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影月奇譚

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影月奇譚

1 - プロローグ 『何で?』

2025年04月26日

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夜の闇が降りる頃、朔は屋根の上にいた。

ひとつ、またひとつ、静かに明かりが灯る町。

風に乗って、誰かの笑い声が聞こえた。

その音が、遠い過去のように思えた。


彼の手には、冷たい鉄があった。藤吉。朔が名付けた、大切な刀。

その刀だけが、まだ自分を人間として繋ぎとめてくれている気がした。


──昔のことは、よく覚えていない。

気づいたときには、影月組《かげつぐみ》の一員だった。

五代目の〝刀〟として仕込まれた日々。

初めて人を殺した夜、何も感じないように心に蓋をした。


「感じたら壊れる」


そう教えてくれた人はいなかったが、本能がそう言っていた。

それから何年も、朔は感情を押し殺して生きた。

笑顔を癖にし、誰にでも柔らかく接した。

〝優しい〟と評された。だが、それは仮面だった。

自分ですら、その仮面の外し方がわからなくなっていた。


その日、任務は簡単なものだった。標的は一人、証拠を残さず消せ。

だが、標的の屋敷には思いがけず子供がいた。まだ六つか七つ。

彼女は目を見開き、震えながら朔を見た。

朔の中で、何かが揺れた。

足が止まる。手が動かない。

〝殺せ〟

頭ではわかっている。だが、身体が動かない。


「さっさと殺せよ」

背後から声がして、次の瞬間、赤い飛沫が朔の頬を濡らした。

子供の小さな頭が、転がった。

──仲間だった。

彼は何の迷いもなかった。

朔の胸の奥で、凍りついていた何かが崩れた。


「……なんで?」


小さく、呟いた言葉に、誰も気づかなかった。

けれど、朔の中ではその一言が、何度も何度も反響していた。

何で? 何で? 何で?


その夜から、朔は夢を見るようになった。

昔、笑っていた頃の夢。

小鳥のトリスケを追いかけて庭を走り回っていたあの日。

親友と空を見上げて笑っていたあの時間。

──心が動き出していた。


「お前、最近変だぞ」

親友がぼそりと言った。

朔は笑って、首を横に振った。

「そんな事ないよ」

「……ふーん」

親友はそれ以上言わなかった。だが、その瞳は何かを見透かしていた。


朔は、笑った。今日も笑った。

蓋をして、仮面を被って、それでも――

心は確かに、動いていた。



その夜、朔は眠れなかった。

手にこびりついた血の感触が、何度洗っても消えない気がしていた。

自室に蹲り、藤吉の鍔に額を当てる。


「……俺、何してるんだろう」

震える声で、誰にも届かぬ独り言をこぼす。

怒りなのか、情けなさなのか、自分でも分からない。

ただ、胸の奥に渦巻くものが、じりじりと自分を侵食していくのが分かった。


けれど朔は、ちゃんと分かっていた。

自分は〝刀〟。

決して誰にも知られてはいけない。

弱さは見せてはいけない。

ましてや、人を殺めることに恐怖を抱くなど――許されるはずがない。


なのに、何で?

それはまるで堂々巡りで、一種の呪いのようだった。

出口のない迷路を、ただただ彷徨っているみたいだった。


「きついな……」

ぽつりと呟いて、また額を鍔に押し付けた。

眠れぬ夜は、容赦なく長かった。


そして朔は、まだ知らなかった。

その夜明けが、すべてを変えることになる――紅に染まる、呪われた出会いを。


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