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#茜
💎星乃葵@ペア画中.ᐟ💎
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りおりんご🍎
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今中希美
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受付のソファに、柔太朗が座っていた。
会議の三十分前。膝の上に、小さな紙袋が置かれている。
舜太が近づくと、柔太朗は立ち上がって、紙袋を差し出した。
「お借りしていたものです。遅くなって、すみません」
「ああ、傘。……そんな、よかったのに」
紙袋の中の折りたたみ傘は、買ったばかりのように、きれいに畳まれていた。
受け取る人が、気持ちよく使えるように。そういう畳み方だった。几帳面というより、渡す相手のことを先に考える人なのだ、と舜太は思った。
「翌日にお返しするつもりでしたが、タイミングが合わなくて」
「いつでもよかったんですよ」
「お会いして、お礼と一緒に返したかったので」
「お礼なんて
「おかげで、風邪もひかず、外来に穴をあけずにすみました」
柔太朗は、真顔で言った。
「僕の外来の患者さんたちは、たった十五分に、救いを求めて来るので。その十五分を、僕の都合で、なくしたくないんです」
「……先生」
「はい」
「ええ人ですね」
「そうでしょうか。当たり前のことを、しているだけですが」
柔太朗は、本当に不思議そうな顔をした。
舜太は、この人が会議の席で、いつも偉ぶらないことを思い出した。
医師という立場にいながら、プロジェクトのメンバーの誰にも、同じ高さで、同じ言葉で話す。
聞かれたことには丁寧に答え、分からないことは、分からないと言う。
協力的であることを、特別なことだと思っていない。
エレベーターを待つ間、舜太は、紙袋の取っ手を指に掛けたまま、柔太朗の横顔を見た。
白い肌と、涼しい目元。会議の三十分前に来て、傘を一つ返すために、ソファで待っている人。
この人の優しさは、きっと、傘の畳み方だけではない。
「先生、また雨の日は、言うてください。送りますよ」
「それは」
柔太朗は、少し考える顔をした。
「天気次第ですね」
「じゃあ、降るのを祈っときます」
「祈らなくて、いいです」
扉が開いた。柔太朗が先に乗って、奥へ詰める。
降りる階のボタンの前に、自然と、舜太のために場所が空けられていた。
窓側の席は、また、光の中にあった。
十一月に入って、朝の光は、少し低くなった。
ブラインドの隙間から、斜めに、机の上へ落ちてくる。
仁人は、それを分かっていて、窓側の席を選んだ。ドアが見える席だからだ。それ以外の理由は、ない。
ノートPCを開く。画面が、白く反射した。
角度を変える。変えても、まだ白い。
今日は、開発の若手のエンジニアも、同席していた。仁人の隣で、静かに資料を広げている。
「おはようございます」
声がして、勇斗が入ってきた。
資料に目を落としたまま、空いた手で、通りすがりに、窓のほうへ腕を伸ばす。
ブラインドの紐を、引く。羽根が、ゆっくり傾いて、光が、机の上から消えた。
勇斗は、そのまま、自分の席に座った。
仁人は、画面を見た。もう、白くない。
「……別に」
声に出していた。
聞こえるか聞こえないかの、声だった。
「ん? 何が」
勇斗が顔を上げる。
仁人の顔を見て、ブラインドを見て、それから、自分の手を見た。
何が起きたのか、分かっていない顔だった。
「いえ」
「……ああ。眩しかったか?」
「いえ。何でもありません」
勇斗は、首を傾げて、資料に視線を戻した。
自分が何をしたのか、気づいていない。気づいていないから、礼を言うタイミングも、どこにもなかった。
仁人は、礼を言えなかったことを、会議の間、ずっと引きずった。
会議は、柔太朗の説明から始まった。
「診察で、必ず確認したい項目を、整理してきました」
柔太朗は、一枚の資料を映した。
三つの列に分かれている。毎日、週に一度、診察のとき。
「毎日必要なものは、勇斗さんの挙げた、五つで足ります。診察で本当に知りたいのは、そこに加えて、気分と、カフェイン、お酒、それから、服薬の有無です。ただ、これらは、毎日でなくても、傾向が見えれば、診察では十分です」
「週に一度、まとめて入力する形ですか」
仁人が聞いた。
「ええ。ただ、気分だけは、少し迷っています」
「迷う、というのは」
「気分は、三段階では、足りないかもしれません。『良い、普通、悪い』では、診察で聞きたいことが、拾えない。その日の、何が、どう重かったのかが」
「それ以上細かくすると、毎日続けていただくのは、難しいかもしれません」
仁人は、即答した。
「眠れない夜に、スマホの画面で、自分の気分を、細かく選んでもらう。それは、かなりの負担になると思います」
「負担、ですか」
「選べない、という感覚が、さらに眠れなくさせる」
柔太朗は、小さく頷いた。
「診察でも、よく見る現象です。患者さんは、答えを探して、考え込んで、結局、寝つけなくなる」
「だから、毎日の入力は、考えさせない設計にしたいんです。ボタン三択か、スライダーで、直感で押せる形に」
仁人は、画面を切り替えた。昨夜、遅くまでかけて作った案が、並んでいる。
ボタンの大きさ。親指だけで押せる位置。
夜の暗い画面でも見える、落ち着いた配色。入力が完了するまでの、手数。
柔太朗は、一つずつ、確認しながら、見ていた。
「診察では、数字より、傾向を見ます。三段階で、十分です」
「その傾向を見る画面は、患者さん用のアプリとは、別に用意します」
仁人は、もう一枚、画面を切り替えた。
「診察側は、PCです。電子カルテと並べて開ける、ブラウザの画面を、別に作ります。患者さんが毎日入力したものが、一週間、一か月の傾向として、一枚で見えるように」
「診察は、十五分です」
柔太朗が、静かに言った。
「カルテを開いたまま、ひと目で見られること。それが、一番助かります。それから、集まったデータは、診察だけでなく、僕の医局で、研究にも使わせていただく予定です。論文にするときに、あとから数字を追えることは、僕たちにとっても大切です」
「研究の条件とデータの利用範囲は、のちほど、正式に詰めましょう」
勇斗が、そこだけ、短く言った。
「ええ。お願いします」
柔太朗は頷いて、少し間を置いた。
「ただ、気分については、任意の一言メモを、足せませんか。書けない日は、空でいい」
「……考えます」
仁人は、すぐには頷かなかった。
「空欄は、書けなかった、という事実を、画面に残します。書けない夜に、それを見せられる人間の気持ちは」
「ああ。それは、そうですね」
柔太朗は、否定されたことを、少しも嫌がらなかった。
むしろ、考え込むように、目を伏せた。
「書けないことが、記録に残る。……それは、考えていませんでした」
仁人は、その反応に、静かに驚いた。
この人は、こちらの設計の理屈を、先に読んでくれる。
勇斗は、入力の設計については、一言も口を挟まなかった。
仁人の領域だと、分かっているのだ。
黙ることで、渡されている。そのことを、仁人は、うまく受け取れなかった。
受け取れないまま、視線を、画面に戻した。
「じゃ、整理しますね」
舜太が、会議を引き取った。
「毎日、五つ。週に一度、気分、カフェイン、お酒。服薬は、診察のときに。気分の扱いは、持ち越しにしましょう」
「それで、いきましょう」
勇斗が言った。
「それで、大丈夫です」
仁人が、ほとんど同時に言った。
解散のあと、廊下に出たところで、若手のエンジニアが、小声で言った。
「あの、聞いていいですか。勇斗さんと、仁人さんって、仲、悪いんですか?」
「悪くない」
勇斗と仁人の声が、揃った。
若手は、声が揃ったことに、一瞬、目を丸くして、それから、吹き出した。
少し離れたところで、舜太が、肩を震わせている。
仁人は、決まりの悪さを、眉間に押し込めた。
勇斗は、天井を見上げて、笑いをこらえている。
笑ってんじゃねえよ、と仁人は思った。口には、出さなかった。
夜の事業部は、静かだった。
勇斗は、デスクで、仁人から届いた資料を開いた。
昼過ぎに、会議の補足として送られてきた、入力画面の詳細案だった。
五つの必須項目が、一つの画面に収まっている。
就寝、起床、寝つくまでの時間、夜中に起きていた時間、日中の眠気。
ボタンは、親指の届く下半分に、大きく配置されている。
押す順番は、一日の流れに沿って、自然に並べてある。
暗い部屋でも、まぶしくならないように、背景の色を、細かく調整してあった。
そして、すべてを入力し終えるまでに、十秒を超えないこと、と、小さな注記がついていた。
ちゃんと、考えてある、と思った。
細部まで、手を抜かない人間だった。
ボタンの角の丸みを、何度も作り直す。誰も気づかないところに、一番、時間をかける。
そして、そこに、一番、意味がある。
続くなら、量が確保できる。量が確保できれば、評価に使える。
事業の観点で見れば、これは、最良の案だった。
けれど、それ以前に、素直に、いい設計だと思った。
そして、量は、評価の先でも、使える。
匿名にしたデータが、十分な量で集まれば、本業の創薬の研究に、活かせる。
どんな人が、どんな夜を過ごし、どの薬が、どう効くのか。
その数字を、新しい薬の探索に使えれば、このアプリは、事業の外にまで、価値を持つ。
さらに、匿名化したデータそのものを、必要とする先に売る道もある。
大規模な治験は、長くて、金がかかる。それまでの間に、投資の一部を回収できる、即効性のある出口を、一つでも、持っておきたかった。
同意の取り方と、匿名化の線引きは、法務と慎重に詰める必要がある。それを抜きに語れる話では、ない。
それでも、頭の中の事業計画には、すでに、その行が、書かれていた。
誰にも言っていない。仁人にも、柔太朗にも。
舜太には、いずれ、話すことになる。あいつは、いずれ、こちら側に来る人間だ。
けれど、仁人と柔太朗は、言えば、きっと、顔色が変わる。
患者のための、アプリだ。それは、嘘ではない。
ただ、患者のためだけでは、続かない。続かなければ、誰の手にも届かない。
返信を打つ。
『案、拝見しました。』
そこで、手が止まった。この先に、何を言うのか。仕事の連絡の範囲で、言えることは、何か。
『これなら、続くと思います。』
送った。
送ってから、「ありがとう」を入れなかったことに、気づいた。
礼を言う理由は、いくつもあった。案のことも、会議のことも。
それなのに、仕事のメッセージでは、ありがとうを言う場所が、どこにも見つからなかった。
返信は、まだ、なかった。
まだ、と思っている自分に、少し驚いた。
スマートフォンを、伏せる。
会議室で、ブラインドを下ろした自分の手を、ふと思い出した。
窓際の、仁人の机に、光が落ちていた。
それだけだった。
何も考えずに、手が動いていた。
なぜ下ろしたのか、理由を探したが、見つからなかった。
理由がないことが、理由のような気がした。
勇斗は、画面に向き直った。別の資料が、開いたままになっている。
しばらく、文字が、読めなかった。
コメント
1件
るりさん、こんばんは。第5話、読ませていただきました。 柔太朗先生の傘の返し方、あの折りたたみ方の描写にまずやられました。几帳面さじゃなくて、相手のことを思うからこその丁寧さ──それが伝わってくる人なんですね。 そして何より、勇斗が無意識に下ろしたブラインド。あの何気ない仕草に気づいて、でも礼を言えなかった仁人のもどかしさが、胸に沁みました。「書けないこと」それ自体が、こんなにも雄弁に物語るんですね。 次が気になります。