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イリスは遙か西にある森で生まれた。
遙か西と言っても海を隔てた土地なので、どれほど遠い地かもわからないそうだ。
その森にはエルフたちが住んでいた。
近隣にはヒュームもドワーフもなく、森に棲む生き物は魔物などの動植物と精霊だけ。
他にはごく稀に神や悪魔が現れる程度だったと言う。
イリスはエルフとサキュバスの混血だった。
現代でこそ、サキュバスは魔物として扱われているが、当時のエルフの森では「エピィフィミア」と呼ばれる精霊の一種だった。
あらゆる願望の影となり、どのような姿にでも変容するその精霊は清き者の前では聖人の姿に、欲に溺れた者の前では淫魔の姿になる。
精霊エピフィミアの血を引くイリスにも、同じ力が備わっている。
イリスがスキル【其は願望の影】を持つのはこれが理由だ。
だが、願望が美しいものばかりとは限らない。
むしろ、皆。
おぞましくも醜い願望をひた隠しにしているものだ。
最初の相手は叔父だった。
イリスは発情した叔父に手籠めにされ、お前のせいだと言われた。
そういうものだと思った。
それがどういう行為なのかも、まだ知らない年齢だった。
次の相手は隣に住んでいる男、次はその知り合い、次は幼なじみの男の子だった。
求められるままに、相手の願望を叶え続ける。
それだけで相手はとても喜んでくれた。
そうして蜜のような日々を過ごす内に、イリスは加減を間違えた。
幼なじみの男の子が搾り取られ過ぎて死んだのだ。
噂は瞬く間に森に広まった。
「この泥棒猫。お前なんて死んでしまえ」
最初は意味がわからなかった。
求められるままに与えただけだ。
それの何がいけなかったのだろう。
イリスはまだ、願望と呼ばれるものの醜さを何も知らなかった。
これまで甘い言葉をかけ、手籠めにしてきた男たちはすべてをイリスのせいにした。
男達はあらゆる罪を受け止めてくれる悪を望んでいた。
イリスはその願いを叶えた。
その豹変ぶりは自分でも恐ろしくなるほどだった。
考えたこともなかった言葉が次々と口をついてくる。
瞳の色も、髪の長さもみるみる変わる。
誰もが思い描く「悪魔」の姿にイリスは変わっていた。
エルフたちは興奮気味に言った。
「悪魔め、正体を現したな!」
【愚かなエルフどもめ、もう少しで支配できたものを!】
まるで、芝居の一節のようなやりとり。
数多の願望が渦巻き、空間を歪めていく。
エルフたちの願いは皆同じだった。
殺せ、悪魔を殺せ。
仲間を唆した悪魔を殺せ。
吹き荒れる憎悪の雨は正義のかたちをしていた。
その中でひとつだけ。
悪なる一滴がしたたり落ちて、極彩に輝く。
「おお、我が愛し子。我が悪魔イリスよ!」
「どうかこの心臓を喰らい、生き延びてください。誰よりも永く、誰よりも自由に!」
イリスはすべての願いを叶えた。
胸元に食らいつき、その血肉を貪るたびに、母の思い出が脳裏をよぎった。
だが、其は願望の影。
影に意思は不要である。
心臓を喰らい尽くしたイリスは逃げるように森から出た。
外の世界はどこまでも広がっていた。
空は青く輝き、大地は肥沃で、草木がとても小さく見えた。
イリスはそれが何を望んでいるのか知りたくなったが、空も大地も何も返してはくれなかった。