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#海辺の町
#異能力
腕の中の身体が緊張を解き、静かな寝息を立て始めた頃、征一郎は閉じていた瞼をゆっくりと開けた。
「莫迦な女だ。自分の命を何だと思っている」
征一郎は腕の中の細い肩が冷えないようにそっと布団をかけ直す。
静香の白く透き通るような指先に、征一郎は指を絡めながら溜息をついた。
かつて自分を救ったあの小さな真珠が、彼女のどれほどの「命」を削って生み出されたものか。
それを聞かされたとき、幼いながらも征一郎は自分自身の血が凍りつくような心地がした。
「俺が生きている限り、二度とお前に作らせたりしない」
幼い頃、喘息で息をするのもままならず、空気が良い別荘で過ごしていた俺の命を救ってくれたのは、他でもない静香の特殊真珠だ。
あの日から俺の命は、お前の犠牲の上に成り立っていると言っても過言ではない。
「……お前はもう覚えていないだろうな」
特殊真珠の存在は絶対にバレてはいけない。
世間にも、静香の実家にも。
診療所とあの親子には口止めをしたが、果たして彼らは約束を守るかどうか。
「守らせてくれ」
あの日、診療所で絶望に満ちた瞳を見せた静香を縛り付けているのは、他でもない「特殊真珠」という呪いだ。
ならば、その呪いごと、自分が静香を檻に閉じ込めて守り抜くしかない。
征一郎は静香を逃がさないように、その細い身体を強く引き寄せた。
翌朝、静香が目を覚ました時には征一郎の姿はなかった。
昨夜は天気が微妙だったが、満月の光を浴びて真珠を練るはずだったのに。
なぜ突然やってきたのだろうか?
なぜ同じ布団に入ったのだろうか?
だが、その疑問はすぐに解決した。
征一郎は満月の日だけではなく毎日、静香が眠った後にこの部屋にやってきて、早朝に自分の部屋に戻るそうだ。
この本邸に移ってからずっとなのだと専属女中のひとりが教えてくれた。
だが、ますます理由がわからない。
女中には「愛されていますね」と揶揄われたが、真珠が目的のはずなのに満月の日に邪魔をしてきた理由がわからない。
もしかして征一郎は満月という条件までは知らないのだろうか?
いつでも作れるものだと思われていたら厄介だ。
静香はどこまで打ち明けるべきか悩みながら、今日もルイ・ヒールのストラップシューズで歩く練習に勤しんだ。
◇
夜会の会場は、大正ロマンを象徴するような煌びやかなシャンデリアの光に包まれていた。
静香のドレスは先日仕立てた『勿忘草色』のシルク。
着物しか着たことがない静香は、軽くてふわふわとした心許ない生地が風で揺れるたびに不安を感じた。
草履ではない履物も歩く練習をしたが、まだ慣れない。
このような豪華な場所に自分なんかがいていいのかと、場違いにも程があると静香は困り果てた。
「顔を上げろ、静香」
静香の隣には、寡黙で冷徹な男。
征一郎の隙のない立ち姿と彫刻のような美貌が会場中の令嬢たちの視線を釘付けにしていることくらいは、いくら鈍感な静香でもわかる。
姉とだったら美男美女でお似合いだったのだろうなと、静香は自分を消してしまいたくなった。
「姉でなくて、申し訳ございません」
消え入りそうな声で呟いた言葉は、喧騒にかき消されるはずだった。
いくら隣にいても、優雅なワルツの響く中で、征一郎に自分の声が聞こえるはずはないと。
「静香」
名前を呼ばれ、強引に顎を掬い上げられる。
至近距離で見つめる征一郎の瞳は、冬の星空のように冷たく、けれどどこか熱を帯びていた。
「おまえがいい」
征一郎の手袋越しに伝わる手の熱に、静香の心臓が跳ねる。
この言葉は『真珠がいい』だとわかっているのに、自分自身を選んでもらったかのような錯覚に陥りそうになってしまう。
そうだったらいいのにと、ありえない期待をしてしまう自分が虚しかった。
「嵯峨くん」
「大隈会長、先日はありがとうございました」
征一郎が仕事の話で引き止められた隙に、静香は一人で夜のバルコニーへと逃げ出す。
やはり自分に華やかな場所は似合わない。
薄暗い誰もいないバルコニーの冷たい風が、静香をホッとさせた。
鋭い三日月の冷ややかな光が自分の境遇をあざ笑っているように思えた静香は小さく溜息をつく。
「……やはり、私はあの方の隣にふさわしくないわ」
征一郎の放つ圧倒的な存在感。
それに見合うのは、夜会の花として咲き誇る令嬢たちで、自分のような影の薄い女ではない。
そう再確認した瞬間、背後の重厚な扉が開いた。
「相変わらず陰気な子」
「お姉様!? 今までどこに」
会場の誰よりも鮮やかなドレスを纏った姉、麗華の姿に静香は目を見開く。
「まさか嵯峨様があんな素敵な殿方だったなんて」
夜会にも現れない冷徹な男なんて、よほどの不細工なのか偏屈じじいだと思っていたと、麗華は歩きながら肩をすくめた。
「ごくろうさま。もう実家に帰っていいわ」
「……え?」
「相変わらず勘の悪い子ね。あんたはもう用済みだって言ってるのよ」
麗華はツカツカと静香の隣まで歩き、肩をドンッと突き飛ばす。
「身代わりは終わり。私が嵯峨夫人よ」
さっさと消えなさいと命令された静香は、身体の横でギュッと拳を握った。