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ルークの口から衝撃的な言葉が飛び込んで来た。
それでなくても色々なことが矢継ぎ早に起こり過ぎて、私の思考処理能力は既に限界を迎えていた。
私は混乱のあまりただ狼狽えるばかりで何も言葉が出て来なかった。ただオロオロとルークを見つめるより術はなかった。
「正確には、このまま何もせず手をこまねいていたら、と仮定したらの話だ」
なんだ、そうなのね? と思わず安堵しかけてしまったけれども、最悪な状況であることに変わりはなさそうだった。
私が意識を失っていたわずかな時間に何があったんだろうか?
「ルーク、私が気を失っている間に何が起こったの?」
「周囲を見てみろ。わずかの時間で世界の様相は大分様変わりしてしまったぞ」
ルークの言葉に促されるがままに、私は周囲を見回す。そこで私はようやく異常事態が発生していることに気付いた。
「こ、これは何が起こっているの⁉ 私が浄化したはずの瘴気がどうして……⁉」
周囲にはまるで黒煙のような霧状のものが立ち込めていた。微かに魔力を帯びているのが分かり、一目でそれが瘴気であることが分かった。ただしその濃度は以前のものとは桁違いに禍々しく闇が深い。まるでこの周辺一帯が地獄世界に変貌してしまったかのような錯覚を受けるほどだった。
「あの時、両者の魔力が衝突し合った後、お前の妹……と呼んでいいのか分らぬが、あの女は今度はゲートを開き軍勢を率いて会いに来ると捨て台詞を残して姿を消したんだ。まあ、勝てぬと見て逃げたというのが正しいか」
ルークはそう言って、ふん、と忌々し気に鼻で笑った。
「ジークフリートの亡霊はどうなったの?」
「ほう? ミアはあれが伝説の夜の魔王ジークフリートだと分かったのか?」
予想外の私の言葉に、ルークは素直に驚いて見せた。
「ええ、ルークじゃないけれども、私も意識を失っている間に不思議な体験をしてきたの。それについては後で詳しく説明するわ」
私はルークの目を見て、続きを話してと促す。
「ミアの妹達が逃げ去った後、ジークフリートの亡霊はオレ達に襲うことも無く、ただ一言、とある物の返却を願い出てきたのだ」
その瞬間、私の脳裏に夢で見た蒼い宝石のペンダントが過った。
「もしかして、それはさっきもニーノが首に下げていた蒼い宝石のペンダントのこと?」
「その通りだ。オレも初めて見るが、あれこそは夜の国の至宝と言われた『神獣ヴェルズの魔石ペンダント』だ。所有者に絶大な魔力を与え、願えば一度だけ奇跡を起こすことが出来るとされている。かつて最も偉大な夜の魔王ジークフリートは、それは最愛の妻、聖女リンに贈ったと伝承には残されている。だが、例の双子聖女の伝説の混乱によって何処かに紛失したままだったのだが、よもやミアの妹が持っていたとはな」
正式名称を神獣ヴェルズの魔石ペンダントというのね? あれは私がニーノに入れ替わられる前、聖女像に触れた時に謎の女性……いいえ、今ならは確信出来る。髪の色が白銀ではなく黒色だったから、私は彼女を魔女だと誤解していたけれども、きっとあの女性は聖女リンに違いない。慈愛と優しさに満ち溢れた笑顔は今でも忘れられない。対して先程私達を襲った聖女ランは髪の色は聖なる白銀だったけれども、滲み出る邪悪なオーラは魔女そのものだった。
あの夢で双子聖女の伝説の真相を見た時は、両者の髪の色は逆だった。どういう経緯で聖女リンの髪の色は黒に染まり、一方で魔女ランの髪の色は白銀に戻ったのだろうか?
今はそんなことを気にしている場合じゃないわね。後でじっくりと考えるとしましょう。
あの時、何故聖女リンは私に神獣ヴェルズの魔石ペンダントを託したのだろうか? もしかして、これを夜の国に眠るジークフリートに届けて欲しかったんだろうか?
「話を戻そう。ジークフリートの亡霊は何を、とは言わずに『取り戻してくれ』とだけオレに告げ、北の方角に飛び去っていった。そして、それから間もなくして漆黒の瘴気が周囲に蔓延し始めた、というわけだ」
「つまり、ニーノから神獣ヴェルズの魔石ペンダントを取り戻し、ジークフリートの亡霊にそれを返せばこの瘴気の蔓延は治まるということ?」
「確証は無いが恐らくはそうだ。お前の妹の襲来。偶然携えていた神獣ヴェルズの魔石ペンダント。それに呼応するかのように現れたジークフリートの亡霊。偶然で片付けるわけにはいくまい」
私もルークの考えに賛成だ。ジークフリートの亡霊はニーノが持っていた神獣ヴェルズの魔石ペンダントに反応して現れたのでは、と真っ先に思ったからだ。
先程見た夢とルークの話を合わせれば自ずと出てくる答え。それが証拠にニーノに対しては『返せ』と迫り、ルークに対しては『取り戻してくれ』とお願いする辺り、もしかしたら私の予想以上に彼の魂は正気を保っているのかもしれない。
その時、ふと疑問が湧いた。
「あれ? そう言えば、どうして夜の国が滅びるだなんて言ったの?」
今までよりも遥かに禍々しい瘴気が周囲に蔓延しているのは確かだ。でも、どうしてそれがいきなり夜の国が滅亡するなんて話になるんだろうか?
「この漆黒の瘴気が蔓延する現象は、オレが子供の頃にも一度だけ起こったことがある。それを鑑みれば、恐らくだが夜の国は亡びるだろうと推測したに過ぎん。隠しても仕方がないから打ち明けるが、これは間違いなくスタンピードの前兆なのだ。間もなく夜の国は魔物の大群に襲われるだろう」
ここでいうスタンピードとは突発的な大衆行動という意味ではなく、魔物やモンスターが群れをなして大暴走することを意味している。
私がライセ王国にいた時にも、度々迷宮のモンスターが地上に群れをなして現れ、村や街が襲われたという話を聞いたことがあった。
ライセ王国でも発生したスタンピードが夜の国でも発生するとしたならば、その被害は予想もつかない。何故なら、この国には魔物の力の源になる瘴気が未だに蔓延しているのだ。
その瞬間、私の脳裏に夜の国が魔物の大群によって闇に呑み込まれる幻が過る。それと同時に、先程見た夢の中で魔女ランによって蹂躙される獣人達の光景も重なる。
「ダメ、あんな悲劇を何度も起こしてはいけないわ! ルーク、以前はどうやってスタンピードに対処したの⁉ 私の聖女の力が必要なら、いくらでも使ってちょうだい!」
私はお願いだから、とルークに迫った。心の裡では皆を救うことが出来るなら私の命くらい捧げて見せるとすら思った。ただそれを言えばきっとルークは激怒する。そんなことは分かり切っていたから、私はあえて自分の決意を口にはしなかった。
「落ち着け、ミア」
「落ち着けるわけがない! 私は夜の国を、故郷から見捨てられた私を優しく迎え入れてくれた獣人達を守りたいの! もうあんな惨い光景を見るのは嫌……絶対に嫌なの!」
故郷で魔女として処刑されかかったこと。夢の中で私達の祖先が獣人達に惨たらしい仕打ちをしたこと。ルークや獣人達の優しさを思い出す度に罪悪感で胸が引き裂かれる思いになった。
ごめんなさい、許してと、謝罪の言葉が頭の中で木霊した。
涙が溢れ出し、私は嗚咽を洩らした。
すると、顔に暖かい温もりを感じた。ルークが私を胸元に引き寄せ優しく抱擁してくれているのだとすぐに分かった。もしかしたら、私は彼の優しさに期待していたのかもしれない。悲しんだ素振りを見せればルークはきっと私を抱き寄せ慰めてくれる。そんな打算を描いた卑怯な自分がとてつもなく嫌になってしまった。
「残念ながら、前回の策は二度と使えん。何故なら、オレは誰も犠牲にするつもりはないからな」
「それはどういう意味?」
「前回発生したスタンピードを防ぐ為にオレの父上と母上は誓約の魔法を使ったんだ」
すると、ルークは寂し気な微笑を浮かべた。何故か泣きじゃくっている子供の頃のルークの姿が重なって見えた。
何故、あの時ルークは泣きじゃくっていたの? きっと、とても悲しい出来事があったからに違いない。だからこそ私は初めて出会ったにもかかわらずルークのことが放っておけなくなったのだ。
子供が泣きじゃくる理由。もし私だったならば……⁉
私はハッとなりルークを見つめた。
「誓約の魔法とは愛を誓った夜の国の王族のみが行使可能な奇跡の力。しかし、いかなる願いを叶える代償として自らを生贄にしなければならない。だから、オレは絶対にその力を使うことはないんだ。だってオレは君を、ミアを守るって、生涯愛するって決めたから」
ルークは呟き、そして笑った。とても穏やかで温かい笑顔だった。
「ルーク、ごめんなさい。私、何も事情を知らないくせに偉そうなことを言ってしまった」
「いいんだ。ミアの気持ちは分かっている。大方、私の命を犠牲にしても構わない、とかって思っていたんだろう?」
ふふん、とルークは意地悪そうに勝ち誇った笑みを浮かべた。
そうだった。私達の魂は誓約の力で繋がっているんだったわ。
「なら、どうやってスタンピードを食い止めるつもりなの?」
「安心しろ。スタンピードは魔力が最も濃くなる満月の晩にしか発生しない。まだいささか時間の猶予はある。だから、オレとミアで何とかしよう」
ルークはそう言って真剣な眼差しで私を見つめた。私は正面からそれを受け止める。
「ミア、オレと一緒に光の世界に、お前の故郷であるライセ王国に行こう。そして神獣ヴェルズの魔石ペンダントをお前の妹から取り戻し、ジークフリートに返す。そうすれば漆黒の瘴気の蔓延を食い止めることが出来るだろう。これ以外に夜の国を救う術はない」
差し伸べられたルークの手を見て、私は目頭が熱くなるのを感じた。
今、ルークは私と一緒に行こうと言ってくれた。以前、魔物が村に出現した時は城にいろと言った。私を大事に想ってくれる彼の気遣いは嬉しかったけれども、それは私が必要とされていないということ。
今、ハッキリと分かった。私は誰かにじゃなく、ルークに必要にされたかったんだ。
「ええ、行きましょう」
私はルークの手を取り、二度と自分を犠牲にするなんて馬鹿な考えはしないことを心に決めた。
だって、もっとルークと一緒にいたい。彼と触れ合いたい。もっともっとルークを感じたいから。
ルークは目を細めると、小さく頷き右手を頭上に掲げた。
「現れよ、転移門! そして我らを光の世界に誘いたまえ!」
周囲に魔力が迸ると、目の前に転移門が現れる。
「ついでにミアの妹も助けてやるとしよう」
「ええ、お願い、力を貸してね、ルーク」
「お安い御用だ」
私達はお互いの手を絡め合わせると、そのままゆっくりと転移門に進んだ。
待っていて、ニーノ。今、貴女を助けてあげるから……!
この門を抜ければそこは故郷の地。忌まわしい記憶が蘇ってくるが、それを私は容易く打ち消すことが出来た。
だって、私にはルークがいるから。手に伝わる彼の温もりが私に勇気を与えてくれた。
しかし、転移門を潜り抜けた後、私達を待ち受けていたのは夜の国以上に凄惨な悪夢とも呼べる光景だった。