みんなで事件について話し合っていると、あっという間に目的地へ到着してしまった。およそひと月ぶりの自宅。たかがひと月、されどひと月……王宮で生活している間に色々なことがあったせいか、実際の期間よりも長らく離れていたように感じてしまう。
「リズ、どうしよう。自分の家なのに緊張してきた。あんなに帰りたいと思っていたのに」
馬車の窓から外の様子を伺うと、見慣れた建物が目に飛び込んでくる。私が王宮へ上がる前と全く同じ。変わらない姿の自宅がそこにあった。本来なら安堵するところなのだけど、変わっていないのは外見だけなのだと分かっている。残念なことに屋敷の中……そこで生活している人たちの日常はすっかり様変わりしてしまったのだから。
「普通のご帰宅とは言い難いですものね。心が乱れても仕方ありません。でも、旦那様はクレハ様がお帰りになるのを心待ちにしておられますよ。どうか元気なお姿を見せて差し上げて下さい」
「姫さん、ボスや俺たちもついてるから何も心配いらないよ。もしまた変な奴が来たとしてもボコボコにしてやるから」
ルイスさんの過激な発言にちょっと面食らってしまったけれど、おかげで緊張が解れた。ふたりの言う通りだ。弱気になっている場合ではない。
お母様と弟のエミールも、フィオナ姉様に付き添いリブレールへ向かった。よって、屋敷にはお父様しかいない。そんな状況の中で今回の事件が起きてしまったのだ。心労が積み重なって苦しい思いをしているであろう時に、娘の私が支えてあげなくてどうする。
「リズもルイスさんもありがとうございます。私ったらすぐにウジウジとしてしまって駄目ですね」
私まで沈んでいたらまた余計な心配をかけてしまう。自分は大丈夫だ。お父様や使用人のみんなが見違えたと感じるくらい、しっかりした姿を見せてあげたい。
ふたりからの激励を受け、再度気持ちを引き締めたところで馬車の扉が開いた。
「クレハ、着いたよ」
開かれた扉の先にいたのはレオンだった。彼は私をエスコートするために先に馬車から降りていたようだ。レオンに促され座席から腰を上げると、差し出された彼の手を取った。
「足元気をつけてね」
「ありがとうございます」
転ぶこともなく無事に両足が地面について、ほっと息を吐く。私の後に続いてルイスさんとリズも馬車から降りてきた。
「ジェムラート邸……か。近くまで来たことはあるけど中に入るのは初めてだな」
誰に向けられたわけでもない、ルイスさんの何気ないひと言を耳が捉えた。そういえば、レオンも私の家に来るのは初めてではないだろうか。せっかくの初めてが事件の調査のためだなんて……。こんな状況でなければ、婚約者である私が彼をおもてなしすることになっていただろうに。
「クレハ、平気? もしかして酔ったの」
レオンが歩みを止めて私の顔を覗き込んだ。考え事をしていたせいで反応が少し遅れてしまう。
「いっ、いいえ。大丈夫です。さあ、行きましょう」
何も問題ないことをアピールするため、軽くレオンの腕を引いた。そんな私の行動を見てか、彼の瞳が驚いたように丸くなる。しかし、私はお構いなしで正門に向かって力強く一歩を踏み出したのだった。
「ルーイ先生、怪我の具合はいかがでしょうか。起き上がれます?」
「起き上がるのは問題ないけど、歩くのはキツいかも……」
騒動から一夜明けて、俺は先生の様子を見るために彼が休んでいる部屋を訪れた。こんな短時間で怪我が治るはずがないのだけど、念のため確認してしまう。先生が何度も主張していた、体の構造はヒトと変わらないというのを疑っているわけじゃない。でも、もしかしたらということがあるかもしれない……だって彼は神様だから。
「まだ安静にしていなければなりませんね。私は引き続き隣の部屋で控えていますから、用がありましたらベルを鳴らして下さい」
「俺はセディにずっと側にいて欲しいのになんで離れちゃうの? ここにいてよ。お前は俺の護衛じゃなかったのか」
「私が四六時中引っ付いていたら落ち着いて休めないでしょう。すぐ近くにいますから安心して下さい」
ベッド横に置かれたナイトテーブルの上には、小さなベルがちょこんと乗っている。先生のために用意した物だったのだけど、あまり気に入って貰えなかったようだ。先生は些か乱暴な手付きでベルを掴むと、音を数回鳴らしてみせた。
「今は目の前にいるのですから、鳴らさなくて結構ですよ」
「セディが冷たい。ケガ人なんだからもっと優しくして。夜は一緒に寝てくれるって約束したのに……」
「そんな約束しておりませんよ。しれっと嘘吐くのやめてください。退屈でしたら本でもお持ちしましょうか?」
「いらない。もうじきクレハたちがこっちに来るんだろ? 読書なんてしてられないでしょ」
レオン様とクレハ様がジェムラート邸にいらっしゃる。待ちに待った増援も一緒だ。不安だった警備面が強化されるし、何よりレオン様がいてくださることで得られる安心感が強い。俺もようやく少し肩の力を抜くことができるな。
「先生は治療に専念して下さい。捜査に協力して欲しいとは言いましたけれど、絶対に無理はなさらないで……」
「俺の協力は主に頭使うことだから、怪我は関係ないんだけどね」
「それでもです。早く良くなって下さいね」
するりと口から出た言葉は紛れもない本心だ。似たようなことを幾度も言ってきているし、特別何かを意識したものでもない。だからこそ、この後先生が見せた反応があまりにも予想外だった。
「はっ? え、先生?」
いきなり何なんだ。先生は勢いよく俺から目を逸らすと、掛け布団に顔を埋めたのだ。隙間から覗く耳が赤く染まっているように見える。嘘だろ。まさか……こんなことで――
「……どうしてあなたが照れてるんですか」
「だって、その顔は卑怯でしょ。不意打ちでそんな慈愛に満ちた眼差し向けられたらさ……堪らなくなっちゃって」
いや、どんな顔だよ。別にいつもと同じだろ。幻覚でも見えてるんじゃないか。本当にこの人のツボは理解できない……またしても妙なとこに反応しやがって。
先生は更に深くうずくまってしまう。なんだかこっちまで恥ずかしくなってくる。どうしてくれるんだよ……この空気。呆れつつも互いの言葉や行動に振り回されてしまうのは俺も同じ。護衛にあるまじきだが、今すぐこの場から逃げ出したくなってしまった。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!