「なんだかんだ言って、この部屋が落ち着くのよね」
ドアを開けるなり、萌咲が声高らかに言い放つ。
ここは金沢駅から徒歩10分の所にある慶太のマンションだ。
一般的なファミリータイプのマンション、背伸びのない雰囲気に沙羅はホッと胸をなでした。
「ここがお兄さんのお家なの?」
「そうだよ。かれこれ7年ぐらい使っているかな」
「お兄さんは、ずっと、ひとりで住んでいるの?」
美幸は思った事を口にしただけだった。
しかし、沙羅は驚きのあまり固まってしまう。
自分の知らない時間、慶太にだって付き合っていた女性ぐらい居たはずだ。もしも、この部屋で一緒に暮してた。なんてことがあったなら、結婚していた自分の事を棚のたか~い所に置きっぱなしにして、ショックを受けるだろう。なにせ、3LDKのファミリータイプマンションは、ひとり暮らしには広すぎる。
すると、萌咲が沙羅の様子に気づいたのか、クスッと笑った。
「わたしの部屋も一つ作ってもらって、自宅で嫌な事があった時や友達と遊んで遅くなった時に泊まらせてもらっていたのよ」
「ほぼ、入りびたりだっただろ」
慶太にそう言われてて、萌咲は、いたずらを見つかった子供のように肩をすくめる。
「ふふっ、慶ちゃんのおかげで素敵な婚約者に出会えたのよ。東京で仕事が終わってから来るって言っていたから、後で紹介するわね」
今度は、慶太が固まる。
そうなのだ、田辺が萌咲の婚約者だと、沙羅にはまだ言っていないのだ。
ピンポーンとインターフォンが鳴った。
萌咲はウキウキした様子で、スイッチを押して応対を始める。入りびたりだったと言う話しの通り、慣れた感じた。
「おつかれさま。沙羅さんたちも来ているのよ。早く上がって来て!」
インターフォン越しに興奮しながら話をして、通話が切れると、婚約者に1分1秒でも早く会いたいのか、萌咲は玄関へと向かって行く。
部屋に取り残された三人は、なんとなく顔を見合わせた。
すると、慶太がバツが悪そうに口を開く。
「実は萌咲の婚約者、沙羅も知っている人なんだ」
「えっ⁉ 誰なの?」
「沙羅の……」
話しの途中で玄関が開き、「こんばんわ、慶太さん」と沙羅にも聞いたことのある声が聞こえる。
「あっ、社長さんだー」
田辺を見つけた美幸が声をあげた。
慶太は言い訳も出来ないまま、万事休すの状態だ。
沙羅は美幸の声につられるように沙羅は態勢を変えて、玄関を覗き込む。
「ホント!田辺社長だわ」
こんな偶然あってもいいのだろうか……。と驚いた沙羅だったが、ハッとして慶太へ視線を移す。
慶太は何げなく視線をそらした。
すると、すべてを理解した沙羅はジト目で慶太を睨む。
「あれ、慶太さん、どうしたの?」
部屋に入って来た田辺はふたりの様子を見て、首を捻った。
「もう!いったいどう言う事なの!?」
沙羅はジト目のまま、慶太を見据えて居る。
ふたりのただならぬ雰囲気に田辺は唖然とした。
「もしかして……慶太さん。沙羅さんに、まだ言っていなかったの?」
「タイミングを逃してしまって……」
と、言い訳をする慶太に萌咲は容赦無い。
「あー、もしかしてって思っていたけど、やっぱりね。だって、わたしと俊くんの事を沙羅さんが知っていたら、絶対に話題になるはずだもの」
それを聞いて沙羅の表情は、ますます険しくなる。
なぜなら、慶太が秘密にしていた事を自分以外の全員が知っているからだ。
「こんなに大事な話しを教えてくれなかったなんて!」
「いままで言えなくて、ごめん。夏に沙羅が東京へ帰った後、仕事を探すって言っていたから、少しでも助けになればと思って……」
「慶太……」
「あの時は、俺からの紹介だと受けてくれないと考えて、言えなかった。それでタイミングをつかめないままズルズルと……本当にごめん」
確かに……。と沙羅は思った。
TAKARAグループ御曹司の慶太とは、金沢に居る間だけの恋人だったと、必死に忘れようとしていた時期。沙羅の性格なら、慶太から紹介された仕事を素直に受けたりしなかったはずだ。
慶太もその性格をわかっていたからこそ、わざわざ手を回し、真理からの紹介という体を取ったのだ。
「沙羅さんを入社させた経緯を黙っていた責任は僕にもあるんだし、怒らないであげて。慶太さんは沙羅さんの事をずっと心配していたんだ」
田辺の言葉に沙羅はうなずき、慶太へと視線を戻した。
切れ長の優しい瞳が、沙羅を見つめている。
別れを切り出した沙羅の行く末をどれほど慶太は心配してくれていたのか。
もどかしく思った事もあったのだろう。それでも、ひとり立ちしようとしている気持ちの邪魔にならないように、遠くからそっと見守っていてくれたのだ。
そして、生活が落ち着くまで待って居てくれた。
わざわざ東京まで会いに来てくれた。
慶太からの想いに、沙羅の心の中は甘く疼く。
「沙羅……。ごめん」
「ううん、慶太が田辺さんの会社を紹介してくれたおかげで、たくさんの良い出会いに恵まれて、いまがあるんだから、感謝している。でも、もう少し早く、萌咲さんの婚約者が田辺さんだって、教えてくれても良かったかなって思うの」
「そうだね。ごめん」
「これからは、秘密は無しだから」
「ん、わかった」
ふたりの和解に田辺と萌咲は顔を見合わせ、ホーッと胸をなでおろした。
大人たちの話しが落ち着いたのを見て、美幸は何か言いたげな様子で、慶太の腕をツンツンとした。
慶太は耳を傾けるように腰を屈める。
「美幸ちゃん、どうしたの?」
美幸は、慶太の耳元に顔を寄せた。
ナイショ話の体制だ。
「お母さん、怒るとコワイよね。お兄さん、気をつけてね」
【番外編・秘密はいけません 終わり】
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