある霊能者なら、霊力を感知できるかどうかだけで生死がわかる。今のところ死者は番匠屋琉偉だけだ。
「救急車は?」
「呼びました! 終わりました! 今警察と改めて玄海(げんかい)さんが話してるところです! はい、詩袮さんの仕事はないですから、大人しくしててください!」
玄海とは詩袮の父親だ。現在、出雲家の当主でありこの神社の責任者は彼である。
「もう逞しくなっちゃって……ああ、かわいいかわいい女子高生のつっきーが懐かしいわぁ」
わざとらしくそう言い、最後にはおよよなどと古臭い泣き真似をする詩袮に呆れて嘆息する。
「つっきー」
「……なんです?」
「お疲れ様」
そう言われた瞬間、一気に肩の荷が下りたような気がした。
きっとこの人は、これを言うためにわざわざ出向いてくれたのだろう。
ようやくそれがわかって、月乃は頬を綻ばせる。
「……はい、ありがとうございます」
それぞれの戦いが終わる。
「やっぱり、晴れの日は良いわねぇ」
穏やかに降り注ぐ日光を背に浴びながら、月乃は詩袮達と共に社務所へ向かって歩き出した。
***
「本当に、すいませんッした!」
八尺女、真島冥子との戦いから数日後、度会准は突如雨宮霊能事務所を訪れた。
そして入り口まで迎えに来た浸を見た瞬間、凄まじい勢いで頭を下げたのだ。
お辞儀はほとんど直角。面食らった浸は数秒言葉を失った。
「俺、雨宮さんのこと何にも知らないのに、勝手に理想を押し付けて、滅茶苦茶言ったッス!」
「そのことでしたらあまり気にしなくても良いですよ。私自身、至らぬ点が多かったのですから」
「いや、頭は上げないッス! けじめッス! というか、雨宮さんは何にも悪くなかったッス!」
准なりに思うところがあったのだろうか。その心境の変化に驚きつつも、浸は彼の今後を案じていた。
番匠屋琉偉はもういない。師を失った彼が今後どうするのか、実のところ浸はずっと気にかけていたのだ。
「度会准、良ければ……」
もう一度この事務所に来ませんか。ゴーストハンターになりたいという志があるのなら、ここで改めて経験を積めば良い。浸はそう思っていたが、准は頭を下げたまま左右に振る。
「気持ちだけで、十分ッス」
「そうですか……」
「今更どの面下げて雨宮さんの世話になれば良いのかわかんないッス。それに、俺の先生は……番匠屋先生ッス。それは、曲げたくないッス」
見れば、彼の背には刀が下げられている。恐らくアレは邪蜘蛛だ。
「俺は先生の弟子として、この刀を背負うことに決めたッス。番匠屋家とは、もう話をつけてきたッス」
琉偉の言っていた通りなら、邪蜘蛛は番匠屋家の家宝だ。それを譲り受けるとなれば、生半可な覚悟では出来ないだろう。彼と番匠屋家の間でどのようなやり取りがあったのか、浸には想像も出来ない。
「俺、ただ漠然とゴーストハンターになりたいって思ってたッス。霊能力がある以上、それを活かした仕事がしたいって思って、そんな時に雨宮さんのことを知って、勝手に憧れたッス」
そこで一度区切ってから、准はそのまま言葉を続ける。
「でも俺には芯がなかったッス。先生のようなプロとしての矜持もなければ、雨宮さん達のような志もなかったッス。半端者だったッス」
准の声が、少しずつ震え始める。
足元に小さなしずくが落ちたことに気づいて、浸は准の頭を上げさせて、まっすぐに彼を見つめた。
「それは、私も最初はそうでしたよ。誰だって、始まりは0かマイナスなのかも知れませんね」
かつての浸と、准はよく似ていた。
たった一つの小さいけれど特別な才能に縋って、何者かになろうとしていた。何かを為そうとしていた。
始まりは0かマイナス。それは、浸も准も同じだった。
少しずつ進めば良い。一歩ずつ進んだ先に、きっと掴めるものがある。今は、それを強く信じられる。
だからきっと、准にだって掴めるものがあるハズなのだ。
「はいッ……はいッ……」
たまらずに泣きじゃくり、准は涙を拭って浸を見据える。
「俺、探してくるッス! 何が出来るのか、何がしたいのか……俺の”芯”が見つかるまで、修行に行くッス!」
「……宛はありますか?」
「番匠屋家で鍛えてもらえることになってるッス……! 答えが見つかるまで、本気で鍛えるッス!」
琉偉はもういない。この先の道は、准自身の手で切り開くしかない。
ならばそれを、浸は応援したい。彼を送り出すのは、生き残った浸の役目だ。
「無事で帰ってきてください。立派になったあなたともう一度会うのを、楽しみにしていますよ」
「……はいッ!」
力強くそう答えて、准は事務所に背を向けて走り出す。
振り向かずに走っていく彼の背中を見送って、浸は一息ついた。
「番匠屋琉偉……あなたの弟子は、立派にやっていけそうですよ」
静かにそう呟いて、浸は事務所の中へと戻っていった。