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#渡辺翔太
コアラと木の実
1,382
午後のやわらかい光。
病室のカーテンが、ふわっと揺れる。
「…〇〇」
ドアの近くから聞こえる声。
顔を上げると、そこにいるのはーー
目黒蓮。
「今日さ」
少しだけ、いつもより優しい声で言う。
「外、行かない?」
〇〇は少しだけ考える。
窓の外、見慣れた海。
「…海?」
「うん」
少しの沈黙。
でもーー
「…行きます」
その答えに、蓮は小さく頷く。
「ゆっくりでいいから」
看護師に付き添われながら、ふたりは海辺へ向かう。
潮の香り。
優しい風。
何度も一緒に来た場所。
でもーー
〇〇にとっては、ほとんど“初めて”の景色。
砂浜に着いて、ゆっくり腰を下ろす。
隣同士。
少しだけ距離をあけて。
波の音だけが、静かに響く。
「…ここさ」
目黒蓮がぽつりと話し始める。
「前にも、よく来てたんだよ」
〇〇は、黙って海を見る。
「俺が仕事で落ち込んだときとか、〇〇が無理してるときとか」
少しだけ笑う。
「気づいたら、ここ来ててさ」
風が、ふたりの間を通り抜ける。
「で、〇〇がさ」
懐かしそうに、目を細める。
「”海って、なんでも流してくれる気がする”って言うんだ」
〇〇の指が、ほんの少しだけ動く。
「…そうなんですか」
小さな声。
「うん」
「で、俺はそのあと」
少しだけ、言葉を区切る。
「毎回、同じこと言ってた」
〇〇は、ゆっくり視線を目黒蓮に向ける。
「…なんですか」
一瞬だけ、風が止まった気がした。
目黒蓮は、まっすぐ海を見たままーー
静かに言う。
「…好きだよ」
あの頃と同じ。
何度も、ここで伝えてきた言葉。
波の音が、大きくなる。
その瞬間ーー
〇〇の表情が、わずかに揺れる。
「…っ」
呼吸が止まりかける。
「…好きだよ」
ぽつりと。
まるで思い出すように。
「…蓮」
その名前。
〇〇は、少しだけ笑った。
優しくて、あたたかくて。
あの頃と同じ笑顔。
時間が戻る。
目黒蓮の目が、大きく見開かれる。
「…〇〇……?」
震える声。
でもーー
次の瞬間。
〇〇の表情は、すっと消える。
「…」
何もなかったみたいに。
ただ、海を見ている。
「…きれいですね」
その言葉に。
目黒蓮は、何も言えなくなる。
今の言葉も、今の名前も。
全部、なかったみたいに。
でもーー
確かに、あった。
「…っ」
気づいたら、涙がこぼれていた。
声は出さない。
ただ、静かに。
隣で、〇〇は気づかないまま海を見ている。
「…残ってんじゃん」
小さく、かすれる声。
「ちゃんと…あるじゃん」
忘れてないわけじゃない。
消えたわけでもない。
ちゃんと、そこにある。
届かないだけで。
目黒蓮は、そっと顔を上げる。
「…ありがとう」
誰に向けたのか分からない言葉。
でもその目は、少しだけ前を向いていた。
波は、何度も繰り返す。
消えたように見えても、
確かに、そこに残っているものがある。
ふたりの想いみたいに。
コメント
1件
ああ、この第7話、胸がぎゅっとなりました…。目黒蓮が「好きだよ」って、あの頃と同じように伝えるシーン、もう涙が止まらなかったです。〇〇が一瞬だけ「蓮」って呼び返したのに、また波に消えてしまう切なさ。でも蓮くんの「残ってんじゃん」って呟きに、確かに想いは消えてないんだって希望も感じました。海と記憶の重なり方が美しくて、読後も余韻がじんわり残ります。素敵な作品をありがとうございます…!