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第1話:島流しの朝
八月の終わり、ねっとりとした生温かい夜風が、東京と埼玉の境界線を流れる川の匂いを運んでくる。
東京都足立区竹ノ塚のボロアパートの一室で、浅倉 修哉は薄暗い天井を見つめていた 。
耳の奥で、あの日のお袋のちぎれそうな悲鳴が今もリフレインしている。
相手を殺めかけ、警察に連行される直前の梅雨の夜。女手一つで自分を育ててくれたお袋・澄江が、ボロアパートの玄関先で修哉の足にすがりつき、額を床に擦り付けながらワンワンと泣き叫んでいた。
『もうやめておくれ、修哉……! 頼むから、普通の男の子になっておくれ……!』
少年院の冷たいベッドの上で、修哉はその涙を毎晩のように思い出した。だから、出所したその日、小さく震えるお袋の手を握り返して心から誓ったのだ。
もう、絶対に喧嘩はしない、と。
更生期間、一年。地元にいれば、また過去の因縁や『狂犬』の噂を聞きつけたハエどもが群がってくる。だから修哉は、お袋を竹ノ塚の団地に残し、縁を切っていた叔父が経営する埼玉県三郷市の小さな町工場「浅倉鉄工」へ、文字通りの島流しとして放り込まれることになった。
翌朝、午前八時。耳を突き刺すような金属の切削音と、溶接の激しい火花が飛び散る工場内 。修哉は、お袋に買ってもらったばかりのオシャレな黒いスニーカーを、油汚れのついたグレーの作業着の裾で隠すようにして立っていた。
黒岩「おい、浅倉。何ボーッとしてんだ。手が止まってるぞ」
荒々しい声で修哉の鼓膜を震わせたのは、腕に太いアームカバーを嵌めたベテラン職人──黒岩 鉄平だった。
32歳。オールバックに整えられた髪と、無精髭。作業着を着ていても隠しきれない丸太のような腕と分厚い胸板は、かつて夜の三郷を恐怖で支配したと言われる、本物の元不良のオーラを放っていた。
修哉「……すんません。ちょっと、夜更かししたもんで」
修哉は素ッ気なく答え、手元にある重い鉄板をバリ取り機に押し付けた。激しい火花が修哉のシンプルな黒髪をかすめるが、彼は目一つ動かさない。その淡々とした雰囲気を、黒岩はジロリと鋭い三白眼で見つめていた。
黒岩「お前、その目、隠しきれてねえぞ。……人を殴りたくて、骨を砕きたくて、アドレナリンに飢え狂ってる『喧嘩中毒』の目だ。いいか、ここは三郷だ。お前が一度でもそのブレーキを外してみろ。社長もお袋さんも、まとめてその火の粉で灰になるぞ」
修哉は何も言い返さず、ただギリ、と奥歯を噛み締めた。
右手は、ズボンのポケットの中で、火のついていないセブンスターのソフトパックをぐしゃりと握りしめていた。黒岩が工場の奥へと歩いていくと、入れ替わるように、機械の影からひょこっと細い身体を割り込ませてきた男がいた。
拓海「あ、あの……! 浅倉くん、だよね 。僕は小野寺拓海。一応、一年先輩の見習い、かな。黒岩さん、怒ると本当に怖いよね……。あ、これ、僕のオススメののり弁。お袋さんの弁当、美味しそうだね、半分交換する?」
小野寺 拓海、19歳。細身で少し猫背の、ウサギのようにビクビクとした目の青年。周囲が修哉を遠巻きにする中、拓海だけは当たり前のように隣に座り、他愛のない工場のバカ話を振ってくれた。修哉にとって、拓海は普通の人として隣にいてくれた初めての友達だった。
夕方、定時のチャイムが鳴る。
グレーの作業着から、お袋が買ってくれたオシャレな黒のストリート系スウェットに着替えた修哉は、拓海と共に工場を後にした。
拓海「浅倉くん、私服割とオシャレだよね。今度僕にも服選んでよ」
修哉「……お袋が選んだやつだよ。普通の上品な男の子に見えるようにってな」
修哉が苦笑いした、その時だった。二人が駅前の少し開けた薄暗い自販機コーナーに差し掛かると、自販機の影からぬうっと三人の影が這い出てきた。
「おい、待ちくたびれたぞ。浅倉鉄工の見習いクンよぉ」
異様にダボついたダウンジャケット。一人の男は眉毛が完全に全剃りされており、その額には下手くそな手彫りのタトゥーが彫られている。西のみさと団地を拠点にするギャング組織『サレオス』の突撃隊長、バズだった。
拓海は、その三人を見た瞬間、顔面から完全に血の気が引き、修哉の後ろでガチガチと歯を鳴らし始めた──。
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#男主人公
✦ルナ✦
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とりぴぃ〜
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コメント
1件
ああ、この第1話、すごく良かったです……! 修哉くんの「もう喧嘩はしない」という誓いと、それでも滲み出てしまう“狂犬”の気配の描写が、もう切なくて。黒岩さんの「ブレーキを外してみろ」という台詞が重く響きました。拓海くんがのり弁を差し出してくれるシーンで、ふっと空気が和らいだのも素敵。最後の「サレオス」登場でグッと引き込まれました。続きがすごく気になります!