目を覚ました善悪はメチャクチャ焦っていた。
真夏の粘り強い筈の太陽が、既にとっぷりと暮れている事が、居間の中にいてもはっきりと分かったからである。
「やばいでござる。 夕ご飯の準備をせねば! あの暴君を飢えさせたら、ぶるるっ、只では済まないのでござる」
軽い悪寒に体を震わせると、座卓の上に広がった涎(よだれ)を素早く拭き取り、慌てて台所へと歩を進めた。
「お、あれ?」
「あ、よしおちゃ、先生! 起きたんですね、もう直ぐ出来上がるので座って待ってて下さい」
シンクの前には、善悪愛用のエプロンを着けたコユキが立ち、何やら料理を作っているようだった。
お寺のイベントの時などに檀家さんの奥様方が、お茶の準備をしたり、お弁当を使う為のダイニングテーブルの上には、コユキが茹でたのだろう、山のような素麺(そうめん)が置かれていた。
いつもは、居間まで運んで食べていたのだが、折角準備してくれたのだ、今日はここで頂くのが良いだろう、と善悪はテーブルに向かった。
テーブルには向かい合う様に、善悪とコユキがいつも使っているお箸が並べられていた、偶然かもしれないが、一応善悪が上座の位置になっている。
お箸の先端が右側になってしまっているのは、まぁ御愛嬌だろう。
「はは」
お箸の向きを直しながら、思わず楽しげな笑いを溢す(こぼす)善悪。
改めてコユキの姿に目をやると、なにやらチューブの調味料を鍋に入れている様で、恐らく仕上げに入っているのだろう。
思えば父と母が転居してから、ここで料理するのは専ら(もっぱら)善悪自身であったし、コユキが来てからのここ数日も、それは変わっていなかった。
ボーっと眺めているだけだったが、何だか懐かしいような不思議な気分がして、悪くないな、と善悪は思った。
コユキが冷凍庫から氷を取り出して、置き場所に迷っておろおろしている。
――――助け舟を出すか? ……いや、求められるまでは任せてみよう、だってあんなに一所懸命に頑張っているんだから、共作にしたんじゃ申し分けないな
そんなふうに善悪が考えつつ待っていると、やがて雪平(ゆきひら)に入った氷を浮かべたつけ汁(?)を持ってコユキがやってきた。
「おまたせ~。 普段やらないので手間取ってしまった~、のです」
「いやいや、不覚にも眠ってしまい、お手数を掛けてしまったでござる。 これ、この通り」
善悪は頭を下げたが、コユキは別に何を言うでもなく、お椀につけ汁をよそって善悪の前に、次いで自分の席に置いた。
そうして、善悪の真向かいに腰を下ろすと、少し恥ずかしそうに言った。
「美味しく無いかもしれないですけど……」
そして、いつもの様にパンッと手を合わせた二人は声を揃えて、
「いただきますっ!」
食事を始めるのであった。
つけ汁は不思議な見た目をしていた。
いや、見た目だけでは無く、その香りも善悪には未知の物であったのだ。
一口啜(すす)ってみる。
やはり食べた事の無い味だったようだ、それだけでなくベースも隠し味も何を使っているのか皆目見当が付かないのである。
ただし、不味(まず)くは無い。
不味くは無いのだがやはり不思議な味であり、善悪ならずとも聞かずにはいられなかっただろう。
「これは? 茶糖家の家庭の味っていうやつでござるか?」
「う~ん? まぁ、最初はウチで食べてたトシ子おばあちゃんやツミコおばさんの味を真似ようとしたんですけど、何か途中でわけワカメになっちゃって、何となく色んな物で作ったって感じなんだよ、あ、感じなんですよ」
「へぇー。 でも全然変じゃ無いよ。 旨く出来てると思うな。 あっ、ご、ござる」
「……うん、ありがとね。 ……です」
なんか、コユキの顔が赤くなっているような…… きっと照れ臭かったのだろう。
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