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雪音水綺@全垢フォロ中
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昼休み、定期的に来る女子社員たちからのランチのお誘いを断り、いつもの缶コーヒーを片手にカフェテリアのコーナーにいた。
日差しは穏やかで、頭を休めるには最適だ。
テーブルの上にはチョコレートバーの空の包装。
昼食はこれくらいでいい。
食べすぎると眠くなる。
それに、帰ったら知佳の手料理が待っている。今日は確か、和食を作ると言っていた。
それが食べられるなら、他の食事はどうでもいい。知佳のことを考えると、どうしても三週間前に抱いた時のことが脳裏をよぎる。
この明るい場所でそんなことを考えるなど、そぐわないのは理解していて目を瞑る。
その瞼の裏でも、白い肌を上気させて、いつものクールな顔を脱ぎ捨てた知佳が思い出された。
俺の腕の中で身悶える知佳の姿は、あまりにも官能的すぎた。
古臭い言葉だが『昼は淑女、夜は娼婦』……そんな言葉が過った。それが嫌いな男なんていないだろう。
当たり前だが、知佳のことを娼婦などと思っているわけではない。要は、ギャップがいいのだ。
普段クールな知佳が、俺だけに見せる乱れる姿がたまらない。
それが惚れた女なら、最高と言うしかない。
「でも、それも三週間前か……」
カフェテリアの明るい喧騒に、紛れるように呟く。
目を開ければ光を眩しく感じて、眼鏡を外して眉間を揉んだ。
そう、三週間前に知佳と婚姻届を提出して、知佳を抱いた。十年、望んでいた体。
ベッドの上で愛の言葉を吐き出したが、口から出た途端に消える幻のようで、実感が今も湧いてこない。
指や足を絡ませながら『愛してる』と言い合った、あの刹那を永遠に感じていたい。
そんな風に思うのは、自ら課した『契約結婚』という言葉が、どこまでも薄く引き延ばしても消えず……最後の一線を越えさせない、薄い0.1ミリのゴムのような障壁になっているからだろう。
どれだけ白熱した想いを吐き出しても、受け止めるのは薄皮一枚の隔たりだと──感じているからだ。
「……ままならないな」
小さく、ランチタイムの喧騒に一筋縄ではいかない気持ちを紛れ込ませた。
それでも言葉には言い表せないほどに、忘れられない夜になった。
生涯、愛し続けたい女性は知佳のみだと思い知った。
そしてどうしようもないほどに、独占欲が加速してしまった。知佳が知る男は俺だけでいい。
俺が生涯愛し尽くす。
俺の愛は執着が強いのだと、今更ながら自覚した日でもある。
毎日愛する女とセックスをして眠る。
そんな生活だけをしたいという青臭い願いが叶うはずもなく、時間は流れていった。
両家の顔合わせというイベントや、結婚に関する諸々の手続きに追われながら会社には上司と、例の結婚を勧めてきた上役──|上原《うえはら》専務には報告を済ませた。
それ以外には言う必要もないだろう。
眉間から手を下ろして、すっと鎖骨の下あたりを触れば、硬いリングの感触がある。
これは以前オーダーした婚約指輪。
契約結婚という手前、披露宴などは今のところする予定もない。
指に嵌めるとお互いに周りへの説明が億劫だということになり、ネックレスにして身につけることになったのだ。
この素肌に感じるチェーンやリングの感触には慣れたのに、もっと慣れたいと思う知佳の感触は、あの夜だけだった。
知佳があれから俺の部屋に訪れてくれないことに、苦笑すらできない。
苦い思いだけが広がる。
苦渋を紛らわすように缶コーヒーを口に含むと、ほろ苦いアロマが鼻腔をくすぐった。
アロマの余韻に気持ちを慰撫され、少しだけ肩の力が抜ける。
多分、知佳は俺とのセックスが嫌だとは思っていない。その証拠にあの日を境に、知佳の表情は随分と柔らかくなった。
言葉使いも段々砕けて行ってるし、料理を積極的に作ってくれようとしている。
「だったら、他の理由……」
コツンと指先で軽く缶を弾いて思考する。
それは繊細な女性の体のことだし、体調のこともあるだろう。しっかり避妊はしたから、月のものは来たと言っていた。
偽りでも結婚をしたと言うことで、環境の変化への対応。知佳のメンタルに変化が訪れてそれを調整している最中……
「まぁ、そんなところだろう。俺が若干、焦り過ぎている……か。しかし、これ以上期間が開いたらよくはないな」
十年も待った。今回ばかりは時間を掛けようなんて思ってはいない。
ここはさらに、アプローチをしてみるべきだろう。
俺から知佳にセックスを強いることはないが、知佳に──触れはしないとは言ってはいない。
こう言った手練手管は本来、好きじゃない。
でも知佳のためなら苦にもならないと、やっと苦笑が出来たところで、耳に「最近、労務部の氷室さんがさぁ」と言う声が耳に飛び込んで来た。
飲もうとしていた、缶コーヒーの手が止まる。
耳をそば立てて聴くと、ちょうど俺の背後で男性社員たちが、談笑しているのに気がついた。
氷室とは、まさか知佳のことかとそのまま、耳を澄ませる。
「労務部の氷室さんがどうした?」
「最近、書類持って行ったらなんか、雰囲気がすごく明るくなっていてさ、俺ににっこりと微笑んでくれた。あれ、きっと俺に惚れたからだな」
「はっ。んなわけねぇつっーの。相手は『氷の高嶺の花』だぞ。入社以来、数々の男達を袖にした知佳ちゃんが、お前如きに微笑むか」
「いや、マジだって! 法務部の人間も居たからソイツに聞いてみろって」
「えー、そんな冷たい女どこがいいんスか」
「お前、なにも分かってねぇな。SACRAに勤めていて、SACRAの肩書きだけで寄ってくる女もいるけど、最終的には真面目な女が良いんだよ」
──そこから、どんな女性がタイプかという雑談になった。
なるほど。
今の会話で、知佳がなぜ処女だったのか分かった。
知佳は「恋より仕事」と言っていた。
本人は本当に誘われていることすら気付かずに、冷静に断り続けてきたのだろう。
知佳は目立つ美人ではない。しかし、整った爪に髪、きめ細やかな白い肌。バランスの取れた顔立ちに、知性もあって、総合的に上品に見える美しさがある。それが知佳の魅力だ。
それらはやはり、他の異性から見ても魅力的に映っていたと思った。
「そういうのは、俺だけが知っていればいいんだよ」
眼鏡を再び掛け直して、小さく呟く。
缶コーヒーを持つ手に力が入る。
「知佳の旦那は俺だぞ」と言いたくなるのをグッと堪えて、残りのコーヒーを一気に飲み干した。
そして空の包装を掴み、席を立つ時に男たちの顔を確認した。
その顔は、よく知っている面子だった。
最近海外の業者の契約を取ったものの、「法務部のチェックが遅い。受注の実績を潰す気か」と文句を言ってきた連中だ。
男たちの顔を確認してから、カフェテリアの出口へと向かう。
「向こうが提示した契約書なんか、そのまま呑めるか」
言われるがままにチェックを通したら、SACRAが不利になる。利益を搾取されかねない契約内容だった。
権利関係とはそういうものだ。
特に海外はその傾向が強く、自社への有利性を求めてくる。だから揉めないように|妥協案《カウンター》を作るのも、俺たちの仕事だ。
契約は『結ぶこと』がゴールじゃない。利益を生み出すことにこそ意味がある。法務部は会社と利益を守るための『盾』だと、いい加減に理解してほしい。
こちらの気も知らずにヘラヘラと笑っている男たちを見て知佳が笑ったのだとしたら、それは男の緩みきった顔への失笑を隠せなかったからだろう。
知佳が意味もなく他の男に微笑むわけがない。
知佳は俺の前だけで、感情を露わにしたらいいのだ。
十年もこちらは想い続けて、やっと手に入れた知佳に懸想されるのは、どうにも面白くない。
俺は歩きながら、ジャケットからスマホを取り出した。
「あぁ、佐藤さん? 今進めている、海外の|妥協案《カウンター》の案件。ええ、それです。それを俺にやらせてください」
|妥協案《カウンター》を作るのは法務の仕事だが、その根拠となる営業データの収集は本来、俺たちの仕事じゃない。
だが、その作業を営業部が得意としていないのは知っているから、これまでは気を利かせてやってあげていただけのこと。
佐藤さんとのやり取りも問題なく終わり、俺が無事に引き継ぐことになった。よし、と思いながらスマホをジャケットに戻す。
そんなに早く進めてほしいなら、今までこっちがやってやっていたデータ収集を、そちらでやってもらうだけだ。
それさえ揃えてくれたら、本日中にでも俺が完璧な|妥協案《カウンター》を作る自信はある。
営業部は最近、無茶なスピードを要求することが多くなってきたから、この辺りでこちらの仕事の重みを知ってもらうのも良い機会だろう。
そうは言っても同じ会社のチームではあるから、仕事に差し支えないよう、こちらでもすぐに動けるようにしておく。
「人任せの数字は怖いからな。さて、午後も頑張りますか」
眼鏡のブリッジを押し上げて、ゴミ箱に包装と空き缶を投げ入れた。
コメント
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第13話、読み終えました。 主人公の「知佳だけにしか見せない顔」への執着と、三週間ぶりに会えないもどかしさが、缶コーヒーの苦味と重なってとてもリアルでした。特に「薄い0.1ミリのゴムのような障壁」という比喩が、契約結婚の脆さと確かな距離感を象徴していて、上手いなと感じます。 最後、営業部の噂話から仕事に切り替える切り替え方も、彼のプロとしての顔と独占欲の両方が出ていて、次の展開が気になります。知佳さんとまた会えるといいですね。